事後報告で結婚したことを話すと、友二人は「呼んでくれよ」と愚痴った。仕方がなかったんだ。お忍びでやるしかなく大勢で出入りしたら目立つんだから。
「準備はいいな。さて、入るぞ」
中でやって欲しいことをお願いすると、マキューシオはやけに楽しそうだった。なぜか、僕に代わり仕切っている。
受付を通過するため、仮面を被り三人で入った。
会場は、音楽が既に奏でられ楽しそうな雰囲気になっていた。結夏は、何処にいるのか。あたりを見渡すまでもなく、大勢の中ですぐに目に止まった。やっぱりロミオの呪いが、ジュリエットを求めているのかもしれない。慣れていはずだけど、初めて会った時のような、身を焦す感覚が蘇る。結夏が誰よりも光って見えた。
パリス伯爵に初めて顔を合わせる日だ。使用人によって綺麗に仕上げられた結夏が、父親であるキャピュレット卿の横に立っている。
しばらく普通の招かれた人のように装いつつ、その時を待った。
「パリスが、そっち向かうぞ」
マキューシオからベンヴォーリオへと伝わり、僕に耳打ちをした。
パリス伯爵が現れ、結夏の手の甲にキスを落とすのが遠目から見え、僕は仮面を投げ捨てそこへ向かった。
「お父さま、お母さま。パリスさま。既にお話しした通りです。私は結婚できません」
「何が気に食わないのかね?」
パリス伯爵と結夏の間に、手刀を入れるように割り込んだ。
「お前は……! どうして此処に居る?」
「昨日、僕たちは結婚を済ませました」
「なんだと? 冗談も甚だしい!」
キャピュレット卿が大振りで拒否を示す。
「お父さま。前々から何度も言いました。ロミオと結婚の約束をしています、と」
「認めるなど一度も言った覚えはない。聞き分けのない親不孝な娘よ!」
キャピュレット卿は怒りに任せ、テーブルに飾られていた花瓶を結夏に叩きつけた。咄嗟に僕は腕に抱き寄せ、背中で受けた。
飛び散ったガラスが床に落ちるが、他の誰もそれを気にせず、みなは僕らを厳しい目で見続けた。
「ジュリエット、君は私の何が気に入らない?」
「気に入らないも何も、私は、ずっと幼い頃からロミオをお慕いしていました」
「君は間違っている。この男の呪いから君を助けると言っているのが、分からないのか」
「私はロミオを愛しています」
「……目を覚ませ、ジュリエット」
パリス伯爵は、僕の腕に収まるジュリエットの顔を無理やり引っ張り出して、顎に手をやり高圧的に言った。結夏は一回目の時に、パリス伯爵に乱暴に髪をいじられる、唇を奪われた。それ以上は触らせないように、僕はパリス伯爵の手を払った。
苦虫を潰した顔で今度は、僕を指名した。
「ジュリエットを大事に思うなら、身を引け。結婚して二日目のところ悪いが、離婚してくれるかな」
「しませんよ。身を引くのは貴方です、パリス伯爵」
「では、決闘をするか。勝った者がジュリエットの夫になる権利を賭けて」
「その手には乗りません」
本当に、簡単にこの時代ではなにかと決闘という。それに僕がほとんど剣の練習をしていないことは、知られている。パリス伯爵は、自分が勝てるのを見込んだ上で挑んで来ているんだろう。
「男なら命を賭けてみせろ」
「……」
「貴様、それでも男か」
「……っ!」
臆病者だと思われたくなくて思わず、受けてたちそうになった。
結夏のためなら、命なんて惜しくはない。
けれど僕の腕を掴まれたのを感じた。横を向くと「ダメ」と結夏は怖がるようにギュッとしている。
また、僕が刺されたりしないか心配しているんだ。
「……っ」
分かってる、決闘はしない。
せっかくティボルトとの決闘はしないで済んでいるのに、勝っても負けてもいい事なんてない。見栄だけで命を落としても意味なんてない。
