有希は画像を見せられると、きゅっと唇を引き結んだ。少女らしい薄く紅い唇が白くなっていく。そこに、有希の誠実さを見てとり、俺は安心した。麻美は覚悟を決めて、画像を直接有希に見せて尋ねることにしたのだ。何が飛び出してきても、しっかりと受け止め、対処法を考えること。あくまで有希にとっていい方向へいくように努力すること。事前に麻美の家に上がり込んで、俺と麻美は打ち合わせていた。
仕事に行っている日と同じくらいの時間に、有希は合鍵で玄関を開けた。部屋に灯りがついているので驚いたらしい。本当は今夜は麻美は仕事の日だった。
続けて俺の顔をみて、少し青くなった。俺は何があっても有希を守る、そしてそれは麻美のためでもあると自分に言い聞かせていた。
あの、例の男の画像を、有希は一目見て、それ以上は見なかった。やはり、有希が見知った男だということを示している。
「有希、ちゃんと話してくれるわね」
言葉は厳しめだが、声音は努めて柔らかくしている。
有希はしばらく膝に手を置いて、俯いている。話し出すまで待とう。俺と麻美は直接やりとりをしていないが、同じことを考えている。
随分の時間が経った。有希は口を開こうとして止め、それから顔を上げた。
「ごめんなさい」
一言有希は言う。案外にしっかりとした声だった。
「私、仕事は続けているんです。明日も行きます。ちゃんと家賃も払います……」
「そんなことを言っているんじゃないのよ」
麻美は静かに言った。
「あなたのことを心配しているの、分かる?」
それを聞くと有希の目からぶわっと涙が噴き出した。画像を見せられてから、ずっと堪えていた涙かもしれないと俺は思った。
涙はやがて嗚咽になる。どういう話が出てきても受け止める。俺は再び誓った。
「泣いていても分からないわよ」
麻美の声音は相変らず柔らかい。
「どうして泣きたくなったのか、言ってごらん」
うう、と唸ってしゃくりあげながら、有希が答える。
「ご、ごめんなさい、でも、心配しているって言われて、何だかもう、いきなり......」
予想していたこととは少し違う答えだった。麻美もそうだったらしく、少し高い声になった。
「心配してるって、当然でしょ。だって」
俺は麻美を止めた。おそらく有希には当然のことではなかったんだ、と気づいたからだ。
しばらく有希が泣き止むまで待っていた。
「ごめ、うう、なさい。嘘を吐きたくはなかったんです。でも、言えなくて」
「どういうこと?」
有希はきらきらと涙にぬれた瞳を上げた。言っていいのかどうなのか、考えている目だ。
「何か脅されてたんじゃない」
麻美が助け舟を出す。
「……」
有希は黙った。そして、意を決したように、
「お姉さんのこと、いろいろ教えろって、言われてたんです。でないと、お姉さんの秘密をばらすって」
「秘密?」
麻美は頓狂な声を上げた。有希の方が驚いて一瞬嗚咽も止まったようだ。
「お姉さんが、その、女の人だってこと」
「そんなこと、秘密でも何でもないわよ。ここの住人や店の人たちなら、大体知れてることよ」
麻美が言うと有希はぽかんとした。
俺は読めた。田舎者の若い有希を舐めてかかって、
有希には申し訳ないが、俺はつい微笑してしまった。麻美もそうらしく、声音は柔らかいだけでなく慈愛を感じさせるものに変わった。その場合、思ったほど事態は深刻ではないようだと安心があった。まったく、案ずるより産むがやすし、だぜ。
「こいつらに要求されたのはそれだけ?」
麻美は再びスマホの画像を見せて尋ねた。こくんと有希は頷く。
「有希、早くそのことを話してほしかった。言えなかった気持ちは分かるけど、聞いたらすぐに解決することだったのよ」
諭すように麻美が話しはじめる。
「私は堂々と心は女って触れてまわってる。秘密なんてない。そういう事情に疎いあなたを騙すためにあいつらはそういうことを言っただけ。だからあなたが心配するようなことはないの」
もう一度出てきた「心配」の言葉に俺は妙な感慨を覚えた。心から「心配」するほどの思いやりで二人はつながっている。ちくしょう、泣かせるぜ。
それからは有希を落ち着かせつつ、あいつらと有希の接触がどんなものだったのか、あいつらが何を言い、有希がどう答えたのか、そういう仔細を彼女に話させた。それ自体はひどくたわいのないものだった。その内容よりも、何も知らない有希をずっと苦しめてきた連中に怒りがこみ上げる。
今日の花園神社での男らの襲撃と言い、有希を使ったスパイ工作(大したことでなないとはいえ、これはスパイ工作だ)と言い、奴らの狙いが何なのか、俺たちの関心はそちらの方に向かっていった。