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結婚の誓いとは?


 ジュリエットに泣かれるのは、きつい。

 ティボルトに任せとけば良いと思ったりもしたけど、どうにも気持ちが晴れなかった。気づけば、朝になり僕はキャピュレット家の塀の周辺をふらふらしていた。


 会って、ごめんというのと何か違う。僕が好きなのは前のジュリエットであり、結夏だ。昨日言ったことを無かったことにするつもりはない。言って後悔なんてないはず。――なのに、心の中で深い罪悪感で埋め尽くされる。


「おい」

 深いため息をつくと、背後からギラギラと突き刺すような視線に、ぞくっとした。


「ロミオか! 探す手間が省けた」

 そんな殺気を放っているのは、ティボルトしかいない。


「のこのことよく来たな。昨夜のことでも謝りに来たのか」

「……昨夜?」

「とぼけるな。こっちはジュリエットのおもりで大変だった。あいつ、泣きながら『ロミオ』の名を口にしてたぜ。身に覚えはどうだ?」


 ティボルトが冷静に話しかけてきて意外だった。問答無用で剣を抜いてくるくらいはしそうなのに。むしろ一定の距離を保ち、近づいては来ない。


「あいつの言うことを言葉を全部、鵜呑みにするつもりはない。昨日ジュリエットに会ったのは、本当か?」

「…………あぁ」

「お前は、ジュリエットのなんだ?」


 そもそもティボルトにとっては、ジュリエットがモンタギューの息子に会ったことが、寝耳に水なのかもしれない。僕だって昨日、会ったばかりだ。……昨日だけで口を重ねられたのも事実だけど。


「なんだ、と言われても……。ジュリエットからなにを聞いたか、知らないけど。僕はちゃんと断っている。もてあそんだつもりは……」


 ない。と言いかけて、一度僕からしそうになったのを思い出して口ごもってしまった。



「はっきりしろ。お前は、ジュリエットを好きなのか?」

「違う。……いろいろ事情があるんたけど、ジュリエットに付きまとわれてるのは、僕の方だ」

「そうだよな。あいつを好きになる奴は、相当、イカれたやつだよ」

「ん?」


 あっさり納得してくれるもんだから、拍子抜けした。ひまりが聞いていたら、怒りそうだ。


 なぜか結夏が居た一回目の時と違って、ティボルトは雰囲気が少し違う。ジュリエットの中身が別人だから、この二人の関係性も変わることはあるだろうけど。ティボルトの普段からのイラつき度や、僕への恨みも減っている気がする。

