次の日の昼前に、ティボルトは結夏を連れて教会へやって来た。ちゃんと外に出て来れてホッとした。それに、元気そうだ。一ヶ月会って無かったので、久しぶりに抱擁を交わす。
「見張られてたんだってな」
「うん。部屋からだと出れる状況じゃなくて、バルコニーから外に出たの」
もう少しこのままでいたいから、腕の中に結夏を抱きしめたまま話した。
僕は木をつたいバルコニーに登ったり降りたりして来たけど、結夏にはできるんだろうか? ティボルトに目線を送ると、少し勝ち誇ったように鼻をならした。
「俺が先に地面に降りて、ジュリエットには上から飛び降りてもらったんだ」
「…………えっとね。ティボルトが『受け止めてやるから、信じろ』って、……言うから」
「ん? つまり?」
頭ひとつ下に居る結夏が、少し申し訳なさそうにする。ちょっとだけ視線が僕から逸らして、揺らいでいる。
それってひまりがバルコニーから飛び降りて、ティボルトに受け止めさせたあのまんまのことを、結夏としたって事か?
ティボルトは決闘はしないけど、剣は鍛えていた。腕も良いし、背も僕よりも高いから、しっかりと結夏を抱き止められてんだろう。
……抱き止めたのか。
「小さい男だな」
「僕はなにも言ってないだろ」
それ以外、方法がなかったみたいだから、怒ってはいないし、小さい男じゃない。
「……ティボルトも結夏を連れて来てくれて、ありがとうな」
「礼を言ってるつもりかよ」
そこでやっと僕は、結夏を腕から解放した。ため息をついたティボルトは、ジュリエットを名指しする。
「もう一度、聞く。本当にこいつと結婚するんだな?」
「ティボルトは、私たちが結婚することに反対?」
「…………反対なら、此処に連れて来てないだろう」
ティボルトの目は、心配で溢れているように見えた。
「ジュリエット、いいか。結婚するってことはキャピレットとモンタギューの問題を背負うことになるんだぞ」
「何度も聞いたわ」
「あぁ。何度も俺は言ってる。今、親たちが正式に結婚するかどうか話をつけているのに、騙し討ちしてみろ。どうなるか、わかっているのか」
「ティボルト、ごめんなさい。何が起きても良い。私は航生くんと結婚するって、ずっと決めたてたの。答えは変わらない」
「強情だな」
腹を括っている結夏を説得できないとティボルトは、「おい」と僕に向き直る。
「ロミオ、お前も同じように覚悟あるんだろな?」
「昨日、話した通り僕の気持ちも変わらない」
「俺を失望させるなよ」
それからティボルトは、ちょいちょいと人差し指だけで結夏を手招きする。きょとんとした結夏を、触るか触らないかくらいの距離を保ち、緩めに抱きしめた。
「ジュリエット。これを自分で選んだとはいえ、こんな危ない事をするとはな。お前には苦労して欲しくなかったよ。みんなに祝福されて欲しかった」
「……心配かけてごめんね」
ティボルトは、結夏の髪の毛を触らないように器用にする。普段の態度と比べると似合わないけど、小さい時からティボルトも結夏を大切にしたい気持ちを、ずっと抱いていたし、それは今もだと改めて思う。
にしても。完全には抱きしめて無いとはいえ、この至近距離。結夏は、短時間で何度も抱きしめられているせいか、顔が火照りぱなしになっていた。
ティボルトと結夏は家族だし、結婚前の最後だからと、
少し、喧嘩売られているのを感じる。
ティボルトが結夏を離し、教壇を指した。
「じゃそれを神父の、いや神に誓え」
「言われなくても」
「さぁ、来なさい」
と、ロレンス神父は招く。僕が結夏の手を取り、ティボルトの視線を背中に感じなから、二人で前に歩み出た。
ロレンス神父の前に立てるのは、夫婦になる僕らだけだと噛み締める。
一回目の時を思い出す。あの時と同じように、永遠に愛を誓うかどうかを確認された。結夏はちらりと、僕を見て「愛している」と聞こえてきそうな優しい顔で、微笑む。
僕らは、迷うことなく、はっきりと「はい」とただそれだけ答えた。二度目だとしても、やっぱり重い言葉だ。
やっとここまで来た。思わず嬉しくて、拳に力がぐっと入った。
「では、誓いのキスを」
別にキスくらいはできる。一回目でも、この三回目でも誓う時以外でも、してきたし。問題は……。
「……」
「……」
「……あぁ?」
ティボルトが睨んでいることだ。
「航生くん、分かってると思うけど短くだからね」
僕に聞こえるくらいの小さな声で結夏は、口に手を添えて言う。
わかってるよ。長く唇を重ねてるつもりはない。第一、ティボルトがすでに睨みつけて来てるし。
「短くか。三秒くらいでどう?」
「長くない?」
三秒って長いのかな?
