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生きて結ばれた、その先



 夢の中で、毒う売りの男が僕に話かけた。

 ――この世界をもうすぐ終わらすから、ジュリエットに挨拶をしろと。




 僕は知りたかった。二十歳の先の人生を。どう生きて、どんな楽しいことがあるのか。


 誰かを愛し、添い遂げるなんて、病院のベッドで諦めていた、ただの高校生の僕には思ってもみなかった。


 結夏、僕は君に出会えて良かった。



「……ここは…………」

 石の硬さと冷たさが背中に伝わる。下からひんやりとした。


 うっすらと目を開けると、その瞬間、頭にキーンと痛みが走った。ここは、どこだっけ? 上体をゆっくりと起こす。おでこに乗っていたのか、濡れたタオルが落ちた。

 何処かの地下なのか石の柱が数本、大きな空間に立つ。


「航生くん!」

「ロミオ!」


 名前を呼ばれて、思い切り抱きしめられた。僕の腰あたりに女の子がしがみついている。頭はまだぼやっとするけど、その子が誰なのか、声だけでわかる。



「ゆか……」

 それから、目が慣れてくるとマキューシオとベンヴォーリオ。ティボルトも居るのがわかった。


「みんなが私たちのこと、認めてくれたのは覚えてる?」

「そうだ。そうだった……」

 おかげで、ここがまだ三回目の続きだということも、すぐに理解した。


「俺たちは一階にいるから、なんかあれば呼べよ」


 僕が起きて早々に、三人は立ち上がりあっという間に居なくなった。まだ頭が追いつかないでいると、結夏は「私を一人にしておくと、心配だからって。航生くんが目を覚ますまで居てくれたみたいで……」と言った。


「ここは、礼拝堂の地下よ」

「どうりで、涼しい」

「私が寝ている間、水も飲まないで祈ってたなんて」


 断食することは、結夏には黙っていた。心配かけたくなかったけど、言った方が良かったのかもしれない。目を覚ました瞬間、今度は僕が倒れたのを見たら、何が起きたのかわからなるのも無理はないはずだ。

 よく見ると結夏の目は泣いていたのか、赤くなっていた。


「怖がらせて、ごめん」

「ここでは、倒れても簡単に治療できないんだからね」


 現代なら、熱中症になっても点滴の治療はしてもらえる。けれどここだと、意識のない人には、ひたすら身体を冷やすしかない。

 もしかしたら、危ない橋を渡っていたような気がする。


「ひょっとして結夏が、ずっと看病してくれてたの?」

「私にやらせて欲しいってお願いしたの」


「水、飲めそう? 初めて作ったけど、味はそれなりにできたかなと思うんだけど」

 少し自信なさそうに結夏が渡してくれたものは、風邪の時に飲むドリンクに似ていた。


「……飲みやすい」

 身体によく馴染み、ごくごくと飲めた。しょっぱいけど、それも気にならないくらい塩を欲してたんだと自覚した。


「良かった。経口補水液みたいなのを作りたくて。ヴェローナにある、塩と蜂蜜とりんごをすりおろしたのを混ぜたの」


 僕が倒れている間に、いろいろしててくれたのか。

「たくましいな、結夏は」

「そんな事ないよ。ティボルトに怒られたの。航生くんが倒れたの見て、なにもできずにいたら『しっかりしろ』って言われて。なにか、できる事しなきゃって……」


 結夏はそう言いながら、僕を冷やしていたタオルをまた水に付けて、絞った。ふと見ると、結夏は髪を三つ編みにせずに、そのまま長く垂らしている。毛先が桶に入りそうになっているのが見えた。

 咄嗟に手を伸ばし、髪を掬う。


「触っても、いい?」

 手のひらに髪の毛を乗せたままでいると、僕の目を見ていた。

 結夏はなにも言ってないけど、今なら触れても大丈夫な気がして、結夏の頭を撫で、それから首の後ろから、髪の毛先を手で滑られせた。


 結夏は僕が触れている間、怖くて震えることはなかった。むしろ、キスをする時と同じように結夏は、目を閉じて、僕に身を委ねている。

 僕は密かに喜びを感じつつも、今はあまり髪に触れすぎないように、手を離した。その代わり赤くなっているまぶたに触れて、改めて、心配かけてごめんと思いながら、そこに唇を落とす。




