「やっ、やば……」
桜が後ずさる。百合子も、目を見開いて言葉を失っていた。
「ダメよ、序列を破っちゃ」
ワタシはそう言って、暴れようとする牡丹を床にねじ伏せる。
「この子は、ワタシのものなんだから」
黄金の眼で、百合子を見つめる。その目は、真祖から継いだ“命令”の目。
「――なんで、あたしを……?」
百合子の声が、かすれていた。
「知りたい?」
「……っ」
「ワタシをいじめた理由、教えてくれるかな?」
百合子の眼が揺れた。恐怖と、葛藤と、憧れ。
「親に……愛されてたアンタが、妬ましかった。ムカついてた。……ただ、それだけ」
ぽつり、と吐き出された本音。
「そっか。……貴女も、愛がほしかったのね」
ワタシはゆっくりと近づいて、その首筋に唇を寄せる。
「だったら、ワタシがあげる。永遠の愛を――ね?」
牙が、沈む。
被害者と加害者の立場が、静かに反転した。
百合子は、ワタシを傷つけた“敵”じゃなかった。ただ、愛されたいのに愛されなかった――そんな、迷子の子ども。
そっか。この子も、きっとずっと、もがいていたんだ。
ワタシは神様を信じるのをやめたけれど、それでも……“優しさ”まで捨てたわけじゃない。
ならきっと、これからは――愛に飢えた、寂しい子たちを救っていくのが、エリザとワタシの「使命」なんだと思う。
吸血鬼になったことに後悔はない、百合子もワタシに血を吸われて恍惚の表情をしていた。
そして、歓喜の涙を流しながら、子供のようにワタシを求めるように抱き着いてきた、
彼女の肌の色も……ワタシと同じように透き通るような青い肌に変わっていく。
安心して、ワタシはもう……同じ夜を生きる仲間なんだから。
こうして、ワタシは初めての吸血を成功させ、本当の友達を得る事が出来た。
さて、それじゃあ中途半端なままうずくまって苦しんでいる牡丹ちゃんと、怯えたままの桜ちゃんにも夜の安らぎをあげようかな。
牡丹ちゃん、太めの身体がコンプレックスだったんだろうけど、ワタシが血を吸った事で余計なものが削ぎ落され、見違えるような美人になっていた。
今の貴女、可愛いわよ。これからは……ワタシが愛してあげる。
桜ちゃんは牡丹ちゃんに抱きかかえられる形でワタシの前に差し出された。
怖がらなくてもいいのよ、そのコンプレックスのある身体……美しくしてあげる。
「怖がらなくていいわ、貴女も美しくしてあげる……」
ワタシが血を吸うと、桜ちゃんの身体に変化が見られた。
瘦せっぽっちだった身体は健康的で肉感的な美しさを得て、平たいコンプレックスだったであろう胸はしっかりと手に収まる柔らかさと膨らみを手に入れた。
「冷たいのに暖かい……これがアタシの本当の、居場所……」
ワタシが血を吸い終わると、桜ちゃんはワタシに寄り添いかかるように倒れてきた。
牡丹ちゃんが羨ましそうにしていたので、ワタシは彼女も腕で抱きしめ、百合子には唇でキスをしてあげた。
――こうして、ワタシは……心の許せる本当の友達を得る事が出来た。
それからの毎日は、驚くほど楽しかった。
――放課後の繁華街、百合子たちと並んで歩く。
「ここの餃子、前は大好きだったのに」
ふと漂ってきたニンニクの香りに、ワタシは反射的に顔をしかめた。
「どうしたの、ヒナタさま?」
「……なんでもない。ただ、ちょっと……匂いが、もう合わないみたい」
胸の奥がむかつく。昔のワタシなら、あんなに夢中で食べていたのに。
たったひと月前までは、牛丼の大盛りに紅しょうがを山ほど乗せていたのに。
ワタシはもう、“あの頃のワタシ”じゃない――。
人間のフリをして、百合子たちと一緒に放課後のカフェでおしゃべりしたり、ショッピングモールで他愛もない話をしたり――そんなことが、どうしてこんなに幸せなんだろうって、不思議に思うくらい。
昔なら、ワタシがお金を出させられていた。
お小遣いを巻き上げられたり、家の教会の寄付箱まで勝手に開けられて……それでも、何も言えなかった。
でも今は違う。百合子たちが、ワタシの分まで全部払ってくれる。
「当然でしょ」とでも言いたげに、ちょっと誇らしげな顔をして。それが、なんだか可笑しくて――愛おしい。
エリザは、少しだけ複雑そうな表情をしてた。
けれど、ワタシに“本当の眷属”ができたことを、ちゃんと褒めてくれた。
“眷属”。
従属でも、隷属でもない。
ワタシが与えた、ワタシだけの“愛の証”。
「百合子、喉が渇いたわ。トマトジュース……買ってきてちょうだい。今日は何本?」
「……わかりました、ヒナ様」
百合子はうなずくと、迷いなくコンビニへ向かう。
真っ赤なパックを二本――それは、今夜の“合図”。二人分の女の子を“用意した”という、言葉を使わない命令。
百合子も、桜も、牡丹も、もはや「いじめっ子」なんかじゃない。
家庭に問題を抱え、生きづらさに喘ぐ少女たち――彼女たちは、かつてのワタシと同じ“夜の迷子”。
魔眼の力で導かれ、今は“協力者”として、ワタシの眷属を集める役目を果たしている。
誰かに見捨てられ、居場所を失いかけた女の子たち。
その子たちを、ワタシは夜の中で抱きしめる。
血を与え、永遠の絆を刻む。苦しみや痛みを忘れさせてあげるのは、ワタシとお姉さまにしかできない“愛のかたち”。
……勝手に「大人になった」つもりの教師たちのことなんて、ワタシは知らない。
説教で救える命なら、とっくにこの世界は救われている。
ワタシの眷属になるのは、人生に悩みを持った女の子だけ。
迷子の夜を彷徨う、その子たちの涙に応えるために――ワタシは今日も、“血の契り”を交わし続ける。