あれから二週間が経った。
その間は特に何事もなく、至って平和であった。もちろん暗殺の仕事をこなしていたので俺が平和を守っていたとも言えなくはない……かもしれない。
まぁ、そんな冗談はさておき。
いつも通り依頼を終えた頃、しばらく静かだったルナイアが突然話しかけてきた。
『今宵、再びあの場所へ行くがいい。あのお方はいつでも貴様を待っている』
「あの場所――もしかして、自殺屋敷のことか?」
『月のない夜は、逢瀬に相応しいこと間違いなしだ』
「おい、質問に答えろよ。……まいっか。多分この感じで外すこと無いだろ」
そうして夜も更け、俺たちはあの場所へと赴いたのだった。
「久しぶりだね。元気にしてたかな?」
「あ、あぁ……元気だ。ロスタリテはどうなんだ?」
この前と、全く変わらぬ場所に、全く変わらぬ出で立ちでその少女は――ロスタリテはいた。
未だ変わらぬその美貌に、つい見惚れて言葉を忘れかけてしまったが、なんとか気を取り直して問いかけることが出来た。
……そろそろ慣れないと、会話も碌に出来ないかもしれないな。
「仕方ないこととはいえ、会えなくて寂しかったよ。この月のない夜に来てくれて嬉しいなっ」
「当然さ。なにせこの力をくれた、恩人とも呼ぶべき人の招待に応じない理由はどこにもない。これがなければ、今頃俺は死んでいる」
「ふふっ、それは良かった。君の役に立てて私はとても幸せだよ」
そう言ってロスタリテは微笑んだ。それと同時に、俺の心臓が強く鼓動を打つ。
「それで一つ聞きたいんだけど、いい?」
「あぁ。なんでも答えよう」
「――ねぇ、その女はだぁれ?」
瞬間、背筋が凍った。魔法を使われた痕跡はないのに、にっこりと笑う顔がなぜか俺を冷たく射抜く。
「っ……」
あまりの恐怖に言葉が出ない……こ、怖い、怖すぎる……
「ご、ご主人様……この威圧感は……いったい……!」
「ご主人様ぁ? あら、とても仲が良いんだねっ!」
あ……やばい……意識が……遠のいて――
「あああ!! ごめんシェレム……つい加減を間違えちゃったよ……」
「はぁ……はぁ……やっと息ができる……!」
おかしいだろ!? これでも俺は歴戦の暗殺者だよ!?
なんで美少女の睨み一つで心臓までもが固まってるんだ……いやロスタリテがすごすぎるのか。いやそれでも!
「まぁまぁ。確かロスタリテ、と言っておったか。何の用だったんじゃ?」
「そのことねぇ……単刀直入に言わせてもらうけど、なぜ七大古龍が一つ、
「おるど……?」
またまた聞き覚えのない言葉。本当に俺の知らない世界に首を突っ込んでいるんだと痛感するね。
あとグレイラがとんでもなくやばいことも改めて理解したよ……
「シェレムは知らないのか。ま、簡単に言えばニックネームみたいなものだよ」
「説明が雑だなぁおい!?」
「仕方ないでしょ時間ないんだから。それで
契約を重んじる……なるほど、確かにそうだろうな。伝統と契約を重視しているのは初対面のときから強く印象に残っていた。なにせ一番最初の呼び方から「ご主人様」だし。
「もちろんじゃ。ご主人様と契約を結んでおる相手とならば文句はあるまい」
「なら、すぐに終わらせてしまおう――《|逆天主護《ガディア》》」
ロスタリテが手を伸ばすと、その手のひらに魔法陣が広がった。そして吹き始める風――それは二週間前と似て非なる光景であった。
「これは……! 力が溢れてくる!」
「それはよかった。それじゃ、あそこにいるゴミを倒しておいて。じゃあね~」
「ゴミ……? っておい!」
どこか遠くの方を指さした隙に忽然と消え失せやがった! さては面倒事があって逃げたんだな?
「チッ……あの女を逃がしてしまったか。まぁよい。絶好の相手がそこにいるのだからなァ!」
夜空にぽつんと浮かぶ、緑の翼がついた女。それがだんだんと近づいてくるのが分かる。
「
「……うるさいのぉ。我は昔からお前みたいなハエが嫌いなんじゃ」
す、すごい。グレイラが本気で嫌な顔をしている……! 出会ってから一度も見たことのないような顔……グレイラをそうさせる、この女は何者なんだ?
「そういうところは変わってねぇなァ! じゃあ、選べよ。そこの男を差し出すか、お前がその身を差し出すか!」
「どっちも断固拒否じゃ。ではシェレム、あの技を使ってみい。多分余裕で殺せるぞ」
「「あの技……?」」
奇しくも緑女と声が重なった。なんだか業腹だが、実際俺も分かっていないのだから仕方ない。
「あのカッコいい技のことじゃ。我を救ってくれた、あの」
「……それでいいのか? 今まで試したのは雑魚ばっかりだったし、少し心配なんだが」
「大丈夫じゃ。こいつ、多分何も対策しておらん」
「あぁもうさっきから腹が立つなァ……もういい、さっさと死ね! 〈scattered|切られよ刻まれよ〉
発動された魔法、それはなぜか天使の使ったものと一緒の形式だった。その瞬間にこの緑女が異常なことに気がつく。
空中から大量に迫りくる緑の――風の刃。それは嵐とすら表現できるほどの多さ。もし触れたならすぐに細切れになるのは間違いない。
しかし、グレイラは呑気に言葉を紡ごうとしていた。
「せーのでいくぞ。せーの!」
「えっちょっ――」
「「【時よ、我々を待て】」」
心に広がる焦燥が、一瞬にして静まり返る。湖面が静止するように、精神の乱れが収まる。
暗殺の依頼のときに何回か試していたが、ここまでの効果が出るのは初めてだ。何か規則性はあるのだろうか……なんて考えている場合じゃないな。時間の流れは、完全には止まっていないのだろうし集中しないと――
「何を呆けておる。今、完全に世界が止まっているのじゃから、此奴を始末するのも簡単じゃぞ?」
「完全に……?」
予想を裏切った言葉に驚き、ふと辺りを見回してみる。
目の前にある刃は一切動いていない。
微かに吹いていた風も感じない。
それに揺られていた草花も動いていない。
動いているのは、俺とグレイラ、ただ二人のようだ。
「さぁ、この状態ならば出来るじゃろう。ナイフは持っておるな?」
「あぁ」
内側の胸ポケットにあるナイフを取り出し、あの時と同じように波動を流し込む。
そして、半ば狂乱した顔の女の心臓に向かって、ロングソードと化したナイフを突き刺す。
「……」
そこに声はなかった。自分が今、殺されていることなど知らないから。
彼女の脳内には、俺たちを蹂躙している情景が浮かんでいることだろう。この非情な現実を見ずに死ねるのは、もはや幸福とすら言えるかもしれないな。
「かかっ! これで
「……はぁ!?」
こ、こいつ亡霊だったのかよ――!!!!