 今ならひまりに振り回されてる同士、同盟を組めたりしないかな。


「お前に確認したいことはできた。用は済んだから、ここから立ち去れ」


 ティボルトは最後まで剣を抜くことなく、僕を帰らそうとした時、「待って」と声が響いた。


「だめー! 決闘しないで!!」


 声のする方に目をつけると、女の子がバルコニーから身を乗り出して、今にも飛び降りそうな体勢だった。


「ひまり……?」

「あの馬鹿」


 その言葉を吐き捨てる頃には、ティボルトはもう走っていて、塀を乗り越え、バルコニーの下で手を広げて構えていた。


 ひまりは、躊躇うことなく身を投げる。

 ドサリ、と音を立ててティボルトはひまりを抱えて尻餅をついた。


「ふざけんな! 何度目だ! いいから、部屋に戻ってろ。謹慎中のはずだ」


 落ちてくるひまりを無事に受け止めたティボルトに、ひまりはさも当たり前のように振る舞う。ありがとう、とか言うことなく、立ち上がると僕の方へと駆け寄って来た。


「やだ! ロミオと結婚するの!」

「駄々をこねるな。とっとと、パリス伯爵のところに嫁げよ」


 ひまりが、ティボルトに見せつけるように僕の腕に巻き付く。


「こいつから離れろ。分かってるのか。こいつはモンタギューの人間だ」

「いーや! それにもうあたし、ロミオとキスしちゃったもん」

「はあ?」


 ティボルトの一段と低い声が発せられ、僕を睨んでいる。


「ひまり、なんてこと言ってくれるんだよ」

「なによぉ。ほんとの事でしょ」


 不服そうに、僕に目線を送った。その膨れた両頬を片手でつまんだ。変な顔になったひまりの口から、むぅーっと声が漏れる。

 そもそも、昨夜あんだけ泣いたくせに、今日はなにもなかったみたいに、ケロッとしてるのも、ムカついてしまう。罪悪感を抱いていた僕がバカみたいだ。


「僕がしたわけじゃないからなっ」


 必死に弁解すると、ティボルトは大きなため息をついた。


「黙れ。キスがどうとか、いい加減にしろよ。だいたいなぁ、ロミオと結婚したいだとか言いだすから、おかげで家は大慌てだ。パリス伯爵との式が早まる始末。お前の気持ちが整理つかないとか、知るか。どうあれ、決まったことだ。諦めろ」



「諦めろってなに?」

 少し人を舐めているような、軽く流しているような態度だったひまりが、急に冷ややかになりティボルトを見返した。


「大人に従えって言ってるんだ」

「ティボルトは、従って良いことあった?」

「はぁ?」

「楽しい? 幸せそうには、ちっとも見えない」


 まずい。空気が変わった。

 ティボルトはその一言を聞き、ジュリエットを殺しそうな目でみた。絶対に結夏かジュリエットの時には、向けそうにないから、驚いた。

 ひまりを止めないと地雷を踏み抜きそうだ。あえて言ってるのか、わからないけど。慌てて口元を押さえた。


「い……っ!」

 ひまりは、躊躇いなく僕の手を軽く噛みつくから、思わず手を離してしまった。そして間髪入れずにひまりは喋る。


「大人は自分より弱い者に暴力ふるえば、言うこと聞くってすぐ思うのよね。最近のティボルトも、嫌な大人にちょっと似てきて、キライ」

「……そこまで言うなら、望み通りロミオごと切ってやろうか?」


 ちょっとまった。 僕ごと?


「……してやる」

「なんだよ」

「ティボルトにも助けて欲しかったけど、もういい。ここで死ぬか、パリス様と結婚しなきゃいけないなら、その前に、ロミオと結婚してやるんだから!!!」


 叫ぶと、すぐに立ち上がり僕に手を取り、走り出した。

「こーき、こっち!」


 ここで殺されずに助けてもらったことに、感謝すべきなのか。いや僕は、従兄妹ゲンカに巻き込まれてるだけだ。



**



 走って走って、ひまりは僕を連れロレンス神父の元へと乗り込む。バンっと勢いよく教会の扉を開けて、中へと進んで行った。

 連れられるままに来たけど、絶対こんなところにジュリエットと来るべきじゃない。


 にしても、ひまりの足の速さで走って来たんだ。ティボルトならすぐに追いついてくると思ったのに、その気配はなかった。そもそも走って来てすらないみたいだ。


 結婚するって豪語したひまりを、はなからできるわけが無いって確信があるのか。ティボルトは、僕が結婚に同意するわけが無いと、思われているのか。無茶苦茶なわがままは、いつものことなのか。


「ロレンス様、ロミオ様と結婚させてください!」


 ひまりが床に膝まづき、両手を合わせ祈るように懇願した。その姿勢に、ハッとした。あの時も結夏が、教会ここでそうやっていた。背筋を伸ばし静かに両手を合わせ、落ち着きや幸せが滲むその横顔はとても綺麗だった。

