ティボルトが席を外したまま、教会に戻ってこなかった。気を利かせて二人だけにしてくれてたりするのか。
この夜の時間に二人しかいないこの教会は、僕らが口を閉じると、物音ひとつ無かった。
静かな時間が流れる中で、この先についてずっと考えていたことを話した。
「結夏」
「なに」
「仮死の薬を飲んだら、もうすぐロミオとジュリエットが死んでしまう時が来るけど」
「それは、物語の話でしょ」
「でも僕らは、やっぱりあの時、同じように死んだ。結夏も味わっただろ? あの絶望が一気に襲ってきて後を追わないといられなくなる怖さを」
「……っ!」
「だから」
不安そうに結夏は、僕の腕を掴んだ。嫌なことを無意味に思い出させたいわけじゃない。
「だから、これで最後にしよう。今回、上手くいっても、いかなくても」
「もし失敗したら、もう二度と会えなくなるってこと?」
「……結夏と幸せになりたい。なりたく無いなんて、一ミリも考えてない」
考えてみれば、普通は人生は一度しかない。何度もやり直して、またこうして会えた僕らは幸運だったに過ぎない。
「僕は、結夏をこれ以上苦しい思いはさせたくない。死ぬところも見たくないんだ」
「……うん、わかってるよ」
結夏は、一つ一つ同意するように、頷いた。同じ気持ちだと、言ってくれている。
「それに満足してるよ。三回目に来てくれてありがとう。十分、今幸せだよ」
結夏は「これで最後でも良いよ」と言って僕の手を握りしめた。
「航生くんがもうやらないって言うなら、私も一緒に降りるよ。……だって私のロミオは航生くんだけだから」
「良かった! 結夏が別のロミオなんかと――」
「その代わり」
言いかけてる途中で結夏が言葉を被せて、そっと触れるだけのキスをしてきた。結夏からするのは、初めての事かもしれない。
結夏? びっくりして、反応に遅れた隙に、結夏は照れ臭いのか、逃げるようにして唇を離した。
「私が目を覚ました時に、航生くんが死んでたとか、そんなの嫌だから。絶対、二人で生き残ろうね」
一回目では間に合わなかった事を、幼い時からここまで、やり切った。やり残した後悔は、もうない。
あと一歩だ。
「命懸けるよ」
約束のつもりで、今度は僕からキスをした。
「結夏にはいつも、仮死の薬を飲む役割をさせてごめん」
「全てうまく行くためなら、あんなの少しも苦しくなんかないよ」
「ね、航生くん。今夜は少しでも寝て。どうせ明日から私が起きるまで、寝ないつもりなんでしょ?」
図星をつかれた。
「ほら、寝て」
結夏が自分の膝を叩く。
「膝枕にして寝ろって?」
「ふふ、じゃあ……寄りかかる方が好き?」
いや、どっちも僕としては嬉しい。……って、そうじゃなくて! 恥ずかしいだろ。それにティボルトが戻ってきてみられたら、それも気まずい。
あれこれ思っていると、結夏は「もう、いつも遅いんだから」と言って僕を引き寄せ、肩に寄りかからせた。肩というか、若干、胸の位置に近い気もするけど。
けれどなんか、結夏の心臓の音を聞き、体温が心地よくて、眠くなってしまった。
朝、起きるといつの間に体制が入れ替わっていたのか、僕の膝の上に結夏が寝息を立てていた。そして顔を上げると、離れた位置で、長椅子に座ったティボルトは既に起きていて、目が合った。
まるで「いつまで寝てるんだ」と言われてるみたいだ。
「緊張感、無ぇ奴」
おはようの代わりに、小言を言われた。僕に対しては相変わらず、文句しか言ってこないけど。一回目のティボルトを思えば、本当に丸くなったと改めて思う。
あいつはあくびを噛み殺す。
「……もしかして、一晩見張りをしてくれてた?」
「別に」
「あと、昨夜は僕らに時間をくれてありがとうな。おかげさまで、いろいろ話せた」
「それより、ずっと閉じこもってるつもりじゃねぇんだろ?」
「町に人が増えている昼頃を狙って、昨日話したことをするつもりだよ」
そんな会話をしていると、結夏は目を擦りながら起きてきた。
「あ。もしかして、寝坊はしてないよね……!?」
はっとして、恐る恐る結夏は聞く。
「大丈夫だよ。まだ朝だ」
