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第46話

聖心医科大学付属病院の救急室。


白く冷たい光が照らす中、篠宮初音の腕には深く長い傷が縫合され、歪な八針の跡がまるで不気味なムカデのように刻まれていた。


包帯を巻き終え、処置室を出た初音の前に現れたのは、東雲たくま、東雲明海、九条天闊の三人だった。


彼女の負傷を知り、ほぼ同時に駆けつけた三人の間に漂うのは、無言の硝煙。


視線が交錯するたび、互いの敵意がくっきりと浮かび上がる。


初音の姿を見るや、東雲たくまと明海はすぐに近寄ったが、九条天闊は車椅子のまま静かに座り続けた。


「初音、傷はどうだ? 七海涼介のクズが……お前を傷つけたなんて、絶対に許さない」


たくまは初音の包帯を凝視し、声を震わせた。


もともと七海財閥を破綻させるつもりだったが、涼介が初音に手を出した以上、今は彼を一生牢屋に入れておくことしか考えられない。


「初音、腕の状態は? 医者は何と言った?」


一方、明海も冷たい表情で尋ねた。


明海にとって、初音を傷つけた者は全て死ぬべき存在だった。


「大丈夫よ。見た目は怖いけど、骨や筋には届いてないから、しばらく安静にしてれば治る」


初音はたくまを完全に無視し、明海に平静な声で答える。


そして、少し間を置いて付け加えた。


「でも、お祖父様には言わないで。心配かけたくないから」と


これほどまでに無視されるたくまの胸は、鈍器で殴られたような痛みに襲われた。


彼女が現れた瞬間から、彼の視線は一瞬も初音から離れていない。


なのに、彼女は一眼だってくれない。


「初音……すまない、俺のせいで……」


たくまが一歩踏み出し、声を詰まらせる。


しかし初音は即座に後退り、まるで猛獣を避けるように、露骨な距離感を置き、警戒を瞳に浮かべた。


「謝罪は受け取った」


そう言い残すと、彼を無視して九条天闊の元へ歩み寄った。


「初音……!」


たくまが反射的に手を伸ばすが、明海に腕を掴まれる。


「東雲たくま、これ以上彼女に嫌われたいのか?」


拳を握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めたたくまは、結局振り払わなかった。


初音にとって、たくまと明海の到着は意外ではあるが理解できる。


だが、九条天闊がくるとは純粋に驚きだった。


「九条先輩、どうして私の怪我を知ってたの?」


彼女は天闊を真っ直ぐ見つめ、その穏やかな瞳の奥まで見透かそうとするような視線を向けた。


「……それに、こんなに早く来られるなんて」


天闊は初音の視線を受け止め、いつも通りの澄んだ目で応じた。


その正直な眼差しに、初音は自分が疑いすぎではないかと、少し後ろめたさを覚えた。


なぜか、天闊が自分を好きなのではないかという錯覚を抱いてしまう。


彼が愛する人がいると言っていたのに。


「たまたま両親が楓ヶ丘アパートの近くにいて」


天闊の声は落ち着いている。


「現場を見かけて連絡をくれた。友達として、心配だったから」


事件現場が彼女の新居の近くだったこと、東雲夫妻が偶然目撃したことは、理にかなっていた。


初音の疑念は薄れ、眉の皺が解ける。


「友達」という言葉に、彼女はわずかに動揺した。


そう、彼らは友達なのだ。


友達の心配など、当然のこと。


誰も気づかないが、天闊の平静な外見の下、毛布に隠した手のひらはすでに汗で湿っていた。


彼も怖かった。


隠しきれない本心を見抜かれることを。


初音はふと思い出したように眉を寄せた。


「ご両親……東雲のお祖父様には話してないよね?」


「大丈夫、話していない。君がお祖父様を心配させたくないのは知っている。彼らも口外しない」

天闊が安心させるように言うと、初音はほっと息をついた。


二人の低声の会話は、救急室外の喧騒とは無関係のようで、表情を硬くしたたくまや複雑な面持ちの明海の存在を完全に忘れさせた。


「篠宮さん、帰るなら送ろう。ちょうど僕も帰るから」


天闊が提案すると、初音はうなずいた。


怪我をした腕では、東雲のお祖父様の元へ行くのも不便だし。


「ええ、お願いします」


二人の間に流れる、他者には介入できないような空気を、たくまは痛いほど感じ取っていた。


鋭い牙を剥く明海よりも、この穏やかな九条天闊の方がよほど脅威だった。


天闊は隠すのが上手すぎる。


たくまは……恐れていた。


瞳の奥で冷たい光が揺らめく。


二人の姿が廊下の向こうに消えるまで、たくまは明海の手を振り払わなかった。


「なぜ邪魔する! あいつが九条天闊のような偽善者と一緒になるのを見て満足か!?」


怒りを押し殺した声で、たくまが詰め寄る。


明海だって望んでいない。


初音を誰かに渡すつもりなど、元々ない。


「兄さん」


明海は冷たく笑った。


「俺だって望まないさ。だが、初音がお前と一緒になるよりは、九条の方がまだましだ。少なくとも、あいつは初音を一心に愛している。お前のように、傷つけるだけの存在じゃない」


「東雲……明海……!」


たくまは歯の間からその名前を絞り出す。


冷たい怒りを向けられても、明海はひるまない。


むしろ嘲笑うように唇を歪めた。


「どうだ、また殴る気か? 拳以外に何ができるんだ?」


たくまは確かにぶん殴りたい衝動に駆られたが、必死に堪えた。


すると明海は一歩踏み込み、目に鋭い光を宿して言い放つ。


「兄さんは、力で問題を解決しようとするから、お前はただの乱暴者に見えるんだ」


そして、わざと間を置いてから軽蔑混じりに笑った。


「まあ、俺としてはお前がそのままでも構わないがな。そうすれば、初音はますますお前から遠ざかるだけだ」


そう言い残すと、明海はたくまの反応など気にせず、さっさと歩き去った。


振り返らなくても、たくまが今どれほど怒り狂っているか、想像に難くない。


燃え上がる怒りを抑えきれず、たくまは救急室の白い壁に拳を叩きつけた!


「ドン!」という鈍い音。


数秒後、彼の拳から滲んだ血が、真っ白な壁に鮮やかな痕を残した。


一方、初音は九条天闊の車に乗り込んでいた。


彼女は左側のドアに寄り、天闊は右側に座り、間に広い空間を置いている。


車内は静かで、スピーカーから流れるのは『雨夜』と『晴天』。


初音が「スイートハート」として歌ったあの二曲だった。


初音はふと口を開いた。


「九条先輩、この曲が好きなの?」


「ああ」


天闊の声は音楽に溶け込むように優しい。


「最近人気のネットシンガー、スイートハートさんの曲だ。僕は結構気に入ってて、ちょっとしたファンなんだ」


初音の目に驚きと喜びが浮かぶ。


まさか、九条先輩が自分のリスナーだなんて。


もし「スイートハート」が自分だと知ったら、彼はどんな表情をするだろう?


そんなことを考えていると、突然車の前に障害物が現れ、天闊が急ブレーキを踏んだ!


初音の体が勢いで前に投げ出される瞬間、天闊は反射的に腕を伸ばし、初音をしっかりと自らの胸に抱き寄せた――

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