「ロミオ様? どうしてですか。“ではその罪をお返しください”と、言って下さらないんですか?」
「……な、なんだ。どうなってる……」
結夏と同じ声、同じ顔で僕を覗き込んできた。ジュリエットに見つめられると、どうしても顔が熱くなる。
「そっか! そうでした。ロミオ様に会えたのが嬉しすぎて、飛ばしちゃった。まずは手と手を合わせないと!」
ジュリエットは手際よく合わせると「これを唇にも」と言い、また僕にキスを落とす。うろ覚えだけど、多分
慌てて僕はジュリエットを引き離した。
「ちょ、まてまてまてっ!!!」
「あー、良かった! あたしに一目惚れしてくれないのかと思った」
「……僕が君に?」
「だって、耳まで赤いですよ」
「違うって、これは……っ!」
こんなのは条件反射というか、僕の意志じゃない。むしろ青ざめてるくらいだ。
「と、とりあえず降りて」
「わぁ。大変!」
ジュリエットは言われてやっと、僕を下敷きにしているのに気づいたようで、慌てて退く。
「それから、ちょっと場所を変えよう。ここだとティボルトに見つかってしまう」
「ええ! 喜んで。ロミオ様が行きたいところに、どこへでもついて行きます。たとえ死の淵でも」
「どこまでもは、いいって」
さすがに危険を犯してまで、キャピュレット家の巣窟に長くいるのも嫌だし。一人娘のジュリエットと話してるのも気が気ではない。あと少し、熱を冷ますためにも風に当たりたい。
僕が歩き出すと、後ろでジュリエットはエスコートして欲しいそうに、手を差し出す。仕方ないからその手を取ると、ふふと鼻歌まじり。おまけにスキップみたいに足が跳ねながら、後を着いてくる。僕も、ジュリエットと手を握るのは悪い気はしない……。
「ロミオ様! もぅ、歩くの早い〜」
ちらっと振り向けば、口を膨らまして怒っていた。さっきから、この子は自由な振る舞いばかりで、ペースを乱される。
人の集まる会場から離れ、公園というか、芝生になっている空き地に着いた。ここなら、人も居ないし夜の暗闇だから、さっきよりはましだろう。
「君は、僕が名乗ってないのに、ロミオか知っているみたいだけど?」
聞くまでもないだろうけど、頭の整理がしたかった。
結夏じゃないと受け止めるには、落胆が大きすぎる。
「そんなの、簡単です。一目見て――」
ジュリエットは目を閉じ、手は胸に当て、心にあるものを大事にするように呟く。その仕草だけは、急にとても大人ぽく綺麗に見えた。
「一目見て、これ以上ないほど胸が高まり。この気持ちにさせるのは、ロミオ様しかいないと知っているから」
「一目惚れをしたとして、どうしてそれで僕がロミオになるんだ」
「ん〜と??」
きょとんと頭を傾けた。なにが変なのか分かってないみたいだ。
「ジュリエットが好きになるのは、ロミオ。それを知っているのはシェイクスピアの作品に触れた人だけだ」
「そう、それ! あっ、そっか! あたし、何度も映画を観たの!! もしかしてあなたも? わぁ〜すごい! 同じ転生者!? 良かったぁ!」
遠い地で同郷の人を見つけ時のようにジュリエットは、手を叩き飛び跳ねた。一人でこの世界に来たから、心細かったりしたのかな。
「本当はもっと早く、ロミオ様に会いたかったの。でもやっぱり舞踏会で会うのが一番良いんだろなって思って。八年も我慢してたんだからね」
八年前って僕は昨日、記憶が戻ったのにジュリエットは、もっと前からだったりするのか。状況を受け入れきれてない僕に構うことなく、キラキラと目を輝かせている。
「ねぇ、見てみて! ばぁやに頼んで髪を巻いてもらったの! 可愛い?」
心細かったかなって、さっき思ったけど、そんな事はなかったぽい。めっちゃジュリエットを謳歌しているようだ。
「楽しそうだね」
「もちろん!」
全ての人を撃ち抜くような、万遍の笑みを僕に向ける。下ろした髪を掴み、毛先を自信満々に見せびらかせる。髪型なんてなんでもいいけど。
「君の名前を聞いてもいい?」
「それ、必要?」
さっきまで、きゃっきゃと楽しそうだったのに、聞いた途端にジュリエットは真顔になった。
「僕的には確認しときたいんだけどさ」
「まぁいいけど。あたしは、
その振りで名前を訊かれると、答えずらいな。最初に訊いたのは僕の方だけどさ。
「僕は航生」
「こーき。ふーん?……ねぇ。ところで、ゆかって誰ですかぁ?」
ムッとしたようにジュリエットは、眉を寄せた。
「あ〜、もしかして前の彼女?」
「前というか……」
「でも諦めた方がいいんじゃない? この世界、ロミオとジュリエットの力が強いから、過去の想いなんてそのうち忘れちゃいそう」
いい加減なことを言うなよ。
出かかった言葉を、喉まで来て飲み込んだ。この世界が、どのくらい強制的にロミオの思念に支配されるか、身をもって知っている。ジュリエットと結ばれるルート以外は許されないんだろう。そんなことわかってるけど、言葉にされると腹が立つ。僕はそれでも、この呪いを抗い、結夏を好きでいたい。
……結夏。本当に、なんでここにいないんだ。
だって、僕は結夏に会うためにやり直したのに。
「あまり乗り気じゃないって言うなら」
そう言って、ジュリエットは指輪を見せる。それは僕が持っていたものだ。いつの間に……!
