今まで温和な表情で、丁寧で低姿勢だったゲラルドの豹変に、魔道具学部長は恐怖を感じた。
それに、鷲掴みにされた髪の毛がとても痛い。
ブチブチと髪の毛が抜けて、ちぎれる音がする。
「待ってくれ、ち、ちがう、違うんだ」
「いいや、違わない。なぜ魔道具を完成させない? もっと俺から金をとろうとでも思っているのか?」
「本当に違うんだ! 難しくて——」
「難しくて? たかが助教の魔道具だ、俺ならすぐにできるって言ったのはお前だろうが」
「だ、だけど、本当に難しくて」
「ということはなにか? お前は怠慢でも私を舐めているわけでもなかったと」
魔道具学部長は何度も何度もうなずいた。
「つまり、助教が完成間近まで完成させた魔道具を、完成させられないぐらいお前は無能ってことか?」
「…………」
自分を無能と認めることは、プライドの高い魔道具学部長にとって難しかった。
「おい」
沈黙した魔道具学部長を見て、ゲラルドが黒づくめの男に声をかけた。
「…………」
男は無言で消えると、すぐに戻ってくる。
その肩には布袋を担いでいた。
男は布袋を魔道具学部長の前に投げ捨てる。
「ぐぇ」
布袋の中からうめき声がした。
なにやら布袋の中には、生きた人が入っているらしい。
よく見たら布袋のいたるところが、血に染まって赤くなっている。
「だ、誰なんだ?」
「誰だと思う?」
そう言いながら、ゲラルドは布袋の口を開ける。
「ひっ!」
魔道具学部長は思わず悲鳴を上げた。
中に入っていた人物は首から上しか見えないが血まみれだ。
魔道具学部長には、まったく見覚えのない人物だった。
「ぅぁ……」
呻く血まみれの人物に対して、ゲラルドは、
「おい、お友達を連れて来てやったんだ。挨拶しろ」
「…………ぅぅ」
血まみれの人物は意識が朦朧としているようだ。
まともな言葉を発することができていない。
「ったく。おい、まだ気付かないのか? お友達だっていうのに」
「と、友達だと? 俺はこんな男を知らない」
「薄情だな、お前と仲のいい学院長だよ」
そういってゲラルドは笑う。
何か所も顔の骨が折れているようで、人相が全く変わっている。
髪の毛も力づくでむしられたようだ。頭皮が剥がれて血が流れていた。
首から上がこの状態なのだ。
恐らく首の下も、大変な状態になっているのだろう。
「私を舐めているようだったから『話し合い』をしたらこうなった」
「話し合いですか?」
魔道具学部長は思わず敬語を使っていた。
「お前が無能なら、生かしておく価値はないんだがな」
「私は、無能じゃないです」
「なら、舐めていたのか? 『話し合い』が必要か?」
「ち、違います!」
「違う? どう違うんだ?」
命の危険を感じた魔道具学部長は一瞬で頭を巡らせる。
「いえ、おっしゃる通りです。慢心があったのだと思います。申し訳ありません」
「ほう?」
「心を入れ替えて、すぐに完成させますので、どうかどうか、お許しください」
「ふむ」
すると、ゲラルドは笑みを浮かべる。
魔道具学部長が見慣れた、優し気でどこか卑屈な笑みだ。
「それならばいいんですよ、先生」
「あ、あぁ」
「私は、先生に、期待しておりますからね」
「お任せください、ただ、研究開発の道具が研究室にあって……」
何とか解放して欲しくてそんなことを言う。
「ああ、それならば問題ありませんよ。先生のために研究室の開発道具や研究ノート、その他いろいろを丸ごと持ってきましたから」
「あっああ……」
「先生に、わざわざ帰っていただかなくても、ここで研究できるようにしておきましたからね」
「ですが……」
魔道具学部長は、無事に解放してもらえるように色々と言おうと思った。
研究員が必要だとか、資料がいるとか言えば、研究室に返してもらえるかもしれない。
研究室に戻れば、人目がある。
乱暴もされないだろうし、助けを求めることもできるだろう。
そのとき、黒ずくめの男がゲラルドに言う。
「こいつ、どうしますか?」
男の言うこいつとは、学院長だ。
「そうですね。これだけ痛めつけたら逃げようとはしないでしょうし、治癒魔法をかけてもいいでしょう」
「わかりました」
「まだ、色々使いようがありますから」
男は布袋に入った学院長を担いで部屋の外に行った。
「学院長先生はねぇ。反抗的だったからああなったんですよ」
「反抗的……」
「研究は学院じゃないとできないとか、そういうことを、しつこくおっしゃいましてね」
「…………」
「しかし、私たちは優しいので、学院長先生を殺したりはしません。攻撃魔法の権威ですからね。色々と教えていただきたいこともありますし……」
有用な間は殺されない。ならば、まだ希望がある。
そう魔道具学部長は考えた。
「必要なのは知識ですからね。『話し合い』をすれば学院長先生は快く教えてくれます。最近では薬を使って——」
ゲラルドはいかに脳を痛めないよう、精神を痛めつけるのかを楽しそうに語る。
学院長は解放されたとしても、もう日常生活は送れないに違いない。
そう魔道具学部長に確信させるに充分な内容だった。
「わ、私は、反抗しません。誠心誠意全力を尽くします」
「それなら良かったです。私も先生と『話し合い』なんてしたくないですからね」
ゲラルドは優しそうな笑みを浮かべていた。
その表情は、どう見ても善人にしか見えなかった。
◇◇◇◇◇