僕が、どんな思いで
頭を冷やすために、小さく息を吐いた。
「パリス様、命を懸けられば良いのですね?」
結夏が、僕の腕から離れて静かに言った。
「なに?」
「ロミオに決闘はさせません。その代わり、私が命を懸けます」
「我が妻よ。これは男と男の話だ。君がする必要はない。黙って見ていたまえ」
「なぜです? 私の夫はロミオです。聖書にもあるでしょ、“二人はいったいとなる”と。つまり一心同体です。妻である私が応じます」
「その男を夫と呼ぶな!」
パリス伯爵の眉がピリピリとする。少し前から言い合いしているのを見られていたけど、大きな声を上げたせいか、周りの注目がさらに集めた。
「可憐な君が、決闘のお相手になっくれるとでも?」
「……いいえ。決闘ではありません」
舞踏会でこんな話をするのは、キャピュレット卿もパリス伯爵も嫌がってるようだった。今じゃ、音楽も途切れ、会場は静まり、さらに見られているのが分かる。
「まさか……!」
唾を飲み込む音が聞こえる。
「死ぬ気なのか、ジュリエット……!」
パリス伯爵が青ざめ、会場内も息が止まる。その瞬間――
「ネズミがいやがったーーぁ!!」
会場内の何処かで、叫ぶ声がした。
予めお願いしていた頃合いに、マキューシオとベンヴォーリオが二ヶ所で同時に声を上げた。貴婦人たちを中心に驚くように慌てふためく。
「なんだとっ? 誰だ? 誰がそんなことを!!」
「落ち着け、たかがネズミごとき、今は……っ!」
パリス伯爵も、キャピュレット卿が周りを見渡し気を取られた。
「結夏!」
手を差し出すと、一秒の間もなく結夏も同時に僕の手を取り応じる。
僕と結夏は、騒然とした人を押しのけ走った。
「ちっ、あいつらを追いかけろ! 我妻、ジュリエットを死なせるな!!」
「ティボルト、お前が追いかけろ。これ以上、裏切るなよ」
「……、はい」
キャピュレット卿の声に、ティボルトがすぐに反応し追ってくるのを背中で聞いた。
貴婦人が動揺したり、それを宥める中を抜け、人混みで見えづらくなった出口を、目指す。ふと見ると、マキューシオやベンヴォーリオも狼少年の真似事をしたことで、逃げているのが見えた。案外あっちは余裕あるのか、楽しそうな表情をしている。
目だけで、あいつらは「捕まるなよ」と僕に言った。
外に出ると、強めの雨が降っていた。走りづらいと思ったけど、逆に良かったかもしれない。雨なら更に視界は悪くなるから、逃げ切れるかもしれない。
結夏の手を引いて走ると、初めて会った時を思い出す。あの時も、結婚が嫌で一緒に逃げてたっけね。名前も知らないのに。
「覚えてる? 懐かしいね」
「もちろん」
結夏も同じ気持ちになったようで、こんな時なのにはしりながら少し楽しくなった。
「ロレンス神父の所に。薬ももらわなきゃ」
雨で濡れた地面を走る音が、僕以外にしている。振り向かないまま走り続け、数段の階段を登り、教会のドアをノックする直前に、僕らは何者かに肩を掴まれた。追いつかれ――
「待て」
ハッとして振り返ると、居たのは同じようにびしょ濡れに濡れた友人だった。
「ティボルト! お願い見逃して」
「心配するな。お前たちを連れ戻しに来たわけじゃない」
「でもお父さまの命で追いかけてきたんじゃ……」
「あんなの格好だけだ。それとも、昨日の今日、ジュリエットを教会に連れて行き、結婚させてやったのは誰だ?」
「……ティボルト。貴方よ」
「そう。俺だろ? 今さら裏切るかよ」
少し心外そうに不機嫌になったティボルトが、僕に言った。
「ロミオだけじゃ頼りないから、俺も協力する」
「ティボルト、お前な」
「人目に付く。さっさと中に入れよ」
