遠いアメリカ。
九条天闊の手術は成功し、今後1年間のリハビリテーションが必要となった。
アメリカに残って治療を続けるのが最善の選択肢だが、彼は帰国を心待ちにし、もう一秒も待てない気持ちだった。
海外にいながら、彼は常に篠宮初音のことを気にかけていた。
部下から毎日報告される彼女の様子を通じて、東雲たくまの「負傷」や篠宮初音が世話をしに行ったこと、ホテルで起きた出来事も知っていた。
強い危機感が彼を襲う。
1年後に帰国した時、すべてが手遅れになっているのではないかと......
九条正志と九条美和子も息子の世話をするためにアメリカにやってきた。
眉をひそめ、心に悩みを抱える息子を見て、九条美和子が口を開いた。
「天闊、練習は十分よ。少し休みなさい。焦ってはいけないわ、少しずつ進めていくのよ」と
九条天闊は平行棒につかまり歩行練習をしており、既に20分以上往復していた。
彼はゆっくりと車椅子まで移動して座ると、九条美和子がすぐにタオルを取り、汗を拭いてやった。
「母さん、自分でやります」
九条天闊がタオルを受け取ると、九条美和子が尋ねた。
「何か心配事でも? 初音さんのことかしら?」と
九条天闊は顔を拭う手を止め、母を見た。
「母さん、僕は帰国して治療を続けたい」
......
篠宮初音は晋城ホテルを出た後、すぐには南都に戻らなかった。
北都の別のホテルにとまり、携帯の電源を切り、すべての連絡を遮断した。
北都は美しく、名所が多かった。
彼女はこの数日間、いくつかの有名な観光地を巡り、たくさんの写真を撮った。
最後に行きたい場所を回り終え、そろそろ帰ろうと思った。
実際、翌日南都へ戻る新幹線のチケットも購入済みだった。
******
「はい、母さん、分かった。すぐ帰るから、一旦電話切るね」
時雨快晴は電話を切り、駐車場に向かおうとした時、ふと遠くに写真を撮る女性の姿が目に入った。
その女性は整った顔立ちで、唇は紅く歯は白く、彼の母と7、8割似ていた!
もし母が父を裏切るようなことをするはずがないと確信していなければ、これは母の隠し子かと疑うほどだった。
時雨快晴は思わずスマホを取り出し、彼女の写真を数枚撮った。
篠宮初音は非常に鋭い感のもち主で、すぐに盗撮されていることに気づいた。
時雨快晴は彼女の視線と合い、居たたまれない気持ちになった。
盗み撮りはやはりみっともない行為だ。
彼は説明しようと近づいたが、ちょうど人通りが多くなり、彼女の姿は見えなくなっていた。
時雨快晴はなぜか強い喪失感を覚え、何かを逃したような気がした。
駐車場に向かい、時雨家に戻ると、妹の時雨桜が飛びついてきた。
「お兄ちゃん!帰ってきたんだ!」
23歳の時雨桜は、30歳の兄に甘えるのが大好きな妹だった。
「もう大人なんだから、いつまでも兄に甘えてると、将来の旦那さんが嫉妬するぞ」
時雨快晴は妹の頭を撫でながら言った。
「いいもん!お嫁になんか行かない!ずっとお兄ちゃんにくっついてる!」
時雨桜はますます強く抱きついた。
「そんなこと言ってると、兄さんが嫁をもらえなくなるわよ」
時雨母が台所から出てきて言った。
「快晴、帰ってきたのなら手を洗って、そろそろ食事するから。桜も」
食卓には料理が並び、3人が囲んで座った。
「母さん、父さんは?」
「また安田さんと囲碁をやりに行ってるわよ。きっとそこでご飯も食べてるから気にしなくていい」
時雨父は会社を息子に譲り、囲碁や小鳥の世話をする悠々自適の生活を送っていた。
「お兄ちゃん、もっと食べて。最近痩せてるよ」
時雨桜は兄の皿に次々と料理を盛り付け、山のようにした。
「桜、自分でも食べなさい。僕ばかり気にしなくていいよ」
時雨快晴は苦笑いしながらも、妹の愛情に甘えていた。
母は仲の良い兄妹を見て、ほほえましく思った。
時雨桜は早産で生まれ、すぐに保育器に入れられたため、当時は体が弱くならないか心配だったが、今ではその心配も無用だった。
ふと、時雨快晴は昼間に出会った母によく似た女性のことを思い出した。
「母さん、僕にもしかしたらもう一人妹がいるかもしれない?」
彼は思わず口にしたが、すぐにまずい発言だと気づいた。
時雨母は冗談だと思い、「桜ひとりで十分よ。もう一人の妹が欲しいだなんて、とんでもない!」と笑った。
だが時雨快晴はどうしても気になり、盗み撮りした写真を母に見せた。
時雨母は写真の女性を見た瞬間、凍りついた!
写真の女性は、彼女の若い頃と瓜二つだった。
直感がから、これはもしかしたら、本当の娘かもしれない......
もしこれが本当の娘なら、では桜は......一体誰なのか?
「快晴......彼女に会わせてくれないかしら?」
時雨母の声は震え、手も震えていた。
時雨快晴は首を振った。
彼も彼女がどこにいるか、名前さえ知らなかったのだ。
******
一方、篠宮初音は新幹線に乗り、指定席に着いた。
窓側の席で、通路側にはキャップを深く被った大柄な男が座っていた。
「すみません、中に入らせていただけますか?」
「ああ、どうぞ」
男が立ち上がり、顔を上げた瞬間——
篠宮初音はその冷たい顔をはっきりと見た。
東雲たくま......!
なんと、東雲たくまだった!