「きれい〜。大事なものですか?」
「それは、僕の!」
「あたしを子どもだと舐めていると、困るのそっちだと思うな〜。そういう大人たちいっぱい見てきたんだから」
病院で、寂しくて親に怒ってしまう子たちも見てきたけど、簡単にスリをする子は見た事ない。
「舞踏会の時から、ちらちら大事そうに眺めて。どうせあたしへじゃないんでしょ。これ返して欲しかったら、真面目にロミオをして。ね?」
「脅しかよ」
「そうかなぁ。この世界で、楽しいこといっぱいしたい。こーきと一緒にロミオとジュリエットをやりたいだけ。当たり前の願いでしょ?」
恐れることなくジュリエット言った。
「嫌じゃないのか。このまま行くと僕らは死ぬ運命だろ?」
「一回は死んだ身だもん。だってこれはボーナスステージ! う〜〜んと楽しまなきゃ! ロミオ様があたしのために後を追って死んでくれるほど愛してくれるなら、これ以上ない幸せなことよ! あたしがジュリエットになって味わえるなんて、ほん〜っと、夢みたいっ!!」
後を追って死んでくれるのは幸せ?
簡単に言ってくれるよ。刺されて、助からない僕を見て、結夏は気がおかしくなり、パリス伯爵を刺し自分も死んだ。それを何もできずにただ見ているだけで、悠長に僕は幸せ者だな、って思う気にもならなかった。
愛する者の死は、絶望でしかない。
僕のために死ぬなんて、望んでいない。死ぬところなんて見たくなんかなかった。
二度とジュリエットを失いたくない。
あんなの、繰り返したくはない悪夢だ。
なにも知らないひまりが、無邪気な顔で幻想に思いを馳せながら、僕のトラウマを踏み付けていく。
嫌だ。僕が
ありえない。ありえないはずなのに……。
「それに物語通りに進めないと、何が起こるか分からないし」
「僕ら普通にやったら死ぬけど、それ以上酷いことになるか?」
ジュリエットは静かに、首を振る。髪が揺れ、その流れが綺麗に見えた。
「あたしはロミオ様と、死にたい」
まっますぐなジュリエットからの至高の
「……っっ」
このままジュリエットのそばに居たら、本当にこの子のために命を懸け死んでしまうかもしれない。
「僕は、ロミオをする気はないよ」
立ち去ろうとすると、ふふと笑った声が聞こえた。
「無理です。今夜あたしのバルコニーの所へ、ロミオ様は必ず来ますよ」
「行くなんて言ってないだろ」
「忘れたんですか? これ」
もう一度、ジュリエットは盗んだ指輪を見せる。
「返してくれ」
「返して欲しかったら、分かるよね。あの有名なシーンをやりましょ」
「此処でも良いだろ」
「だめ! バルコニーでじゃなきゃだめなの。あたしは先に帰るから、後で来て! 絶対だからねっ!!」
にこにこと笑いながら、手を振り去っていく。言うだけ言って、帰っていくなんて勝手すぎるだろ。
残された僕はどっと疲れ、一人、息を深く吐いた。