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リセット



「嫌ァぁあああぁぁ……っ!!!!」


 結夏の様子がおかしい。なんとかして身体を起こそうと試みるも、血が出過ぎて身体が言うことを聞かなかった。膝を地面から離すことすらできない。四つん這いの体勢のまま、二人のことをただ見ているだけだった。


 パリス伯爵が困惑しながらも、落ち着かそうとしてるけど、役立たずだ。結夏は正気を取り戻さない。むしろ、怖い思いをさせた相手が目の前にいるから逆効果だろ。


 結夏。僕を見ろ。

 僕は、大丈夫だから……。


「こう、き…………。航生くん、死なないで――っ」


 一瞬だけ目が合ったけど、蒼白になった結夏の瞳はたくさんの涙で溢れていた。

 僕も本当は、わかっていた。

 多分、助からない。



 急所は外れてるけど、血が止まらない。


 女相手に油断をしていたのか、パリス伯爵は帯刀していた短剣を、切迫詰まった結夏に抜き取られた。

 無作為に振り回している短剣が、パリス伯爵の胸付近な刺さった。

 何が起きてる? そして被さるように倒れ、結夏の膝にずり落ちる。


 結夏は皮肉なことに血を浴びてから、電源が切れたみたいにピタリと狂乱が止んだ。するっと手から短剣が地面にこぼれ落ちる。



「ゆ、か……はぁ……っ」

「不味い!! ジュリエット、待て!」


 いや。やっぱりまだ、変だ。

 結夏は目の焦点を失っているのか、手探りで短剣を拾い直す。剣を投げ捨てたティボルトは、いち早く駆け寄った。

 僕だってできることなら、誰よりも速く走って結夏の隣に行きたかった。だけど、やれることと言えば、這いつくばり、血を吐き、咳をするくらいだ。立ち上がれず、息にも雑音が混じり始め、いよいよ視界が霞む。


 それでもわかる。震えた結夏の手と同化した短剣を、自分の胸に向けているのを――。


「よせ! ジュリエット、早まるな――っ!」


 “ゆか、それはダメだ!”

 僕のスカスカの叫びが、ティボルトの声に上書きされた。

 制止は間に合わない。

 魂が抜けたようにぼんやりとした結夏のシルエットは、短剣が身体にくい込んだのを、はっきりと見せつける。


 結夏が崩れ落ちて、ティボルトは名前を何度も呼びながら、抱き抱える。僕はそれを見届けると、気力が完全に抜けて、四つん這いさえできなくたり、突っ伏した。


 その瞬間、風景がどんどんと色褪せて、セピア色に変色する。


「なっ、なにが……?」


 薄暗い二色の世界で、町の喧騒が消え無音になった。ただどこからか、コツ、コツと足音が聞こえてきた。足が僕の前に止まる。その靴は見覚えがあった。


「残念だ。もう少しだったのにな」

「……だれ、だ」


 男は膝を落とし、視線を合わせる。男の瞳は作り物のように太陽の光を浴び、作りもののように反射した。思い出した。こいつは、あの毒を僕に押し付けてきた男だ。


「ゆ、か……。ジュリ、……ットは……?」

「彼女なら絶命したさ。すごいな。心臓を掠めしっかり自決するとは。即死に近い。さてお前はどうする? まぁどうするも無いか」


 誰も殺したくない。その一心で逃げ切り、ここまで来たのに。なにがダメだった? ティボルトが生きていたから? 僕がティボルトを殺さなかったから、こうなった? 結夏に人を殺させたのは、僕のせい?


「どう……すれば、良かった、……んだ……」

「ロミオもジュリエットも死ぬ。残念だが、このステージは失敗に終わった」


 少しの同情心だけ、この男はくれた。


 この男のことを他の人は見えていないのか、周りの人は目もくれていなかった。男は僕の返事を待たずして、「さてと」と呟きながら、ゴソゴソと僕の服を漁った。


「あった。あった」

 使うことのなかった毒の瓶を見て、男は安心したように言う。


「失敗したなら、早いうちにこの世界を終わらせよう。このまま世界を閉じることもできる。……が、ロミオは毒を飲んで終わるのが、美しい。そうは思わないか?」


 こんな状況で同意を求められても。あんたの嗜好は、どうだっていい。


「是非とも飲んでほしいが、勧めるには、少しばかり不味いのが玉に瑕だ。まぁ毒はそんなもんか。……けれど、特典もちゃんとついてる」


 男は、僕がもうほとんど喋れないのをいいことに、独り言のようにしゃべり続ける。勝手にコルクを抜き取ると、それを突きつけた。まるで、僕が飲む前提だ。


「飲む者には、選ばしてやろう。別の奴に“ロミオ”をやらせるか、また懲りずに自分でやるか」


 またできるだって?

 こんな所では、終われない。遠くではティボルトが絶望感を漂わせながら、結夏を介抱し続けていた。本当なら、僕が結夏を抱きしめているはずだった。その横に僕は居ない。なんで横にいてやれないんだ! できることなら、僕が――



「悔しいか?」

 男は、煽る。


 少なからず、その挑発に燃え上がった。

 掴み損ねた未来の代わりに、拳を握りしめる。

 これで終わりか?

 ふざけるな!



「ぼ、っ……僕が、やる――!」


 誰にもやらせない!

 僕はロミオであり、結夏は僕のジュリエットだ。



 やっとの思いで腕を伸びし、毒瓶を持っている男の手首を掴む。

 前評判通りのまっずい毒薬を飲んだ。気は持ってかれ遠くなるし、心臓はバクバクと異常なほど打つ。でもこんなものか。既に腹からの出血は酷くて、痛すぎてもう痛みがなくなりつつある。


 気が遠くなる感覚は、麻酔薬が身体に回る時に似てて、懐かしい……。




「あぁ、それでいい」

 気色悪い奴なのか、僕が毒をあおり死の淵に面してるのを見、男は満足そうに呟く。それが僕が最期にみた景色だ。瞼が重くて開きそうにない。



「ジュリエットは剣で死に、条件は満たされた。お前は毒薬を口にし、最期を迎える――」





 僕は……。



 今度こそ、結夏と――





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