「――良くやったな」


 突然、男の声とパチパチと拍手をしながら、誰が現れるもんだから、キス寸前だった僕らはそこで止まってしまった。

 いや、今、いいところなんだよ。このタイミング、絶対にわざとだ。毒売りの男は、僕の睨らみに対して悪びれもなく笑った。



「もう成功した。十分だろ? とっと次のロミオを呼ぶぞ」

「次って? 待ってくれ。こんなところに突然連れてこられて、勝手にジュリエットと恋愛させられたと思ったら、もうお払い箱かよ」

「悪いな」

「待ってください。私はまだ続けたいです」


 結夏はぎゅと目を閉じて懇願した。

 そういえば、夢の中でもそんな事を言われた気がする。


「この世界は終わってしまってこと? もう終わりなの?」

 まだ状況が掴めず、結夏は不安そうになっている。

「ロミオが満足したからだと」

「……航生くんは、満足なの?」


 そんなことは、ない。僕は首を振り、否定した。こんな理不尽な仕方でこの世界でに連れてこまれて、勝手にジュリエットに惚れさせられた。失敗しようが代えがいて、成功してもお払い箱。むちゃくちゃすぎて、納得なんかするか。


「航生くんとせっかく生きて、結ばれたのに」

「僕だって、もっと結夏と生きたいよ」


 結夏も毒売りの男に負けじとすごむ。


「ロミオだって、この先を見たことないんなら、この世界を続けてみたいと思わない? 少なくてもジュリエットは見たいって」

「……ロミオも見たい、……か」


 毒売りの男は珍しく食いついた。


「続けてみてたいわ」

「そんな、あっさりと……って」

「だって私はみたいもの。ねぇ?」


 当たり前に今、会話してしまったけどロザラインが、知らない間に姿を見せていた。



「……まったく。お前はまた、ジュリエット側に甘い」

 急に毒売りの男が現れて小言を言っている。


「この子達は、成功させたのよ。それでも次のロミオを呼ぶつもり? 次は成功するか分からないのに。また失敗するのを見たいわけじゃないでしょ?」

「……」

「いいじゃない。この子達が最後だと言って命懸けたように、私たちも、これで最期にすれば」


 この二人は、管理者のような役割をしているとは思ったけど、それだけじゃない気がした。



「ひょっとして、毒売りの男がかつてロミオで、ロザラインがジュリエットだったとかないか?」

「さぁな。そんな大昔のことは忘れちまったさ」


 毒売りの男が肩をすくめた。

「大昔? いつから」

「これだけは言えるのは……」


 ロザラインがあまり話したがらない毒売りの男に代わりに口を開いた。教えてくれるらしい。


「ロミウスだったり、ピュラモスとティスベ。名前に残らなかった他のたくさんの子達が、大昔から結ばれない恋をしてきたの。この世界はそういった彼らの悲願が、集まってできた存在、とでも言っておきましょうか」

「そんなに大勢の……?」

「気づいたら、私たちでなんとかするのをやめてしまったけれど。今までいっぱい人を巻き込んでしまったわ」


 ロザラインは目を伏せて「勝手に連れてきてしまって、ごめんなさいね」と僕と結夏を手を握り謝った。今さら言われても、どうにもならないけれど。

 ……結夏に会えたことだけは、僕も感謝したい。




「あの人、途中から毒をロミオに飲ますのを楽しんじゃったのよね」

「はは……勘弁して欲しいよ」


 笑えないのになぜか、笑ってしまった。毒売りの男はどっちかというと、ロミオの味方じゃない動きをしてくるのは、困る。


「私はずっと、これが見た! 素敵なものを見せてくれたから、できる限り続けさせてあげるわ。但し、『死』には注意してね。死んでしまうと、知っての通り、終わり。あとはそうね……」


