時雨快晴は南城のホテルの地下駐車場で車を降りた瞬間、後ろから誰かに目を覆われた。
「誰だか当ててみて?」
「桜、ふざけないで」
背の高い時雨快晴に対し、時雨桜は厚底の靴でつま先立ちし、やっとのことで彼の目に手が届いた。
変声までしてサプライズしようとしたの、一瞬で見抜かれてしまった。
「兄さん、どうしてわかったの? 声変えたのに」
桜は唇を尖らせ、頬を膨らませた。
快晴は桜の頭を撫でた。
「お前以外、誰が僕にこんなことするか」
「そりゃそうか」
時雨桜は嬉しそうに快晴の腕を抱き、エレベーターへ歩きながら言った。
「来るなって言ったのに、どうしてきたの? 危ない目に遭ったらどうするの?」
「兄さん、私はもう23歳だよ。いつまでも子供扱いしないで。それに……」
時雨桜は少し不満そうに口を尖らせた。
「私が来なかったら、兄さんがこっそり恋してるなんて知らないままだったじゃない」悪戯っぽく笑った。
「でたらめを言うな。恋なんてしてない」
二人がエレベーターに入ると、時雨快晴は1階のボタンを押した。
「見ちゃったよ。兄さん、女の人と食事してたでしょ?」
地下2階から1階へ上がり、ドアが開くと、時雨桜が食い下がった。
桜が見たのは女性の後姿だけだった。
時雨快晴は内心で緊張したが、誤解だけで済み、さらに深く気づかれていないことに安堵した。
桜を傷つけたくないと、優しく説明した。
「ただの友達だ。恋人じゃない」
「本当?」
「兄さんがお前を騙したことあるか?」
時雨桜は「ふーん」と長く伸ばし、フロントでチェックインを済ませた。
「今夜は早く寝てね。明日は北城に戻る」時雨快晴はルームキーを渡した。
「え? 来たばかりなのに帰るの?」時雨桜は不満そう。「少し遊んでいけないの?」
「駄目だ。明日は必ず帰るから」
「もう! 兄さんなんて!」舌を出し、キーで部屋に入った。
時雨快晴は苦笑した。
桜が実の妹でなくとも、快晴の心の中では、永遠に溺愛すべき存在だった。
翌朝、九条天闊が目を覚ますと、篠宮初音はもういなかった。
初音が去ったのは夜明け前だった。
ベッドサイドのテーブルにはメモが置いてある。
天闊はそれを広げた。
【天闊先輩、薬は時間通りに飲んでください。土鍋に温かいお粥を入れておきました。起きたら食べてください。健康第一。もうこんな無茶はしないで。私の心の中の天闊先輩は、こんな姿じゃないはずです】
天闊の胸が温かくなった。
初音の心遣いは愛情とは別かもしれないが、それだけで十分に尊い。
天闊はまた一歩、初音に近づいた気がした。
メモを丁寧に折り畳み、ノートに挟んで引き出しにしまった。
まるで大事な宝物を隠すように。
シャワーを浴びた後、食卓でお粥を一口ずつ味わった。
程よい塩加減の中に、なぜかほのかな甘みを感じた。
【初音、愛することを許してくれてありがとう】天闊は心でつぶやいた。
篠宮初音は一晩中家に帰らず、到着するなり松本玲子にソファに押し倒れられた。
「白状しなさい! あのイケメンと何かあったでしょ!」
松本玲子はバレるのを恐れ、昨夜は彼女より先に帰っていた。九条天闊との出来事は知らない。
「何もないよ」篠宮初音は額を押さえ、松本玲子がこんなに噂好きだとは知らなかった。
「恋愛してない? じゃあなぜ一晩中帰ってこなかったの?」松本玲子は信じていない様子。
「反対してるわけじゃないけど、今は控えた方がいい。あなたのためを思って言ってるの」
「わかってます、玲子姉。恋愛するつもりはないです。一生する気もありません」篠宮初音は立ち上がり、階段へ向かった。「疲れたから、少し休みます」
松本玲子は初音の背中を見て、ため息をついた。
「一度の失敗した結婚で全てを諦めるなんて、あんなクズのために幸せを捨てるなんて、意味ないわよ」と。
「ありがとう、玲子姉」
篠宮初音は足を止め、振り返って言った。
その時、LINEの通知音が鳴った。
九条天闊からのメッセージだった。
【初音、愛することを許してくれてありがとう】
初音はメッセージを見つめ、自分でも気づかない微笑みを浮かべた。
一方、時雨快晴は北城に戻ると、すぐには両親に真実を伝えず、時雨桜の髪の毛を採取し、再び親子鑑定を行った。
結果は変わらず、桜と自分の両親と血縁関係がなかった。
やはりすり替えられていたのだ。
誰が?
なぜ?
疑問だらけの時雨快晴は家に帰り、外出中の父親を呼び戻した。
「快晴、何かあったのか?」時雨父は入るなり聞いた。
息子の険しい表情から、重大な事態だと悟った。
「そうね、顔色が悪いわ」時雨母も心配そうだった。
時雨快晴は鞄から4通りの鑑定報告書を取り出した。
「父さん、母さん、これを見てください」
二人が読み終えると、一瞬にして凍りついた。
「これはつまり……桜は私たちの娘じゃなく、初音が本当の娘なの?」時雨母の声は震えていた。
「そうです」時雨快晴は頷いた。
「まさか……そんな……」時雨母の震えはさらに強くなった。
「快晴、これは本当か? 何か間違いじゃないのか?」
快晴の父は母を抱きしめ、背中をさすりながら、自身も不安定な声で言った。
「父さん、母さん、受け入れがたいのはわかります。でも、この4通りの報告書は本物で、嘘をつきません」