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第60話

初日の夕食は番組スタッフが手配したが、翌日からはゲスト自ら買い物と料理をしなければならない。


スタッフが役割分担について相談するよう促すと、ローテーション制か固定制かで話し合いが始まった。


「最初に言っておくけど、私は料理も買い物もできないわ」アンナーが真っ先に宣言した。


彼女はわがままではなく、本当にできなかった。


裕福な家庭で育ち、家事とは無縁の人生を送ってきたのだ。


アンナに続き、鈴木早紀も「私もできないです」と告白。


白石香澄は見栄を張りたい気持ちもあったが、キッチンに入ったことすらなく、台所を燃やしかねないと考え、渋々「私も無理です」と認めた。


女性ゲスト4人のうち、残るは篠宮初音だけだった。


「私は買い物も料理もできます」


「僕もできます」彼女の言葉が終わらないうちに、九条天闊が即座に続けた。


アンナは2人を見比べ、「じゃあ明日はスイートハートさんと九条天闊さんに任せる?異論ないわよね?」と提案した。


実際、できると言ったのはこの2人だけだった。


九条天闊は願ってもない話で、篠宮初音も特に問題は感じていなかった。普段通りに接すればいいだけだ。


「私は大丈夫です」


「僕も問題ありません」


2人が了承すると、東雲たくまと東雲明海が不満を露わにした——2人きりで行動させるなんて!


「料理はできないが、買い物ならできる。明日は私も同行する」2人は声を揃えて宣言した。


いかにも従兄弟らしい、この瞬間だけは見事な連携を見せた。


白石香澄は東雲たくまと篠宮初音が接触するのを快く思わず、「買い物にそんなに大勢必要ですか…」と口を挟んだが、


「これで決まりだ」


言葉が終わる前に、東雲たくまの鷹のような鋭い視線が刃物のように飛んできた。



長年トップに君臨してきた男の威圧感に、誰も反論できなかった。


そう言い残すと、彼は部屋に戻り、他のメンバーもそれぞれ散っていった。


東雲たくまはスタッフに部屋のカメラを切らせると、すぐにオンライン会議を開始した。


東雲明海と九条天闊も同様に、昼は番組収録、夜は仕事に没頭し、恋と事業を両立させていた。


翌朝、6時前に篠宮初音が起きると、自分が一番乗りかと思いきや、九条天闊も既に起きていた。


天闊の視線を受けて、篠宮初音は少しぎこちなく、表情が固くなった。


しかし九条天闊は自然に「おはようございます、スイートハートさん」と挨拶した。


篠宮初音は一瞬たじろいだが、すぐに「おはようございます、九条先輩」と返した。


互いの正体を知りながら、2人は初対面を演じていた。


九条天闊は、篠宮初音が「スイートハートさん」の正体を明かしたくないことを理解しており、番組内での初対面という設定に協力していたのだ。


「今から市場に行きませんか?」九条天闊が提案すると、

篠宮初音が頷くのを見て、彼の口元に安堵の笑みが浮かんだ。


この時間なら東雲たくまと東雲明海はまだ寝ているはずで、うまく避けられる計算だった。


愛する人と買い物をし、料理をする。


それは彼が夢見てきた光景だった。


唯一残念なのは、スタッフが撮影に同行することぐらいだ。


2人は近くの市場へ車で向かった。


運転は篠宮初音が担当した。


初音は九条天闊が歩けるようになって間もないことを気遣い、無理をさせたくなかった。


番組スタッフもこの点を考慮し、天闊に様々な便宜を図っていた。


車内は沈黙が続いたが、同行スタッフが懸命に話題を振り、場を和ませようとした。


篠宮初音は普段スーパーで買い物することが多く、市場を訪れるのは初めてだった。


朝食を取っていなかった2人は、九条天闊の提案でまず食事をすることにした。


清潔な店に入ると、九条天闊は先にテーブルと椅子をウェットティッシュで丁寧に拭き、篠宮初音を座らせた。


その様子を見て、篠宮初音はふと、初めて焼肉屋に行った時のことを思い出した。


あの時も天闊は同じように細やかな気遣いを見せていた。


ラーメン二つと餃子二人前を注文した。


餃子は一人分10個で、篠宮初音は5個で満腹になり、残りは全て九条天闊が食べた。


同行スタッフも朝食を取っていなかったため、九条天闊の提案で一旦撮影を中断し、別のテーブルで食事をすることになった。


ようやく2人きりで話せる機会を得て、篠宮初音は堰を切ったように質問を浴びせた。


「九条先輩はずっと私を監視してたんですか?スイートハートさんが私だと最初から知ってたんでしょう?いつ気づいたんですか?」


以前、怪我をした際に九条天闊が送ってくれた車の中で、彼女の歌う『雨の夜』と『晴天』がリピートされていたことを思い出した。


あの時、彼は「スイートハートさんのファン」だと語っていた。


つまりその時点で、いやもっと前から、天闊先輩は真相を知っていたに違いない。


「監視」という言葉に、九条天闊は思わず眉をひそめた。


しかし返答する間もなく、篠宮初音の質問攻めが続く。


テーブルの下で、天闊は初音の手をそっと握り、指を絡めていった。


「九条先輩、離してください」篠宮初音は声を抑えながら手を引こうとしたが、逆に強く握り返された。


スタッフに気付かれるのを恐れ、初音はこれ以上騒げず、そのまま手を握らせておくしかなかった。


「九条先輩、こんなことしなくてもいいのに」初音自身、いつか天闊を愛せるかどうか確信が持てなかった。


しかし篠宮初音は知らなかった。


九条天闊にとっては、ただ愛し続けることが許されるだけで十分だったのだ。


彼は何も言わず、ただ彼女の手をより強く握りしめた。


どんなことがあっても、決して離さない、というメッセージを込めて。


最近の九条天闊はますます我が強くなっていると篠宮初音は感じていた。


しかしそれは東雲たくまの押しつけがましさとは違い、彼女が抵抗できないような優しさに包まれていた。


3つの質問に対し、九条天闊は最後まで答えなかった。


しかし篠宮初音には、もう答えは必要なかった。


心の奥底では、とっくにわかっていたからだ。

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