いつの間にか、篠宮初音はすでに涙で顔が濡れていた。
私がまったく知らない歳月の中で、天闊がこんなにも多くのことをしてくれて、黙々と耐え続けていたなんて。
もし最初に愛したのが東雲たくまではなく、もしもう少し早く背後からのこの愛情深いまなざしに気づいていたら......
どれほど良かっただろう?
涙でぐしゃぐしゃになった彼女を見て、天闊は胸が痛むように身をかがめ、涼やかな唇で優しく、少しずつ初音の頬の涙にキスした。
「よしよし、もう泣かないで。こんなことを話したのは初音を悲しませるためじゃない。僕の胸が痛むから」天闊の声は優しかった。
篠宮初音はもともと泣き虫ではない。
白石香澄に陥れられ、東雲こうに辱められ、世間から嘲笑されても、涙を見せたことはなかった。
ただ子供を失った時だけは泣いた。
だが九条天闊の前では、子供のように思い切り涙を流すことができた。
この瞬間、初音は悟った。
深く愛してくれる人の前で涙を流すのは弱さではなく、相手のことを完全に信頼・依存しているのだ。
初音は心から幸せだった。
九条天闊のことをこんなにも信頼できるなんて。
初音はさらに多くの糸口を思い出した。
「天闊、『スイートハートガーディアン』は......あなたよね?」天闊を見つめる初音の目は確信に満ちていた。
「それと......私が前に借りていたあのマンション、実はあなたのものだったのよね?」不動産屋の不自然な態度を思い出した。
当時はただ変だと思ったが、今考えれば、誰かからの指示で、どんな手段を使っても私にその部屋を貸すようにしていたに違いない。
九条天闊は否定せず、潔く認めた。
「ああ、『スイートハートガーディアン』は僕だ。あのマンションも僕のもの。君が部屋を探していると知って、仲介業者に何としてでも君に入居させるよう頼んだ」
天闊は初音に近づきたかった。
もっと近くで見守りたかった。
突然、篠宮初音は手を伸ばし、天闊のシャツの襟をしっかりつかんでぐいっと引き寄せた!
二人の唇はほとんど触れんばかりで、互いの息が感じられる距離。
初音の目には危険な輝きが宿っていた。
「九条社長、私と隣人になるために、随分と苦心なさったのね。どうしようかしら......ご褒美をあげるべきか、罰を与えるべきか」
......
松本玲子は1階のリビングのソファに寝転がり、上の空でリモコンを操作していた。
テレビ番組を次々と切り替える。
あくびが止まらず、生理的な涙で視界がぼやける。
壁の時計を見上げると。
午前1時!
もう限界、寝なきゃ!夜更かしは美容の大敵、特に彼女のような「年頃」の人間にはね。
小じわが増えたら、どんなパックでも取り返しがつかない!
テレビを消し、立ち上がろうとした瞬間、ドアの鍵が開く音が聞こえた。
初音が帰ってきた。
二人とも一瞬固まった。
「玲子姉?こんな時間まで起きてたの?」篠宮初音は驚いた様子。
松本玲子はまたあくびをした。
「今から寝るとこよ。なんでこんな遅くに帰ってくるの?九条社長が引き止めなかった?」玲子の声にはからかいが混じっていた。
もちろん九条天闊は引き止めたが、篠宮初音は帰ることにした。
その理由は......初音自身もよくわからなかった。
「玲子姉、話があるの。私──」篠宮初音が言いかけると、
「ストップ!寝るのが最優先!話は明日にしよう!」
松本玲子はすぐに手を挙げて制止した。
玲子は顔を揉みながら、小じわを警戒し、ふらふらと階段を上っていった。
美容のために睡眠は譲れない!
夜が明け始めた頃、耳をつんざく着信音が松本玲子の夢を粉々に引き裂いた。
玲子はイライラしながら布団をかぶった。
昨夜遅くまで起きていて、携帯の電源を切るのを忘れたのだ!
