目的地に向かいながら、セルリスが聞いてきた。
「ロックさん。幻術を使う魔物って何がいるかしら?」
「さあな。あまり聞いたことないな」
「ヌエとかかしら?」
「ヌエは伝説上の魔獣だからなー。実在するのかどうか」
「そうなの?」
セルリスは首をかしげる。
ヌエは昔話の中に出てくる魔獣である。
雷を操り、怪しげな幻術で王都の民を怯えさせたのだという。
数百年前の勇者の伝説の一部である。
「顔が猿とか猫とか、胴体が虎とかタヌキとかニワトリとか。伝承からして謎すぎる」
「ということは、本当にヌエがいたら、生け捕りにして研究所に送れば……」
「喜ばれるかもな」
「ようし!」
セルリスは張り切っている。だが俺はヌエではないと思う。
ヌエよりもまだ、人間の幻術士の方が可能性があるだろう。
「ギルドもヌエかもしれないよって、クエスト票に書いたらよいのに」
「ギルドはヌエじゃないって思ってるんだろうさ」
「そうなのかしら」
ヌエの存在を疑うよりも、依頼者の混乱と判断するだろう。
まともなギルド職員ならそうする。
「そろそろ、最初の目撃証言があったところね」
「そうだな」
「出てくるかしら」
セルリスはワクワクしている。緊張感がないのが少し気になる。
一応、注意しておこう。
「緊張感ないな? 大丈夫か」
「大丈夫よ。気合は入っているから」
「そうか、ならいい」
さらにしばらく進むと、
「GOAAAAAAAAAAAA!!」
巨大な咆哮が響いた。
そして、どこからともなく、大きな竜が姿を現した。
大きさ的にはエルダードラゴンといったところだろう。
「で、でたわね!」
セルリスは剣を構える。
俺は冷静に観察する。本物の竜特有の威圧感が感じられない。
幻術だ。だが、見事な幻術だと思う。
威圧感以外は完璧である。
セルリスのひざが少し震えていた。幻術だということを忘れていそうだ。
「セルリス。好きにやれ」
「了解したわ!」
セルリスは突っ込んでいく。
Bランク相当というのは伊達ではない。かなりの速さだ。剣筋も鋭い。
竜は尻尾を大きく振るう。セルリスは横に飛んでかわした。
次に竜の爪。鋭い一撃がセルリスを襲う。
「なにを!」
セルリスは剣で爪を受け止める。見事な反応だ。
一撃、二撃、三撃。セルリスは巧みに受けるが、徐々に体勢を崩されていく。
そこに、再度尻尾の一撃。セルリスは宙に飛んでかわすしかなかった。
セルリスの動きを読んでいたかのように、竜の火炎ブレスが襲い掛かる。
避けようにも空中だ。セルリスには避けるすべがない。
「ぐああああ」
セルリスはブレスを食らって、地面に倒れる。
苦しみながらゴロゴロと転がっていた。
ダメージを受けたと脳が誤認識しているのだ。
素晴らしく精度の高い幻術である。
「見事だ」
俺は近くで見ているであろう術者に聞こえるよう、大き目の声で言う。
そして、竜に向かって突っ込む。
竜は再び吠えた。
「GRAAAA」
襲いかかってくる竜の尻尾を右手でかき消す。爪もかき消し、牙もかき消した。
幻術は魔法で構成されているので、ドレインタッチでかき消せる。
だが、尻尾も爪も牙も、すぐに再生する。
コア部分をどうにかしなければ、幻術自体は消えないのだ。
俺は一気に接近すると、竜の額に手を置いた。ドレインタッチを発動させる。
額がコア部分だと見抜いたのだ。
一気に幻術を構成する魔力を吸い取る。一瞬で竜の幻全体が消え去った。
同時に幻術のラーニングが完了する。
ちょっとした幻術めいたことなら今まででもできた。
だが、これほど精度の高い、実体を感じさせるほどの幻術は習得していなかったのだ。
使えたら、色々便利になると思う。
そうしてから、まだ転がっているセルリスに言う。
「いつまで転がってるんだ。幻術だぞ」
「ぐあああああ……ぁ? ほんとだ。痛くないわ」
「幻術と、まともに戦ったら負けるぞ?」
「そういうことは早めに言って欲しいわ」
「体で覚えないと、すぐ忘れるからな」
「そういわれたら、そうかもだけど」
すこしセルリスは不満げだ。
「セルリス。幻術は初めてか?」
「うん。そうね」
「実際に食らったかのように痛かっただろう?」
「痛かったわ。幻術って恐ろしいのね」
「普通の幻術は、そこまで痛くないぞ。術者が優れていたのだろう」
セルリスが首をかしげながら言う。
「ロックさん。幻術とまともに戦うなって言ってたけど……どうすればいいの?」
「術者を見つけて倒せ。それができなければ、逃げたらいいぞ」
「逃げるって、悔しいわ」
「負けるよりはいいだろ」
「そうかもしれないけど……」
俺はセルリスに怪我がないことを確認してから、周囲に向けて呼びかける。
「幻術使いよ。あなたの目的はわからないが、とりあえず話し合ってみないか?」
反応はない。警戒しているのかもしれない。
俺の呼びかけを聞いて、セルリスが驚いたような顔になる。
「魔獣じゃないの?」
「魔獣なら、これほど見事な幻術はつかえないぞ」
「そ、そうなのね?」
それからまた、俺は呼びかける。
「話し合いが決裂したとしても、日が暮れるまでは手を出さないと誓おう」
そう言って、俺は魔神王の剣を遠くに放り投げた。
「も、もったいないわ!」
「後で拾う」
「それならいいのだけど」
さらに呼びかける。
「あなたによる被害が少ないことは知っている。なにか隠したいものがあるのだろう?」
「…………」
「こちらも冒険者ギルドからのクエストを受注してきている。出てこなければ、問答無用で隠しているものが何かを調べに行くしかないぞ」
そう俺が言ってからしばらくたって、かなり遠くの空気がわずかにゆがんだ。
まるで、そこだけ空気ではなく、水面になっているかのような違和感がある。
光の屈折を操り、姿を隠していたのだろう。
距離があるとはいえ、今まで俺に居場所をつかませなかったのだ。
おそらく気配遮断の魔法も使っていたに違いない。
優れた魔法使いだ。
しばらくして、少年が姿を現す。セルリスやシアより若そうだ。
整った顔をしている華奢な少年だ。
そして、頭に生えている羊のような角が魔族であることを示していた。