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第26話

宴会場は一瞬にして水を打ったように静まり返った。


ダイヤモンドの指輪が大理石の床に落ちる音だけが、耳を刺すように響く。


篠宮初音は頭が割れるように痛み、さらに強い倦怠感に襲われた。


特に東雲たくまがいる限り、この場にいること自体が耐え難かった。


指輪が床に落ちた瞬間、東雲たくまはショックすぎて呆然とした。


初音が振り返らずに去ろうとするのを見て、ようやく我に返る。


「初音!行くな!」彼は猛然と立ち上がり、彼女の手を掴まんとした。


そこに東雲明海が割って入り、たくまの前に立ち塞がった。


「兄さん、初音はもうはっきり断った。これ以上しつこく絡むな。これ以上みっともない真似はよせ。」


篠宮初音の断固たる拒絶に、明海は実は抑えられないほど喜んだ。


二人が復縁さえしなければ、自分にはまだチャンスがある!


初音は宗一郎の前に立ち、申し訳なさそうに頭を下げた。


「お祖父様、申し訳ありません。少しお酒をいただいて、気分が優れませんので、先に失礼いたします。改めてお伺いいたします。本日はお誕生日、おめでとうございます。末永くお健やかでありますように」


東雲たくまの行動は、宗一郎の予想を完全に超えていた。


プロポーズを断られ、彼がこれ以上取り返しのつかないことをしでかすかもしれない。


初音が今ここを去るのが最善だ。


「うむ、帰りたまえ。飲んだら運転はできません。運転手に送らせよう」


「東雲様」


九条天闊がタイミングよく口を開いた。


「私もそろそろ戻るところです。篠宮さんは私がお送りしましょう」


宗一郎様は九条天闊をじっと見つめた。


「それは、九条社長にはご迷惑では?」


九条天闊の表情は変わらず、その目は深かった。


「いえ。篠宮さんとはご近所で、ついでですから、迷惑ではありません」


宗一郎は人を見る目がある。


天闊が初音に抱いている想いを読み取り、これ以上断らなかった。


「初音ちゃん、どうする?」


篠宮初音は別にどちらでも構わない。


九条天闊が同方向なら、わざわざ運転手を呼ぶ必要もない。


「はい、お願いします。天闊先輩。」


初音が九条天闊と共に去ろうとするのを見て、東雲たくまは明海を激しく押しのけた。


「初音!行かせるもんか!」


明海はなおも阻もうとする。


初音が九条と去るのは彼自身も快くは思わなかったが、兄に絡まれ続けるよりはましだと。


「兄さん!もういい加減にしろ!みっともない!」


東雲たくまは明海を睨みつけ、顔面をめがけて拳を振り上げた。


「東雲明海!これは俺と初音のことだ!お前に手を出す資格はない!」


「手を出さずにはいられん!」


明海は口元の血をぬぐい、一発を叩き返した。


二人はたちまちもみ合いの喧嘩となり、会場は大混乱に陥った。


九条天闊の運転手は外で待機していた。


二人が外に出るのを見ると、すぐに後部座席のドアを開けた。


天闊が初音に乗車を促すと、彼女は温かい車内に身を沈めた。


酒の酔いが一気に回り、意識はさらに遠のき、すぐに深い眠りに落ちた。


狭い車の中には、アルコールの香りと甘い匂いが混ざり合い、心を奪われるような空気が漂っていた。


愛する人がすぐそばにいる。


九条天闊はまるで夢でも見ているかと感じた。


もっと近づきたい。


もっと… と強く思った。


突然、肩に重みがかかった。


その甘い香りが一層強くなったようだ。


眠り込んだ篠宮初音が、無意識のうちに彼の肩に頭を寄りかかったのだ。


九条天闊の体は一瞬で凝って、微動だにできなかった。


彼女の落ち着いた寝息を聞きながら、運転手に速度を落とすよう合図を送った。


ルームミラーに映る九条社長の、戸惑いと喜びが入り混じった様子を見て、運転手はこのお嬢様が社長にとって特別な存在であることを悟った。


通常なら三十分の道程を、一時間かけてようやく到着した。


篠宮初音はまだ目を覚まさない。


九条天闊は彼女の眠りを妨げたくなかった。


運転手には先に帰るよう合図を送った。


二人きりの時間を大切にしたいのだ。


彼は静かに初音の寝顔を見守り続けた。


何度も彼女の頬に触れたい衝動に駆られたが、そのたびに必死に堪えた。


それは冒涜だ。


彼女への冒涜のように思えたのだ。


**********


一方、東雲家本邸では、東雲たくまの戦意はますます激しくなっていた。


宗一郎は一方でお客さんの見送りを進めつつ、一方で喧嘩している二人を引き離すよう命じた。


しかし二人はすでに殺気立っており、手を付けられる状態ではなかった。


ついに宗一郎が杖を力強く床に叩きつけると、ようやく二人は止めた。


お客さんが去り、広大な宴会場に残ったのは東雲家の人々だけだった。


たくまの母親がたくまのもとへ駆け寄り、東雲美和子(東雲明海の母)は明海の方へ向かった。


「たくま!なんて乱暴な真似をするの!お父様の誕生会で喧嘩なんて!」たくまの母親は嘆いた。


明海の鼻も頬も見る影もなく腫れ上がっているを見て、美和子は胸が痛んだ。


普段は穏やかな息子が、篠宮初音のために、またしてもたくまと喧嘩したのか?

もしかして… あの娘のことが好きなのだろうか?


それを意識して彼女が驚いた。


宗一郎は重々しい口調で言った。


「たくま、明海、書斎に来い」


美和子は心配そうに夫の東雲勇太のそばへ歩み寄った。


「勇太。お父様、明海を厳しくお叱りになるのでは」


勇太も息子の衝動的な行動に強い不快感を抱き、怒りを抑えながら言った。


「明海、今回は本当にひどすぎる!普段の教えをすっかり忘れおって!がっかりだ!」


美和子の心配はさらに募った。


「明海は普段はこんな子じゃないのに… やっぱり篠宮初音のことが本当に好きなんじゃないかしら」


たくまと明海は宗一郎について書斎へ入った。


「正座しろ」宗一郎様が杖を床にトンと突き、怒声を上げた。


この喧嘩で、誕生日パーティーは台無しになっただけでなく、東雲家も笑いものになってしまった。


二人は言われるがままに土下座の姿勢を取った。


「どこが間違ってたか、わかってるか」宗一郎が聞いた。


「おじい様、申し訳ございませんでした」二人は口を揃えた。


「どこが?」宗一郎様はさらに詰め寄った。


しかし二人は黙り込んだ。


口では謝ったが、心の中では自分たちの行動が間違っているとは思っていなかった。


「どうした? 口をきけんのか」宗一郎様が鋭く言い放った。


すると突然、東雲明海が顔を上げ、宗一郎をまっすぐに見据え、揺るぎない決意に満ちた目で言った。


「お祖父様、私は初音ちゃんを愛しています。彼女と一生を共にしたいのです」と。

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