 見せてくれたからって、毒売りの男みたいなことをいう。ロザラインはふと考えてから、少し冗談ぽく笑った。


「満足はしないこと。悲願でできた世界だと言ったでしょ。ロミオやジュリエットが満足してしまったら、終わってしまうから」


 でも、私も何よりも続きがみたい、とロザラインは目を細めた。毒売りの男は、ロザラインの押しに負けたのかなにも言わなかった。





 僕の体調が戻り、結婚式は思ったよりも早く日取りが決まった。


 僕らが大事にしたので、町の人はみな本当に両家が仲直りしたのか気になっているみたいだった。親たちも結婚を認めた手前、それが嘘でないことを示さないといけなくなっている。


 そんな事情もあり、結婚式はひっそりとでもなく、盛大に開かれた。

 もう争わないことをモンタギュー家とキャピュレット家は改めて、町の人に誓った。

 みんなは両家と、僕らに祝福の拍手を送る。


 ゲンキンなもので、みんな僕に呪いの子だとか言っていたのをすっかり忘れて「お似合いの二人だ」とか「町に平和をもたらした夫婦だ」とかそんなことを言う。



 次々と僕らに挨拶する人の列に並んでいたティボルトが、順番になったのか、目の前にやってきて「ジュリエットを幸せにしないと、倒すぞ」とこんな時まで言われた。


「近々、キャピュレットを継ぐし。俺にも縁談の話が来てる」


 あまり乗り気ではないのがわかった。

 僕らは強行突破で、結婚を認めさせてしまった身だ。嫌なら断ればと言える立場でもない。ティボルトが決めるしかない。

 なにを言ってやったら良いのか、迷っていると横にいた結夏が静かに口を開いた。


「ティボルト。貴方が誰よりも変わったことを知っているわ。本当に落ち着いた人になった。……こんなことしか言えないけど、……幸せを願ってるからね。今度は私たちが、貴方のことを祈のらして」


「俺の事は良いんだよ」

 真剣に言った結夏の言葉を、振り払うようにティボルトは目を逸らしている。


「それより、ロミオ。お前もモンタギューの一人息子だ。しっかりしろよ」

「分かってる」


 長くこの世界にいたつもりだけど、この先も生きる事になった。これからはもっと、肝を据えて生きていかないといけない。

 ティボルトは僕を睨みつけていて、気が済んだのかまた別の場所へと去った。



「本当に、すごい人が集まってくれたね。この光景をジュリエットが見たらどう思うかな」

「見てるんじゃない? 結夏の目を通して。ていうか、その辺でロザラインがみてる気がする」

「そうだね」

「満足してないよな?」


 僕らはここ最近、なにかと聞き合っている。

「してないよ。だって」


 そう言って結夏は僕にこしょっと耳打ちした。

 だって、子供の顔見るまで終われないでしょ、って。


「……それって」

「ばか。できてないわよ」


 そりゃそうだ。結婚してからいろいろあったから、今回はできるようなことはしていない。一瞬、一回目の時と記憶がごっちゃになった。


「それでね、ロザラインもこの世界で死んでしまったらダメって言ってたでしょ? この十四歳の体で産む時に、もしものことがあったら怖いから。もうちょっとあとが良いかな」


 結夏は考え込んでいる。ピンと来ていなかったけど、遅れてやっと意味が分かった。命を落とすかもしれないって話だ。


「結夏に死なれるのは困る」

「うん。周りにはまだ子供ができないとか言われちゃうかもしれないけど。まだ、航生くんと生きていたから」


 ……それは、先が長くなりそうだ。


「航生はすぐ満足しちゃいそう」

「そんなことないよ」

「そう? 満足しないように……楽しみはとっておかなくちゃね」


 先延ばしする方法を見つけたと結夏は、微笑む。どうせ、子供が生まれたら、また此処で終わりたくないって、思ってしまうんだろうな。そんな先のことを思い浮かべて、ついおかしくなって笑ってしまった。





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