だがその着信音は鳴っては止み、止んでは鳴り、しつこく続く。
松本玲子は我慢の限界に達し、「すっ」と起き上がり、ぼさぼさの頭で朝の不機嫌が頂点に!
どこの間抜けが安眠を妨げるんだ?!
見もせずに携帯を取り上げ、普段の玲子らしからぬ怒声をぶつけた!
怒りをぶつけてやっと少し落ち着いた時、受話器の向こうからはしょんぼりとした男の声が聞こえてきた。
「玲子姉......怒り収まった?わざと起こしたわけじゃないんだ......ただ......玲子姉の声が聴きたくて......」
その声は......三井健治?!
「......三井健治さん?」
松本玲子は胸をドキンとさせ、聞いた。
「はい、僕です、玲子姉」相手はすぐに認めた。
確認すると、松本玲子は二つ返事で電話を切り、即座に健治の番号をブロックした!
38歳にもなって、ガキの遊びにつきあってられるか!
電源を切り、ベッドサイドテーブルに放り投げ、二度寝の準備をした。
横になった瞬間、ノックの音と篠宮初音の声が聞こえた。
「玲子姉、起きた?入ってもいい?」と。
「......」
起きてないと言いたいけど、言えるか?
「......起きたよ、どうぞ、入って」仕方なく答えた。
「玲子姉、今夜は天闊の実家でご両親と一緒に食事するの。一緒に贈り物選んでくれない?」篠宮初音がドアを開け、早速本題に入った。
「......」
朝っぱらからラブラブな様子を見せびらかすとは!
しかし、このスピードには確かに驚いた。
付き合って2日目で相手の両親に会い、それなら、3日目で入籍、4日目で出産か?!
松本玲子のアドバイスを受け、篠宮初音は最終的に九条の父親には上質な南部鉄器の茶器セットを、九条の母親には高級スキンケアセットを選んだ。
年齢に関係なく、女性にはスキンケアセットを送るのは無難だろう。
買い物を終え、時刻は正午近くになっていた。
「玲子姉、ありがとう。お昼ごちそうするよ!」篠宮初音が言った。
「いいわね!九条社長も呼びましょう!」松本玲子が提案した。
「彼は忙しいかも......」
「どんなに忙しくても食事はするでしょ?」
「わかった、聞いてみる」
その頃、九条財閥の会議室では重苦しい空気が漂い、緊張が張り詰めていた。
重要な会議が山場を迎え、出席者は息を殺していた。
突然、九条天闊の私用携帯が鳴った。
周囲の驚く視線の中、天闊はためらわずに電話に出た。
ついさっきまで冷徹な冰のような表情が一転して春の陽のように柔らかくなり、声は優しくなった。
「うん......大丈夫、こっちは忙しくないから、すぐ向かう」周囲を気にせず話し続けた。
電話を切った瞬間、その優しさが消え、モードの変わりようはロケットよりも速かった。
一瞥するや、「ここまでだ」と簡潔に宣言し、立ち上がって去っていった。
呆然とする重役たちを後に残して。
……
******
時雨桜はこっそりと初音のいる町にやってきて、兄の時雨快晴には内緒にしていた。
桜はずっとこの「兄の嫁さん候補」に会ってみたかった。
今、桜はショッピングモールの隅に身を潜め、信じられない光景を目にしていた。
彼女の未来の「義姉」篠宮初音が、とびきりハンサムな男性とラブラブしながら歩いている!
その男は親切にも初音の買い物袋を持ってあげている!
時雨桜は瞬間的に怒りに燃えた!
兄が浮気されてる?!
すぐさま携帯を取り出し、その目に余る光景を何枚も撮影し、時雨快晴に即送信した。
【兄さん!彼女さんが浮気してる!別の男とイチャイチャしてる!こんな女、兄さんにふさわしくない!すぐ別れて!!!】
メールを送った後、時雨桜はまだ腹の虫が収まらなかった。
兄のためにもっと正義を執行しなければ!
深く息を吸い込み、怒りに満ちた胸を抱えて、桜はまっすぐ篠宮初音の方へ突進していった!