東雲たくまが篠宮初音を訪ねた。
内心は不安だったが、一抹の期待も抱いていた。
しかしリハビリ室のドアを開けた瞬間、全ての期待は跡形もなく消え去った。
彼の笑みが凍りつき、激しい怒りに変わった。
冷静になれと自分に言い聞かせたが、妻が他人に押し倒されているのを目の当たりにして、どうして冷静でいられよう?
これ以上冷静でいたら、男じゃない!
「九条天闊、殺すぞ!」
東雲たくまは九条天闊を床から引きずり上げ、顔面に強烈なパンチを叩き込んだ。
天野夫妻はすぐに息子の前に立ちはだかり、怒りに震えながら叫んだ。
「東雲社長! 何をするんですか! 暴力は許されません!」
篠宮初音は我に返り、東雲たくまの手首をつかんで外へ引っ張った。
怒りに燃えていた東雲たくまも、彼女に手首を握られた瞬間、不思議と怒りが鎮まっていくのを感じた。
無言のまま、人通りが多い廊下を彼女に引っ張られて歩く。
静かな場所に着くと、篠宮初音は足を止め、手を離した。
彼女の瞳には深い疲労がにじんでいた。
やっと自分を解放し、彼からも解放されたのに、なぜ彼は彼女を放っておけないのか?
「東雲たくま、どうしたら私を放してくれるの?」無力感に満ちた声。
彼女は本当に疲れ切っていた。
かすかに鎮まっていた怒りが、彼女の言葉で再び燃え上がった。
「放す? 九条天闊と結ばれるようにってか? 篠宮初音、夢を見るんじゃない! 俺が死なない限り、お前を手放すものか!」
篠宮初音は彼の手を激しく振り払った。
彼の目に宿る狂気に恐怖を覚えながら、「東雲たくま、もう狂ったふりはやめて! 天闊先輩と私の間には何もないの! あなたの汚れた考えで私たちを測らないで! 天闊先輩には愛する人がいるの!」
東雲たくまは嘲笑った。
「愛する人ってお前だ! あいつが実は──」と
「スイートハートガーディアン」という言葉が喉元まで出かかったが、彼は飲み込んだ。
もし九条天闊があの大金を投げ打ち、一途に想いを寄せ続けた「スイートハートガーディアン」だと知ったら、彼女は感動するかもしれない。
その賭けはできなかった。
「とにかく、あいつに近づくのは許さない! 今後は距離を取れ! お前は俺の女だ。永遠に俺のものだ!」
彼の支配的な言葉は、篠宮初音の心に重くのしかかった。
「東雲たくま、何を偉そうに! 忘れたの? 私たち離婚したわよ! 私はあなたの元妻、あなたはただの元夫よ!」
「離婚」「元夫」という言葉は鋭い刃のようで、東雲たくまの心臓を貫き、血を流させた。
たくまは最も後悔しているのが離婚したこと。
初音が自分なしではいられないと思い込んだ傲慢さが、初音を完全に遠ざけてしまった。
初音が自分を必要としていたのではなく、自分こそが初音なしでは生きられないのだ。
ドサッと、たくまは初音の前に跪いた。
声は小心で卑屈だった。
「初音、何でも欲しいものをあげるから...お願いだ、もう一度だけ俺を愛してくれ。他人を愛さないでくれ」
これは三度目の跪きだった。
塵のようにへりくだった。
しかし篠宮初音の心にはもう何の波風も立たなかった。
東雲たくまを深く愛していたあの篠宮初音は、たくまが自らの手で彼らの子供を殺した瞬間に死んでいた。
もうたくまのために悲しんだり、苦しんだり、卑屈に生きることはない。
二度と彼を愛したりはしない──
彼女の無反応に、東雲たくまはさらに慌てた。
「初音、何のチャンスも与えずに死刑宣告するなんて! 不公平だ、残酷すぎる!」
篠宮初音が機会を与えなかったのか?
あの3年間の結婚生活で、彼女は数え切れないほどのチャンスを与え続けた。
心が粉々に砕け、二度と修復できないほどになるまで。
たくまには理解できない。
いや、理解しようとすらしていないのかもしれない。
「分かった、チャンスをあげる」篠宮初音は静かに言った。
東雲たくまの目に希望の光が灯った。
「私の子供を戻してくれたら、また一緒になりましょう」
子供はもう戻らない。
これは明らかに、彼らにはもう未来がないことを宣告するものだった。
篠宮初音の決然とした後姿を見ながら、東雲たくまは駆け寄って捕まえたい衝動に駆られた。
しかし体が地面に釘付けられたように動かず、ただ初音が視界から消えていくのを茫然と見送るしかなかった。
気づくと、彼はすでに涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
病室では、天野夫人が心痛そうに九条天闊の傷の手当てをしていた。
東雲たくまの拳は本気の一撃で、九条天闊の半面は腫れ上がり、口元には血がにじんでいた。
九条天闊は落ち着きを失い、篠宮初音を心配すると共に、自分が「廃人」で、守りたい人をすぐに守れないことを激しく悔やんだ。
突然、九条天闊はコントロールできなくなり、狂ったように自分の足を叩き始め、天野夫婦を驚かせた。
「天闊! 何してるの! お母さんを驚かせないで!」天野氏は慌てて止めようとした。
その時、ドアが開き、篠宮初音が入ってきた。
天野夫人は救世主を見たように安堵し、すぐに夫を連れて部屋を出た。
篠宮初音がいれば、息子の情緒はすぐに落ち着くと信じていたからだ。
篠宮初音は九条天闊の自傷行為には気づかず、ただ腫れ上がった頬を見て、自分が原因で東雲たくまに殴られたことを深く後悔した。
「天闊先輩、ごめんなさい...私のせいで怪我をさせて、本当に申し訳ありません」
九条天闊は彼女の謝罪を聞き流した。
全ての注意力は、彼女の赤く腫れた手首に向けられていた。
彼女の白くて柔らかな肌は、東雲たくまに強く握られた跡がくっきりと残っていた。
「痛いか?」彼は尋ねた。
篠宮初音は意味が分からず、その後九条天闊が手を伸ばし、そっと彼女のその手を握りしめた。