チェルムは感知魔法に反応しない自身の特性を利用して、こちらの背後を取ることができる。
現に俺は二度も背後を取られた。
だが、チェルムの性格的にここで背後を取ってくることは有り得ない。
彼女の望みはあくまで正面からの戦闘であり、動機が遊興であるからだ。
俺は常に相手の行動選択の幅を狭めながら戦う。
今回はチェルムが自負しているであろう速さの対決に持ち込んだ。
これにより、チェルムは暗殺者特有の各種絡め手を使うことが非常に難しくなった。
肉弾戦より魔法を得意とする賢者相手に、この勝負から“逃げた”とあっては実質的に敗北である。
普通の暗殺者ならばともかく、チェルムはこれをよしとしない。
こちらが正面から挑む構えを見せれば、応じるしかない。
とはいえチェルムの間合いに到達されたら、俺の
だから、俺の全速攻撃は爪より先に剣が届く、ほんのわずかな間隙にしか放てない。
幸い、シエリの
ちなみに、ここまでの俺の考えは十中八九チェルムにも読まれているはずだ。
そこまで読み切られた上で
もはや言葉は不要。
どちらが
先に仕掛けてきたのはチェルム。
一歩目からトップスピード。
音すら置き去りにされる。
神速と呼ぶに相応しい。
攻撃手段は抜き手。
爪による刺突。
狙いは心臓。
俺は――
刹那、俺の魔剣は黒鱗を貫いてチェルムの肩口に突き刺さっていた。
爪はかろうじて俺に届かず。
勝敗は決した。
「最高です。これでチェルムは……」
敗北したにもかかわらず。
本当に幸せそうな笑みを浮かべながら、チェルムは崩れるように倒れ伏した。
その光景を見下ろしながら
「えっ。本当になんだったんだ、この戦い」
俺は正気に戻った。
◇ ◇ ◇
「いやあ、実にいい戦いでしたね」
あれからいろいろあってから、離宮の庭園に戻って昼食を摂ることになったわけだが。
何食わぬ顔で料理を運んできたチェルムの放った第一声がこれだった。
「あなたはいったいどういう神経をしているんだ? あれほどの死闘を繰り広げた後でケロリと……」
「まあまあ、いいじゃないですか。ふたりとも生きてたんですし」
よっぽどすっきりしたのか、チェルムの笑みは出会ったときよりも晴れやかだ。
ちなみに肩の傷は既に俺が
「ぜんぜん良くないわよ!」
「そうだそうだ。あれからシエリをなだめるのに三時間もかかったんだぞ!」
「なんですってぇ!?」
シエリに便乗したら、何故かシエリの怒りが再燃した。
しかし、譲る気はない。
今回ばかりは俺にも言い分がある。
「事実だろう。俺とチェルムが駆け落ちするなどという、根も葉もない妄想に囚われていたではないか!」
「まあ。駆け落ちですか」
チェルム、まんざらでもない顔をするな。
あなたとだけは天地がひっくり返ってもない。
「だってだって! いきなりあたしを閉じ込めてアーカンソーとふたりっきりでイチャイチャするなんて、完全に抜け駆けじゃない!」
俺が魔剣を抜いていて、チェルムが倒れている光景。
あれがどうしてイチャイチャに見えたのか?
シエリの思考回路はこれっぽっちもわからない。
「だいたい、あたしに協力するって話はどうなってたのよチェルム!」
「協力ならしましたよ? ああ、まったく。部屋で大人しく待っていれば、チェルムに勝利したアーカンソー様が『無事か、シエリ! 心配したぞ!』と駆けつけてくれる展開が待っていたでしょうに」
「……えっ? あっ!」
「今気づきましたか。これだから姫様は」
なるほど。
つまり、こういうことか。
チェルムはシエリに俺との仲を進展させるよう協力を依頼されていた。
だが、チェルムは俺とのやりとりで
しかも、協力の内容を詳しく知らされていなかったシエリは例によって思い込みから脱走した、と。
つまり今回の俺は主従のディスコミュニケーションに巻き込まれた被害者というわけだ。
……うん。
「俺、もう帰っていいよな?」