東雲たくまは手術室に運ばれた。
篠宮初音はその場に立ち尽くし、彼が「全身血まみれ」で自分の手を握り「会いたかった」と訴えた光景が脳裏をよぎる。
軽傷だと思っていたのに、これほどまでとは……
東雲たくまは死ぬのか?
この考えが頭をよぎり、自分でも驚いてすぐに打ち消した。
東雲たくまはもちろん死なない。
あの血のほとんどは彼のものではなく、篠宮初音の同情を引くための偽装だ。
脚の軽い骨裂けと、右手のギプスもわざとらしく装っていた。
「手足もがれても、初音はきっと心配してくれる」彼はそう信じていた。
面倒を見てくれさえすれば、二人きりの時間が作れる。
接する機会さえ増やせば、初音は必ずまた自分を愛してくれると。
真相を知らない母親は泣き続け、東雲たくまは「お母さん、大丈夫だ。手足がどうなろうと、命があればいい」と慰める。
特に「手足がどうなろうと」の部分を強調し、まるで誰かに聞かせるように。
視線を篠宮初音とこっそリ向け、目が合った瞬間、東雲たくまは慌ててそらした。
(バレてない……よな?)
実際、篠宮初音は気づかない。
彼がここまで卑劣な手段を使うとは思わなかったからだ。
東雲たくまに生命の危機がないと知り、篠宮初音は帰ろうとした。
元々、東雲おじいちゃんの願いで来ただけだ。
病室の出口で、背後から重い物音とたくまの母親の叫び声がした。
篠宮初音は足を止めたが、振り向かない。
東雲たくまが病床から転がり落ち、這いずりながら彼女に向かっていた。
「初音……行かないで……頼む……」
たくまの母親は息子が全ての誇りを捨て、這い蹲る姿に耐えられず、泣きながら部屋を出ていった。
息子の裏切りに、彼女は愛人の元へ慰めを求めに行くのだ。
東雲たくまは篠宮初音の足元にたどり着き、その脚にしがみつく。
「初音……行かないで……頼む……」
夜、付き添いベッドで篠宮初音は眠れなかった。
残った理由は、東雲たくまへの未練ではなく、あの大火事の記憶のためだ。
彼が火の中に飛び込み、自分を救ってくれたあの日。
あの時芽生えた想いが、全てを許すきっかけとなった。
東雲たくまも眠れない。
初音が残ってくれたのは、まだ少しでも想いがあるからか?
「初音、俺たちの最初の出会いを覚えてるか?」
20歳の東雲たくまと、16歳の篠宮初音。
東雲家の慈善晩餐会で、高く結った黒髪と冷たい美貌の少女は、一瞬で彼の心を奪った。
あの頃のたくまは確かに初音を好きだった。
では、なぜ全てが変わったのか?
白石香澄と出会ったせいか、祖父が初音を偏愛するのを見て嫉妬したせいか。
反抗期の彼は、自分の本心を押し殺していた。
最初から――あの一目で、俺は初音を好きだった。
ただ認めたくなかっただけだ。
無視し、傷つけ、初音の愛を無駄にし、その心を踏みにじった……
今の状況は全て自業自得だった。
篠宮初音は答えない。
答えるつもりもない。
かつては東雲たくまに関する全てを鮮明に覚えていたが、今では色あせ、いずれ完全に忘れ去られるだろう。
窓から差し込む冷たい月光の中、東雲たくまは振り向き、彼女の同じく冷たい横顔を見つめた。
瞳には固い決意が宿る。
「初音、残りの人生をかけて償う……信じてくれ」
*****
東雲たくまは一睡もせず、しかし精神は異様に高ぶっていた。
篠宮初音が傍にいてくれるだけで、彼は満たされた気分になっていた。
専門の介護士がいるため、篠宮初音が直接手伝う必要はない。
彼女はほっとしていた。
どう接していいのか、本当にわからなかったのだ。
「風呂に入りたい」東雲たくまが突然口を開いた。
介護士が近づくと、彼は鋭い声で叱りつけた。
「お前じゃない!出て行け!」
介護士は彼の陰鬱な眼差しに圧倒され、慌てて退出した。
誰もいなくなると、東雲たくまは一転して弱々しい表情に変わる。
「初音……手伝ってくれないか?昨日から入ってなくて……。他人に触られるのは嫌なんだ、お前も知ってるだろ?」
これは事実だった。
以前の入院時も、介護士を近づけず、篠宮初音に全てを頼んでいた。
だが今は違う。
彼女が拒絶しようとしたその瞬間、病室のドアが開いた。
「兄さん、初音に頼まなくてもいい。俺が手伝おう」
スーツに身を包んだ東雲明海が、鋭い視線を篠宮初音に向けながら入室してきた。
東雲たくまの表情は一瞬で凍りついた。
「明海……なぜここに?」
「兄さんが怪我したんです。弟として、見舞いに来ないわけにはいきません」
東雲明海は薄笑いを浮かべながらも、視線は篠宮初音から離さない。
彼女が東雲たくまの母親に連れ出されたと知り、すぐに駆けつけたのだ。
東雲たくまがどんな手段を使うか、よくわかっている。
二人きりになる機会など、絶対に与えるつもりはなかった。