「お前ら、さっさとしろよ。なに、こしょこしょしてんだ」
「……ティボルトが見てるから、こっちは気をつかってんだよ」
「はぁ?」
睨みつけられながらするのは、やりづらい。罰ゲームかよ。なんなら、見届けられてるんじゃなくて、ジュリエットにキスをするなと圧力を、かけられている気分だ。
「あの、ティボルト? 嫌なら無理に見てなくても……」
「俺の勝手だろ」
見かねた結夏も、困った顔をしている。
ロレンス神父も、さっきからずっと「早くしなさい」という顔で待っている。
仕方なく、結夏の頬に触れて口元はティボルトの視覚からは見えないように、指先で隠し配慮して唇を重ねた。ちゃんと心の中で三秒数えたし、おかげで結夏が目を閉じのを見てる余裕もなかったし、キスに集中できなかった。
「終わったなら、さっさと家に戻るぞ」
結夏の唇を離して、目を開けると余韻もないまま、すかさず切り上げられた。
「待ってくれよ……」
「なんだよ。こっそりジュリエットを連れ出して来たんだ。俺には、気づかれる前に部屋に帰らす責任がある」
そう言われれば、そうだ。慎重になるべきなのはそう。ティボルトには先に帰ってもらって、キスの仕切り直しをしたいなとほんの少し思ったけど、結夏を危険にさせるのは僕も本意じゃない。
「明日、どうするつもりだ」
ティボルトは一つだけ確認をした。
「マキューシオのツテで舞踏会に忍びこむつもりだよ 」
「あいつ、パリス伯爵とも大公の親戚でもあるからな。それでも、本当に入れるのか?」
「入れる。二回忍び込んだけど、バレたこと無いよ」
ニヤリと笑うと、ティボルトはその意味が分からなそうにしけど、まぁ、いいと納得したようだった。
「舞踏会に入り、それで?」
「パリス伯爵と挨拶する時に、邪魔させてもらう」
「他に策はあるんだろうな」
本当は、今すぐにでもこの町を出たいけど、マンチュアに逃げたとて、追っ手が来ることは経験済みだ。パリス伯爵は今度も来るだろう。
だったら、迎えうつしかない。
「……少し、大事にはなるかもしれないけどな」
僕の言葉で、結夏が思い出したように、短く声を上げた。
「忘れるところだったわ。明日のことで、ロレンス様にお願いしなきゃいけないことあったの」
「それって、あの薬?」
結夏が頷く。
ジュリエットが死ぬのは、どうにも苦手だ。仮死の薬をできれば飲ませなくないけれど、それが一番良いと二人で話してそうなった。ティボルトが不審な目で見ているから、それ以上は此処では話せない。話せば、反対されるだろう。
奥でロレンス神父と少し話していた結夏は、再び戻ってきた。
「明日にはできるって」
結夏はもう覚悟を決めた顔をしている。
「じゃ明日、舞踏会でね」
「必ず迎えに行くからな」
「うん。待ってる」
別れ際の最後に結夏と手を絡め合わせて、祈るように強く握る。そして、目を閉じて明日の成功を願った。