ゴブリンロードは、さっきまで俺たちがいたところまでやってきた。
まるで痕跡に気づいたかのように足を止める。
ゴブリンは人間の小児ほどの大きさだ。
だが、ゴブリンロードは一般の成人男性の1.5倍ほど身長がある。
胴も足も、腕も太く、ゴブリンというよりオークに近い。
アリオとジョッシュはカタカタと震えている。
ゴブリンは雑魚だ。1対1ならFランク冒険者でも苦戦しない。
だが、ゴブリンロードとなると、1対1ではBランク冒険者でも危険である。
Fランク冒険者がいくら束になっても勝てる相手ではない。
Fランク冒険者であるアリオたちがゴブリンロードに怯えるのは当然だといえる。
ちなみにFランクは新人、Eは新人を抜け出したころ。
Dで一人前、Cで熟練、Bは一流、Aランクは超一流だ。
俺のSランクは歴史的に見ても、ごくわずかな人物しか与えられていないランクだ。
俺はアリオたちに向けて小声で言う。
「落ち着け」
「だが……」
Fランクパーティーなら、ゴブリンロードに遭遇した時点で全滅必至だ。
だが、俺はSランクなのだ。
俺は世界を滅ぼしかねない魔神王をソロで倒している。
俺にとって、ゴブリンロードごときは脅威ではない。
「いざとなれば、俺に任せてアリオたちは逃げろ」
「そんな、俺たちだけ逃げるなんてできません……」
10年前にも似たような会話を交わした。
少しだけ懐かしい気分になった。
「GAAAAAAAA」
ゴブリンロードは俺たちが近くにいることには気付いているようだ。
ゴブリン種は総じて鼻がいい。俺たちの臭いに気づいたのだろう。
だが、どこにいるかはわからないらしい。目はあまりよくないのかもしれない。
大声でわめきながら、武器を振り回している。
大きな鋼鉄のこん棒だ。坑道の壁に当たって、大きな音が鳴る。
岩が砕けて散らばった。
俺は注意深く、それを観察する。
ゴブリンロードぐらいはすぐ倒せる。だが、怪しい。
大きな群れを率いるゴブリンロードともなると、それなりに賢いものだ。
だが、このゴブリンロードに知性が感じられない。
近隣の村から家畜を少しずつ盗むというのがまずおかしく思える。
知性の無いゴブリンならば全部盗まないとおかしい。
30匹もいる群れだ。
家畜どころか、村人ごと全員さらわれていても、不思議はない。
まるで、小さなゴブリンの群れだと誤認させたがっているように見える。
それに、坑道の入り口に見張りを置いていた。
組織としてゴブリンたちを運用しようとしている証左だ。
目の前の、苛立って壁を殴りつけているゴブリンロードにできるとは思えない。
恐らく、さらに背後に何かいる気がする。できればそいつを逃したくない。
だからじっと俺は観察した。
ゴブリンロードが侵入者を仕留めきれないと判断したら出てくるかもしれない。
もしくはゴブリンロードが報告しに戻るかもしれない。
それを待った。
「GRAAA……AAA?」
吠えていたゴブリンロードが一瞬固まる。
「りゃああああああああ」
坑道の入り口方向から、何者かがまっすぐに駆けてきた。
速い。一気に間合いをつめると、ゴブリンロードに突きを繰り出す。
獣人の少女だ。なかなかの戦士に見える。
細身の剣を的確にゴブリンロードの急所へと繰り出している。
「GAAA!!」
巨体に見合わぬ速さで、ゴブリンロードは反応する。
巨大な鋼鉄のこん棒を木の枝であるかのように操って、少女の突きをすべていなした。
「雑魚が邪魔するなであります!」
少女は、巧みに間合いを詰めたり広げたりしてゴブリンロードを翻弄する。
だが、ゴブリンロードも、見事に対応して見せる。
両者とも致命的な一撃を与えられていない。膠着状態に陥った。
「すげぇ……」
アリオが、小さな声でつぶやいた。その瞬間、少女の耳がかすかに動く。
「そこにいる奴ら! 逃げられるなら今のうちに逃げるでありますよ!」
獣人だけあって、耳が非常にいいようだ。
「アリオ、ジョッシュ、とりあえず走れ」
「お、おう」
「わかりました」
「一応奇襲には注意しろ」
「う、うん」
アリオたちは側道から外に向けて駆けだしていく。
「GAA!」
ゴブリンロードはアリオたちを追おうとするが、
「させない!」
少女が牽制して防いだ。
俺は少女に向かって言う。
「手伝おうか?」
「逃げなかったでありますか!」
「逃げる必要がないからな」
「好きにすればいいであります。だが邪魔はするな!」
少女はゴブリンロードと真剣な表情で向きあっている。
邪魔をするなと言われたら、見守るべきだろう。
冒険者には色々な事情がある。手を出すのはやばくなってからでいい。
しばらく少女とゴブリンロードは互角の戦いを繰り広げた。
その力量は互角だった。差を分けたのは武器の差だ。
——パキッシ
軽い音がなって、少女の剣が砕けた。
鋼鉄の巨大なこん棒と何度も打ち合っていた。そうなるのは必然だ。
武器を失い、少女は防戦一方に追い込まれる。
それも武器で受けることすらできない。すべてかわさねばならない。
俺はもう一度問うた。
「手伝おうか?」
「いらないのです! お前もいいから逃げるのですよ」
腰から短刀を抜いて戦い始める。
だが、これまでの剣ですら倒すことが叶わなかったのだ。短刀が届くはずがない。
あっという間に短刀も弾き飛ばされる。
慌てて少女は、距離をとる。少女が直前にいた場所でこん棒が空を切った。
「ぐぅ……」
悔しそうに少女がうめく。
もう限界だ。少女が倒されるのも、時間の問題だろう。
「もう尋ねない。勝手にやらせてもらう」
「いいから逃げるでありま——」
「もともと、ここには俺が先着だ」
そういうと、俺は背中の剣に手をやった。