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第35話

東雲たくまは手術室に運ばれた。


篠宮初音はその場に立ち尽くし、彼が「全身血まみれ」で自分の手を握り「会いたかった」と訴えた光景が脳裏をよぎる。


軽傷だと思っていたのに、これほどまでとは……


東雲たくまは死ぬのか?


この考えが頭をよぎり、自分でも驚いてすぐに打ち消した。


東雲たくまはもちろん死なない。


あの血のほとんどは彼のものではなく、篠宮初音の同情を引くための偽装だ。


脚の軽い骨裂けと、右手のギプスもわざとらしく装っていた。



「手足もがれても、初音はきっと心配してくれる」彼はそう信じていた。


面倒を見てくれさえすれば、二人きりの時間が作れる。


接する機会さえ増やせば、初音は必ずまた自分を愛してくれると。


真相を知らない母親は泣き続け、東雲たくまは「お母さん、大丈夫だ。手足がどうなろうと、命があればいい」と慰める。


特に「手足がどうなろうと」の部分を強調し、まるで誰かに聞かせるように。


視線を篠宮初音とこっそリ向け、目が合った瞬間、東雲たくまは慌ててそらした。


(バレてない……よな?)


実際、篠宮初音は気づかない。


彼がここまで卑劣な手段を使うとは思わなかったからだ。


東雲たくまに生命の危機がないと知り、篠宮初音は帰ろうとした。


元々、東雲おじいちゃんの願いで来ただけだ。


病室の出口で、背後から重い物音とたくまの母親の叫び声がした。


篠宮初音は足を止めたが、振り向かない。


東雲たくまが病床から転がり落ち、這いずりながら彼女に向かっていた。


「初音……行かないで……頼む……」


たくまの母親は息子が全ての誇りを捨て、這い蹲る姿に耐えられず、泣きながら部屋を出ていった。


息子の裏切りに、彼女は愛人の元へ慰めを求めに行くのだ。


東雲たくまは篠宮初音の足元にたどり着き、その脚にしがみつく。


「初音……行かないで……頼む……」


夜、付き添いベッドで篠宮初音は眠れなかった。


残った理由は、東雲たくまへの未練ではなく、あの大火事の記憶のためだ。


彼が火の中に飛び込み、自分を救ってくれたあの日。


あの時芽生えた想いが、全てを許すきっかけとなった。


東雲たくまも眠れない。


初音が残ってくれたのは、まだ少しでも想いがあるからか?


「初音、俺たちの最初の出会いを覚えてるか?」


20歳の東雲たくまと、16歳の篠宮初音。


東雲家の慈善晩餐会で、高く結った黒髪と冷たい美貌の少女は、一瞬で彼の心を奪った。


あの頃のたくまは確かに初音を好きだった。


では、なぜ全てが変わったのか?


白石香澄と出会ったせいか、祖父が初音を偏愛するのを見て嫉妬したせいか。


反抗期の彼は、自分の本心を押し殺していた。


最初から――あの一目で、俺は初音を好きだった。


ただ認めたくなかっただけだ。


無視し、傷つけ、初音の愛を無駄にし、その心を踏みにじった……


今の状況は全て自業自得だった。


篠宮初音は答えない。


答えるつもりもない。


かつては東雲たくまに関する全てを鮮明に覚えていたが、今では色あせ、いずれ完全に忘れ去られるだろう。


窓から差し込む冷たい月光の中、東雲たくまは振り向き、彼女の同じく冷たい横顔を見つめた。


瞳には固い決意が宿る。


「初音、残りの人生をかけて償う……信じてくれ」


*****


東雲たくまは一睡もせず、しかし精神は異様に高ぶっていた。


篠宮初音が傍にいてくれるだけで、彼は満たされた気分になっていた。


専門の介護士がいるため、篠宮初音が直接手伝う必要はない。


彼女はほっとしていた。


どう接していいのか、本当にわからなかったのだ。


「風呂に入りたい」東雲たくまが突然口を開いた。


介護士が近づくと、彼は鋭い声で叱りつけた。


「お前じゃない!出て行け!」


介護士は彼の陰鬱な眼差しに圧倒され、慌てて退出した。


誰もいなくなると、東雲たくまは一転して弱々しい表情に変わる。


「初音……手伝ってくれないか?昨日から入ってなくて……。他人に触られるのは嫌なんだ、お前も知ってるだろ?」


これは事実だった。


以前の入院時も、介護士を近づけず、篠宮初音に全てを頼んでいた。


だが今は違う。


彼女が拒絶しようとしたその瞬間、病室のドアが開いた。


「兄さん、初音に頼まなくてもいい。俺が手伝おう」


スーツに身を包んだ東雲明海が、鋭い視線を篠宮初音に向けながら入室してきた。


東雲たくまの表情は一瞬で凍りついた。


「明海……なぜここに?」


「兄さんが怪我したんです。弟として、見舞いに来ないわけにはいきません」


東雲明海は薄笑いを浮かべながらも、視線は篠宮初音から離さない。


彼女が東雲たくまの母親に連れ出されたと知り、すぐに駆けつけたのだ。


東雲たくまがどんな手段を使うか、よくわかっている。


二人きりになる機会など、絶対に与えるつもりはなかった。

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