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第68話

あの火事のことは、東雲たくまにも覚えがあった。


あの日、たくまはA大学に白石香澄を訪ねたが、女子寮で火災が発生し香澄が閉じ込められたと聞いた。


体に水をかぶると、無謀にも火の中へ飛び込んだ。


しかし香澄は見つからず、代わりに目にしたのは、見知らぬ男子に抱きかかえられ意識を失った篠宮初音だった。


炎が迫る中、たくまはとっさに初音を抱えて外へ駆け出した。


後で香澄が別の者に救出されたと知り、安堵したものだった。


今思い返せば、背筋が凍るような後悔と恐怖が襲う――もしあの時初音を助けていなかったら…


だがそれ以上に、たくまは烈火の如く嫉妬した。


命懸けで初音を守ろうとしたあの男は何者だ?


きっと炎の中で死んだのだろう...


「東雲さん、あの時命がけで私を助けてくれて...感謝しています。命の借りは返しました」初音の声は静かながらも揺るぎない決意に満ちていた。「だからもう、私を解放してください」


東雲たくまはハッとした。


初音がここまで自分を許してきたのは、単なる愛情ではなく、自分が彼女を救いに来たと誤解していたからか?


しかし真実は香澄を救うためで、初音は偶然助けたに過ぎない。


もしこの事実を知られたら...!


冷や汗が背中でいっぱいだった。


だが同時に、この秘密は香澄や友人たちも知っている。


特に、かつて喜ばせようと香澄に真実を話してしまった。


もはや爆弾を抱えているようなものだ。


「大丈夫、もうバレない...」自分に言い聞かせながらも、表情は不安と安心を繰り返していた。


初音はその様子を冷静に見つめていたが、詮索する気もなかった。


番組収録中とはいえ、これ以上の付き合いは御免だ。


カメラマンたちは険悪な空気に気づいていた。


これはもうデートではなく、喧嘩寸前だ。


スタッフ同士で視線を交わす。


まさかスイートハートが東雲を殴るんじゃ...?


A大学のこと、特に東雲たくまに関わるものは全て初音を息苦しくさせた。


初音が先を歩き、たくまは罪人のように後を追う。


突然、たくまは初音の手首を掴んで走り出した。


スタッフが必死に追うも、すぐに見失ってしまった。


「どうする?」


「諦めろ...見つかるわけないだろ」


「初音、俺...去勢手術を受ける」

一方、東雲たくまは初音を森の奥へ引きずり込み、木に押し付けた。


初音は眉をひそめ、また狂ったことを言い出したと思った。


「子供ができなくした罰だ。これで...許してくれるか?」たくまの狂気はますます深まっていく。


初音が振り払おうとすると、「本気だ! 今すぐ病院へ行こう!」とたくまが叫んだ。


「いい加減にして!」初音の怒りが爆発した。「もう終わったの! 何度言えばわかる? 二度と愛せない!」


その言葉は東雲たくまを完全に打ちのめした。


「ダメだ...お前なしでは生きられない...もう一度だけ...」


「愛したのが間違いだった。お願いだから、放っておいて」


東雲たくまは理性を失い、無理やりキスを迫った。


初音は迷わず金的を蹴り上げた。


もし当たっていれば、去勢手術しなくてもは済むような一撃だった。


かろうじて大腿部で受け止めたたくまは、膝をついて悶絶する。


初音が逃げる背中を見ながら、這うようにして追いかけた。


森を抜けた初音は、捜索中のスタッフと鉢合わせした。


「スイートハートさん! 東雲さんは...」


その時、足を引きずりながら森から出てくる東雲たくまの姿が現れた。


スタッフのは多分、たくまが森で乱暴しようとして、蹴られたと推測していた。


「転んだだけだ」東雲たくまが冷たく言い放った。


誰が信じるもんか、でも突っ込むのが面倒なことになっちゃうから、とスッタフたちは黙ることにした。

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