あの火事のことは、東雲たくまにも覚えがあった。
あの日、たくまはA大学に白石香澄を訪ねたが、女子寮で火災が発生し香澄が閉じ込められたと聞いた。
体に水をかぶると、無謀にも火の中へ飛び込んだ。
しかし香澄は見つからず、代わりに目にしたのは、見知らぬ男子に抱きかかえられ意識を失った篠宮初音だった。
炎が迫る中、たくまはとっさに初音を抱えて外へ駆け出した。
後で香澄が別の者に救出されたと知り、安堵したものだった。
今思い返せば、背筋が凍るような後悔と恐怖が襲う――もしあの時初音を助けていなかったら…
だがそれ以上に、たくまは烈火の如く嫉妬した。
命懸けで初音を守ろうとしたあの男は何者だ?
きっと炎の中で死んだのだろう...
「東雲さん、あの時命がけで私を助けてくれて...感謝しています。命の借りは返しました」初音の声は静かながらも揺るぎない決意に満ちていた。「だからもう、私を解放してください」
東雲たくまはハッとした。
初音がここまで自分を許してきたのは、単なる愛情ではなく、自分が彼女を救いに来たと誤解していたからか?
しかし真実は香澄を救うためで、初音は偶然助けたに過ぎない。
もしこの事実を知られたら...!
冷や汗が背中でいっぱいだった。
だが同時に、この秘密は香澄や友人たちも知っている。
特に、かつて喜ばせようと香澄に真実を話してしまった。
もはや爆弾を抱えているようなものだ。
「大丈夫、もうバレない...」自分に言い聞かせながらも、表情は不安と安心を繰り返していた。
初音はその様子を冷静に見つめていたが、詮索する気もなかった。
番組収録中とはいえ、これ以上の付き合いは御免だ。
カメラマンたちは険悪な空気に気づいていた。
これはもうデートではなく、喧嘩寸前だ。
スタッフ同士で視線を交わす。
まさかスイートハートが東雲を殴るんじゃ...?
A大学のこと、特に東雲たくまに関わるものは全て初音を息苦しくさせた。
初音が先を歩き、たくまは罪人のように後を追う。
突然、たくまは初音の手首を掴んで走り出した。
スタッフが必死に追うも、すぐに見失ってしまった。
「どうする?」
「諦めろ...見つかるわけないだろ」
「初音、俺...去勢手術を受ける」
一方、東雲たくまは初音を森の奥へ引きずり込み、木に押し付けた。
初音は眉をひそめ、また狂ったことを言い出したと思った。
「子供ができなくした罰だ。これで...許してくれるか?」たくまの狂気はますます深まっていく。
初音が振り払おうとすると、「本気だ! 今すぐ病院へ行こう!」とたくまが叫んだ。
「いい加減にして!」初音の怒りが爆発した。「もう終わったの! 何度言えばわかる? 二度と愛せない!」
その言葉は東雲たくまを完全に打ちのめした。
「ダメだ...お前なしでは生きられない...もう一度だけ...」
「愛したのが間違いだった。お願いだから、放っておいて」
東雲たくまは理性を失い、無理やりキスを迫った。
初音は迷わず金的を蹴り上げた。
もし当たっていれば、去勢手術しなくてもは済むような一撃だった。
かろうじて大腿部で受け止めたたくまは、膝をついて悶絶する。
初音が逃げる背中を見ながら、這うようにして追いかけた。
森を抜けた初音は、捜索中のスタッフと鉢合わせした。
「スイートハートさん! 東雲さんは...」
その時、足を引きずりながら森から出てくる東雲たくまの姿が現れた。
スタッフのは多分、たくまが森で乱暴しようとして、蹴られたと推測していた。
「転んだだけだ」東雲たくまが冷たく言い放った。
誰が信じるもんか、でも突っ込むのが面倒なことになっちゃうから、とスッタフたちは黙ることにした。