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第62話

東雲たくまの頬が冷たい壁に押し付けられ、顔が歪んでいた。


「九条くん、手を離せ!明海、早くこの人を引き離せ!」と罵声を上げる。


「これは僕の管轄外だ」。

しかし東雲明海は微動だにせず、むしろ高みの見物のような冷めた視線を向けながら、内心では同じことをしたいと思っていた。


九条天闊はすでに最大限の自制をしていた。


東雲たくまを床に叩きつけて踏み潰さないだけでも慈悲と言える。


だが、東雲たくまが初音に与えた傷を思い出すと、この畜生を殴り殺したい衝動に駆られた。


突然トイレのドアが開き、三井健治が現れた。


この光景を見ても驚く様子もなく、「気にしないで。続けて」と淡々と言い、小便器に向かってジッパーを下ろした。


九条天闊が手を離すと、東雲たくまは反撃しようとしたが、東雲明海が二人の間に立ちはだかり、「撮影中だ。傷ついた状態で外に出たいのか?」と低く唸った。


東雲たくまも怒りに任せて暴走するほど愚かではない。


ここで乱闘になれば、初音は自分が九条天闊をいじめていると誤解し、さらに距離を置くだろう。


だが実際にいじめられているのは自分なのに!


東雲社長は悔しさと怒りで煮えくり返りながらも、一時的に感情を抑え込むしかなかった。


三井健治は手を洗いながら、依然として張り詰めた空気を感じ取り、「本当に気にしないで。俺はもう出るから」と茶化した。


アンナたちは早くからトイレの物音に気づき、三井健治に見に行かせたのだ。


やがて四人が順番に現れると、それぞれ怒りの表情を浮かべていた。


特に東雲たくまの顔色は最悪で、赤く腫れた頬が先ほどの衝突を物語っていた。


誰の目にも、この三人がスイートハートさんを巡って争っていることは明らかだった。


番組スタッフは早速"仕掛け"を開始した。


前日の花贈りの結果に基づき、仮想カップルでデートさせることに。


すなわち、アンナ&九条天闊、鈴木早紀&東雲明海、白石香澄&東雲たくま、篠宮初音&三井健治と四組のデート。


この結果に三人の表情が同時に曇った。


誰も初音と組めなかったのだ。


しかし考えてみれば全員同じ条件だし、三井健治に脅威はなさそうだ。


カメラが捉えた三人の表情変化は実に見事だった。


白石香澄はこの結果に満足し、アンナと鈴木早紀は無関心、篠宮初音は明らかに安堵の息をついた。


四組の仮想カップルはそれぞれ別の方向へ散っていく。


東雲たくまは猛烈な勢いで歩き出し、白石香澄とのデートなどする気がない。


「たくま、待って!私たちデートでしょ?」白石香澄が泣きそうな声で追いかけるが、


東雲たくまは撮影中かどうかも気にせず、「ついてくるな!撮影もやめろ!」と怒鳴った。


白石香澄の目から涙が溢れ、スタッフも呆然。


この状況で追跡を続けるべきか?


このままでは東雲社長が暴力に及ぶ可能性すらある。


スポンサー企業の御曹司だけに、これ以上は危険だ。


第一組目の仮想カップルは早くも崩壊した。


東雲明海の方は比較的穏やかだった。


不本意ながら紳士的に振る舞い、鈴木早紀にも配慮を見せた。


ただし距離感は隠せない。


鈴木早紀はそれを感じ取りつつも気にしない。


東雲明海の成熟した落ち着き、良家の育ちならではの振る舞い、そして何よりそのルックスと財力——惹かれない方が難しい。


彼女は東雲明海がスイートハートさん目当てだと察していたが、諦めるつもりはない。


自分だって美人で条件はいい。


名家の御曹司を射止めれば、芸能界で苦労する必要もなくなる。


数秒のうちに鈴木早紀は決意した。


この番組で東雲明海を落とし、華族の奥様になるのだ。


「明海くん、ホラー映画でも見に行きませんか?」と甘い声で提案した。


第二組は崩壊せず、むしろ鈴木早紀の仕掛けたホラー映画デートへと発展。


恐怖な雰囲気を利用して距離を縮めるつもりだ。


アンナは芸能界で十年以上のキャリアを持つベテランだ。九


条天闊の礼儀正しいが距離を置く態度に、彼女も程よい距離を保ち、カフェで静かに過ごした。


奇妙な平和さがそこにはあった。


九条天闊はデート相手を放って初音を追いかけるような真似はできない。


しかし心は穏やかではなかった——初音と三井健治は今何をしている?親密な行動は?初音の魅力に三井も魅了されるのではないか?


その焦燥感は表情に表れており、アンナはすべてを見透かしていた。


コーヒーを一口飲み、「九条さんがこの番組に出たのは、スイートハートさんのためですね?」と核心を突いた。


九条天闊は隠さず、「そうです。彼女のためです」と答えた。


アンナは予想通りだと笑みを浮かべ、「では、あのお二人の東雲さんもスイートハートさん目当てなのでしょう」と言った。


九条天闊は答えず、眉をひそめた。


アンナはそれだけで全てを理解した。


やはり三人の男がスイートハートさんを巡って争っているのだ。


アンナの好奇心はさらに膨らんだ。


スイートハートさんにはいったいどんな魅力があるのか?三人の優れた男を憑りつかれたように惹きつけ、わざわざ恋愛バラエティ番組まで出演させるほどの?

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