 僕らは、この厳粛な場所で、誓い合ったんだ。あの時、僕の隣にいたのは、紛れもなく結夏だった。


「――ロミオ!」

 ロレンス神父が僕を呼んでいたらしい。

「は、はい」


「ジュリエットを妻とし、生涯愛し添い遂げることを誓えるか」

「ちか……えません」


 ロレンス神父は聖書を閉じ、僕らの顔を交互に見た。


「ジュリエット、諦めなさい。二人がどんな話をしてきたのか知らんが、こんな状態で結婚の儀など進められんぞ」

「そんなっ!」


 ふらついたひまりを、僕は咄嗟に腕を伸ばし肘を掴んだ。


「あたしたちが結婚したら、両家が平和になるんですよ? 町も喜びます。いい事じゃないですか!」

「それは、二人が仲睦まじくしているのを見て、まわりの氷が溶けていくというもの……。二人が本当に好きで居なければ、意味がないのではないかな?」


 ロレンス神父は、優しくジュリエットをたしなめている。


「ほら、ロミオの顔を見てみなさい。青いではないか。ジュリエット、無理強いはしてならないよ」

「やだ。帰ったらパリス様と結婚させられる。そんなの、絶対いや! こーきからも言ってよ! 嫌でしょ?」

「……っ」


 引っ張られそうになる気持ちに、負けないよう短く祈った。実在するかわからない、このふさげた呪いの世界で、神の目が届き、僕を見ているか不確かだとしても。

 見ているなら『神の取り決め』に従いたいと望む僕に、確固たる意思ちからを与えてくださっても、良いんじゃないですか?



「僕が永遠に誓えるのは、ただ一人です」


 ここには居ないひとに僕はかつて、誓った。それなのに、ジュリエットの想い呪いに負けて別の妻を摂るのは、踏み滲む行為だ。

 負けるなら、まるで、結夏じゃなくても誰でも良かったことになってしまう。そんなことは無いはずだ。僕らは確かに、お互いのことを知る前に好きだと思わされたけど、同じ気持ちでいたはずだ。ちゃんと、結夏を愛していた。それは奇跡だったと思う。

 頼むから、これ以上、別のジュリエットに塗り替えられたくないんだ。



「そんなの知らない! なんで? なんでダメなの? どうせ明日になったら、ロレンス様はあたしとパリス様との結婚を認めるんでしょ。ロミオが結婚したくないというのは聞かれて、あたしがパリス様と結婚したくないって願いは聞かれないの? なんで、大人が決めたことは、叶えるの?」


 明日にはパリスと結婚する。

 祈って、揺るがないつもりだったけど、連呼されて、流石に僕も堪れない気持ちになった。耳を塞ぎたくてもジュリエットの声は大きく、訴えは止まることがない。



「あたしは、どんな気持ちでパリス様に永遠の愛を誓うの? 愛してもいないのに、はい、と言わなきゃいけないの? あたしはそんなの、耐えられない! パリス様との結婚を認めないでよ。ロレンス様はそんなこともできないの?」


「ジュリエット……。それはな…………」


 圧倒され続けるロレンス神父。ふいにひまりは、捲し立ていたのをやめて「――そうよ!」となにかを思いたつ。


「死を偽装してよ。ロレンス様は仮死の薬を作れるんでしょ? お願い。これだけは叶えて」


「やめてくれ。僕は飲んでほしくない」


 結夏が苦しそうに倒れたのを思い出す。もう苦しませなくもないし、見たくはい。本当に起きるのか、不安でいた時間は味わいたくない。



「口出ししないで!」

「それに、霊廟に運ばれたって、僕は迎えには行かないからな」

「な、なんでよ……っ」

「結婚しないから、そういうことだよ」

「飲んでも、意味がないってこと?」


 勝手に眠って、時間になれば勝手に起きればいい。僕は付き添わない。

 退路を絶たれたひまりは絶句している。味方をするものは、いない状況。神父さまも、ティボルトも、ひまりを助けてはくれない。本当はこんな風に追い詰めたくない。ジュリエットを幸せにすることが、僕の使命だから。他の誰よりも僕が、ジュリエットを守ってあげなきゃいけないのに……。



「ロミオの望みはなに? ちゃんと胸に手を当てて、今夜までによーく考えて。それに従ってよ。もし来なかったら、あたしにも考えがあるから」


 呪いの言葉を残してひまりは教会から出る。その直前、「ロザライン」と誰もいない宙に向かって、呼びつけように見えた。




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