竜と人は身体のつくりも、文化も風習も違う。
一緒に暮らす上で、色々と不都合が出るのは仕方のないことだ。
だが、言葉は通じる。
その都度話し合えばいいだろう。
「……でも、主さま」
「どうした?」
「さっき、女の子が風呂に一緒に入ろうとしていたのじゃ」
「……ああ、俺の身体を洗おうとしてくれたんだろうな」
ハティが言ったのは屋敷の使用人のことである。
入浴しようとする俺とハティに付いて風呂に入ってこようとしたのだ。
「恥ずかしくないのかや?」
「……貴族の中には自分で身体を洗わない奴もいるんだよ」
「へえ? で、なんで恥ずかしくないのかや?」
「……なんで恥ずかしくないんだろうな、俺にもよくわからない」
「主さまでもわからないことがあるのじゃなぁ」
「もちろんそうだ」
俺は理由を考えた。
貴族ほど、人前で裸になることを恥ずかしがらない。
そういう物らしい。
昔、学生の頃、旅をしていたとき、浴場に入っただけで貴族だとばれたことすらある。
俺を貴族だと看過した老人は笑いながら、人前で裸になり慣れているから、貴族だとわかったと言っていた。
その老人は昔貴族の屋敷で働いていたらしい。
「子供の頃から、風呂場に他人がいて、お世話され慣れているからかも……」
「ふーむ、そういうものなのじゃな〜」
ハティはあまり興味がなさそうな様子で湯船の中を泳いでいる。
「さて、ハティ」
「なんじゃ?」
「ハティはどのくらい鼻が利く?」
「うーん。かなり嗅覚は鋭い方だと自負しているのじゃ」
「血の臭いを追ったりできるか?」
「できなくもないのじゃが……あ、主さまの姉上を襲った奴の血の臭いを追って欲しいのかや?」
「まあ、それが出来たら一番だが……」
「あのとき、ハティも追ったけど、臭いは消されていたから追えなかったのじゃ。それにあれから大分経ってるからして……」
「そうだよな」
さすがに時間が経ちすぎている。
鼻が鋭い犬でも置くことは難しかろう。
「だが、追うことは出来なくても、血の持ち主の臭いを嗅げば、それがその人だとわかるよな?」
「それは、わかるのじゃ!」
「なら、なんとか探し出すか」
「そんなことが、出来るのかや?」
「難しいが、新しく魔道具も完成させたところだし、そろそろ身体を動かしてもいいだろう」
俺がそう言うと、ハティはハッとした表情になる
「あ、風呂に入ったのって使用人に話を聞かれないようにするためかや?」
「それだけじゃない。服を洗って、身体を綺麗にすれば臭いでばれにくくなるからな」
「ということは、風呂から出たら動き出すのかや?」
「風呂を出て、研究所に一度戻ってから、すぐに」
「わ、わかったのじゃ! 気合いが入るのじゃ!」
そして、俺とハティは風呂を出る。
服を着て、ジュースを飲んで、しばらくゆっくりしてから研究所へ戻る。
そして、保管しておいた襲撃者の血を取り出す。
「さて、ハティ。この血の臭いを嗅いでくれ」
「ふんふんふん。覚えたのじゃ」
「あと、これも」
皇太子から返却された、敵が使っていた魔道具の臭いも嗅いで貰う。
「ふんふんふんふん。こっちは臭いが弱くて、よくわからないのじゃ。でも……パンの匂いがするのじゃ」
ハティは首をかしげながら、そんなことを言う。
「パン焼き魔道具を稼働させていたせいで、匂いが付いたのか?」
皇太子から返却されたあと、魔道具類は基本的に魔法の鞄の中に入れていた。
だから、そう簡単に匂いは付かないはずではある。
「主さまの魔道具で焼いたのとは、違うパンの匂いなのじゃ」
「ふむ? どこのパンかわかるか?」
「うーん、これは……」
ハティは、真剣な表情でくんくんと一生懸命魔道具の匂いを嗅ぐ。
ハティは匂いを嗅ぎながら、記憶を探っているのだ。
「………………」
俺はハティが思い出そうとしているのを、無言で見守った。
匂いを嗅ぐと昔の記憶が想起されることが多い気がする。
理由はわからないが経験則だ。
だから俺は少し期待して、真剣な表情のハティが思い出すのを待った。
「……思い……だした……のじゃ」
「どこのパンだ?」
「えっと、王都の門からはいってすぐのところにあるパン屋さんのパンの匂いなのじゃ」
「そのパン屋は知らないな。ハティはいつそこのパンを食べたんだ?」
俺がハティに、そこのパンを買ってあげたことはない。
そもそも俺はそんなところに、パン屋があることも知らなかった。
王都の門近くは、賢者の学院からも遠く、辺境伯家の屋敷からも遠い。
そのうえ、特に用のある店などもない。
俺の生活圏に王都の門近くは入っていないのだ。
俺も王都暮らしが長いとは言え、王都は広い。
生活圏外のことは、知らないことも多い。
「そういえば、ハティも一人で行動していることもあるからな」
俺が研究所に一人で籠もっていた時期もあった。
もしかしたらそのときに食べたのかも知れない。
そう思ったのだが、はてぃ
「食べたことはないのじゃ」
あっさりとハティはそう言った。