ティボルトは僕の背中をげしけしと押して催促する。
助けてくれるのは嬉しいけど、やっぱりむかつく奴。
夜の教会に、人はいなかった。3人だけで長椅子に座る。窓から月明かりだけが差し込んでいた。薄暗いけれど、みんなの表情は見える程度には明るい。
「策があることはあるって、言ってたよな。何かする気だろ。洗いざらい吐け」
「でも……」
散々ティボルトには助けてもらってはいるけど、ここまで巻き込んでいいのか、ためらいが出る。あいつは「今さらなんだ」と怒る。
この先は、結香が仮死の薬を飲むだけだから、ティボルトにやって欲しいことはもう終わっている。けれど、信用と感謝を示すなら、話そうと思った。
「結夏、アレを」
「うん。ちょっと待ってて」
立ち去った結夏は、ロレンス神父に昨日頼んでいたあの小瓶を持ってティボルトに見せる。
「それは……っ。ジュリエット、お前! 本当に毒を飲む気じゃ」
「違うから、安心して。二日くらい寝てしまうけど、必ず起きるから信じて」
「信じられるかっ! おい、ロミオ。ジュリエットにそんなことさせやがって、なにを考えてる?!」
ティボルトが、血相を変えて僕の胸ぐらを掴んだ。
「……これは結夏がやらないと意味がないんだ」
本当は僕だって、結夏だけに負担をかけるのはしたくない。万が一起きなければ……って思う。
「明日の昼間、教会の前でみんなには証人になってもらう」
「ジュリエットが死ぬのを見せ、パフォーマンスでもする気か」
「そうだ」
「……大事になるぞ」
「大事にするって、昨日言っただろ」
ティボルトはまだぼくの胸ぐらを掴み続けている。
「私ね、少しだけ深く眠る薬を飲むの」
「それは、死ぬってことじゃないのか?」
「大丈夫。大丈夫だから。四十二時間で起きるから」
「反対するなって言うのか。ロミオも! ジュリエットにこんなことさせやがって、何やってるんだ!」
「僕だって! 苦渋の選択なんだよ!!」
カッとなるティボルトに僕も煽られる。でもこの怒りは自分への怒りだ。
「結夏に身体を張らせるのは、間違ってる……。だけどパリス伯爵と親に認めてもらうにはこれしかないんだ。それとも、静かに駆け落ちでもすれば良いのか?」
「……っ」
ティボルトが、反論ができずに黙った。
「ティボルト、お願いがあるの。明日、その薬を飲んだ時、航生くんと一緒に私がまた起きるのを信じて待ってて欲しいの。町で、誰も信じてくれない中で、毅然とした態度で――。それが私たちの助けになるから。どうかお願い、ティボルト」
結夏は、僕のことを案じて必死にティボルトを説得してくれている。
「いくら頼まれたって、俺は、ジュリエットがそこまで命を張るなんて反対だ」
「お願い。私たちの味方になって。私は寝てしまったらなにもできないから。ロミオを……航生くんの力になって……!」
「……」
「私たちにはこれしかない。他の方法が分からないの」
結夏がぎゅっと手を重ねて、ティボルトの前に膝まづく。
「やめてくれ。俺に膝まづくな。俺は神でも聖人でもない」
結夏の意志の強さに、ティボルトは飲まれているのか、拒否も承諾もしないまま「少し外の様子見てくる」
と言って、あいつは出て行った。
「覚悟してるから。……結夏が寝ている時に、何を言われても、僕は大丈夫だよ」
それから結夏の薬指に、あの血まみれの指輪をはめた。気持ちは良くないモノだけど、結夏が自分から言い出した。僕が捨てずにずっと持っていたことを見抜き、それが欲しいと言って。
「よく付けるなんて言うよな……」
「これは、……あの子の分も。航生くんが二回目を頑張っだ証でしょ」
結夏は少しも気持ち悪がらずに、僕に微笑みかけた。