「仮死の薬飲むから、寝てばっかになっちゃうでしょ? 私は夜寝なくても良いくらいなんだけど……」
「いや、体力あったほうがあった方が良いよ。体調悪いと薬で酔いが回るかもしれないし」
「そうだよね」
寝てよかった。 と肯定された結夏はわざと笑って見せる。
「ジュリエットに万が一のことが無ければ、寝ようが構わない」
さっき僕に寝てたことを怒ってたくせに、結夏には甘いな。
教会に逃げ込んだのは正解だったようで、パリス伯爵は押し入っては来なかった。多分、扉の外にいるんだろう。
少し、扉の一枚向こうに町のざわめきが聞こえる……。
雨が上がった昼。ちょうど太陽が真上に登った時に、僕らは手を繋ぎながら教会のドアを開き、外に出た。
「じゃ、行こう」
部屋にずっといたから、太陽の日差しが目に飛び込んで来た。やや暑さも感じた。それから、人集りもそれなりにあった。
舞踏会での騒動もあり、みな僕らが何をしでかすのか気になっていたのか、思ったよりも多くの人が立っていた。
その先頭にパリス伯爵が居て、僕らを見上げた。
「おぉ、ジュリエット! まだ生きていてくれたか。ロミオと謝った決意をしていないか、心配していたんだ」
パリス伯爵は両手を広げて喜びを表す。
「パリスさま。お引き取りください」
「何を言う、ジュリエット。心変わりしたと言うなら、今しかないぞ。さぁ、今、ここで! みんなの前で妻になると言ってもらおうか!」
「それは、有り得ません」
僕らが隠れている間に、町の人を味方につけたのか、パリス伯爵は自信に溢れている態度だった。
「私は、パリス様の妻になるは、嫌です」
結夏が堂々と言い、懐から小瓶を取り出す。その際に、左手の薬指にあの血に染った指輪がはめられているのを、人々は見て、短く声を上げた。
あれは、毒か?
ジュリエットが、死のうとしている
呪いで、おかしくなっている
ロミオのせいで、ジュリエットは死ぬ
子供の時に言われてきたのの比ではない、強い言葉となった。それでも。どんなことを言われても、この計画を辞めるわけにはいかない。
結夏が愛情を込めた微笑みを僕に向けて、額にキスを落とす。
それだけで。人々は息を飲み込むように静かになり、僕らを黙って見つけた。
「私は、ロミオと一緒になります」
小瓶のコルクを抜き、結夏は目を閉じつぶやいた。
「神さま、私は航生くんと生きたい。どうか目を覚ましたとき、隣にいてくれますように」
その声はささやくような祈りだったのに、不思議とみんな聞き入っている。結夏が小瓶の中身を口に含む、その瞬間を静かに見届けた。
ただ一人、パリス伯爵は「止めさせろー!」と叫んだけど、結夏はもう中身の液体を飲み干した後だった。
数秒遅れて、結夏の手が痺れ小瓶がこぼれ落ちる。
細くなった息が、結夏を蝕み、苦しそうに、僕の手を掴み必死に耐える。
「結夏! 頑張れ」
「だい、……じょうぶ。だって、……に、かいめだも、ん。くるしく、……っな、つっ、ぅ、ぁあああぁっ ……うぁ」
僕が手を掴み介抱すると、結夏は安心させるように最後まで笑おうと努める。汗をうかべ苦しみと力の入らなさでもう目が開けられないのに。
結夏は苦しみに悶えながら、程なくして、意識を手放し深い眠りにつく。
手がだらけたのを見、誰もが息を飲む音がした。
「僕は! ジュリエットがもう一度目を開けるまで、断食をし、祈り待つ。それまで彼女と共にいる!」
宣言と共に、結夏を抱きかかえた状態で腰を下ろしその場で胡座をかいた。膝の上に、支えるように寝かした。
騒然とした人集りの中を押しのけ、マキューシオとベンウォーリオが走って、教会の階段を上り駆けつける。
「聞いてはいたが、とんでもない演出をしたもんだな……」
「ジュリエットは生きている……のか?」
舞踏会で邪魔をする手伝いをお願いした時に、今日なにをするかは少し話した。それでも、信じられなそうにいる。
見れば誰でもそう思うだろう。
ジュリエットは苦しみながら倒れ、今も僕の腕の中でぐったりとしている。深い眠りに、死んだも同然の姿だった。
さすがのティボルトも、言葉を失っている。