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第2話 :治癒と沈黙の馬車旅




 夕陽が傾きかけた荒野に、ふわりと風が吹く。


 戦いの余韻がまだ地面に残るその場で、真魚は草壁の腕の中から身を乗り出し、リィーナに視線を向けた。




「リィーナさん……肘、怪我してます」




 その一言に、リィーナは少し驚いたように自分の右肘を見下ろす。


 そこには擦り傷があり、血は止まっていたが赤くなった皮膚が痛々しかった。




「あ……これは、馬車が横転したときについたんです。でも、リリアが庇ってくれたおかげで、この程度で済みました。リリア、本当にありがとう」




「……ということは、リリアさん」


 真魚が不意に鋭い声で言った。


「鎧を脱いでください」




「……えっ?」


 驚いたのはリリア本人だった。


 何を言い出すのかと思った――が、すぐに察する。




 正確には、真魚の意図に気づかれていたことに、驚いたのだ。




「……庇ったときに、怪我したでしょう?」




「えええっ!? リリア、本当なの?」


 リィーナが青ざめて叫ぶ。




「ほんの、かすり傷です」




「とにかく、鎧を脱いでください!」




「で、でも……」


 リリアが一瞬、視線を横に逸らす。


 見たのは、草壁の顔。


 無言だが、当然こちらを見ている。……ような気がした。




 その気配を感じ取ったのは、真魚とお雪だった。




「壁、後ろ向いてろ!」


 お雪がピシャリと命令する。




「え?」


 草壁が小さく首を傾げる。




「壁さん、後ろを向いてください!」


 真魚も、しっかりと言い直した。




「……ああ。すまん」


 草壁がようやく理解したように、くるりと背を向ける。




 それを確認してから、リリアはおそるおそる鎧の留め金を外し始めた。


 甲冑がカシャリと音を立てて地面に置かれる。




 その下にあったのは、肌を守るための薄布一枚――いわば下着と大差ない姿。


 そのままリリアが背を向けると、両腕の上腕と、背中の一部が紫色に変色していた。




「ひどい……!」


 リィーナの目が大きく見開かれる。


 その表情はすぐに崩れ、涙が頬をつたって落ちていく。




「こんなに……こんなになるまで庇ってくれて……リリア、ごめんなさい……ごめんなさい……!」




「リィーナ様、これは本当に、かすり傷です。お気になさらず――」




「かすり傷なもんですか! これじゃあ、大怪我ですわ! 私のために、こんな……」




 リリアは何も言わず、微笑んで首を振る。


「従者が主を庇うのは、当然の務めです」




「リリア……ありがとう……そして、本当に、ごめんなさい……」




 そのときだった。




 草壁の腕の中にいた真魚が、そっと体を起こした。


 彼女の大きな黒い瞳が、ふっと淡くオレンジ色に輝く。




 瞬間、リリアの腕と背中を覆っていた紫色の内出血が、みるみるうちに消えていった。


 同時に、リィーナの肘の擦り傷も、赤みを残さず綺麗な肌に戻っていた。




 ――まるで、何もなかったかのように。




「……治癒魔法ですね、真魚様。ありがとうございます」




 お礼を述べたのはリリアだ。だがその声は、どこか戸惑いを含んでいた。




「痛かったでしょう?」


 真魚が優しい目でリリアを見る。




「いえ……たいしたことありません」


 リリアはきっぱりと答える。けれど、真魚にはわかっていた。




(骨、いってたな……)




 治癒魔法を使った者にだけわかる“中の傷”。

 リリアの骨は折れていたのに、顔ひとつ歪めず、痛みも訴えなかったのだ。




 自分の身を呈して守り、黙って傷を抱える。

 それが彼女の、騎士としての覚悟だった。



:沈黙の馬車旅と呪いの話




 帝都オーガンへと向かう道を、馬車は静かに進んでいた。


 御者台にはリリアと草壁が並んで座り、交代で手綱を握る。言葉は交わさずとも、二人の動きは驚くほど息が合っていた。




 馬車の中では、リィーナと真魚が並んで座り、その向かいにお雪が足を組んでいる。


 ガタン、ゴトン……と馬車が揺れるたびに、座席の革が軋んだ。




「……あの」


 リィーナが口を開いたのは、三度目の沈黙のあとだった。


「また不躾なことを聞いてしまいますが……真魚様は、治癒魔法をお使いになれるのに、どうしてご自分のお足は……」


 そこまで言って、リィーナははっと口を押さえた。


「っ……すみません!いまの、忘れてください……!」




 治せるのなら、治しているはず。

 ――そのことに思い至り、リィーナは顔を伏せる。




 しかし、真魚はふわっと笑った。




「大丈夫、気にしてませんよ。みんな最初は気になるみたいだし」




 そう言ってから、ほんの一瞬だけ、視線を落とす。


「……怪我や病気なら治せるんです。でも、これは呪いなんです」


「……呪い……」


 リィーナが小さくつぶやく。




「治癒魔法では治せないの。魔女の呪いだから」




 馬車の中に、ひんやりとした空気が流れた。


 お雪も、普段の皮肉を控え、黙っている。




 だが、しばらくして、真魚が口元をにんまりさせた。




「でも、悪いことばかりでもないんですよ?」




「……え?」




「移動はいつもお姫様抱っこ。らっきーでしょ? うらやましい?」




 突然の明るい切り返しに、リィーナが目を丸くする。




「……はい。うらやましいです」




「でしょう? まあ……」


 真魚が壁をちらっと振り返る。


「相手が壁じゃなきゃ、もっとよかったんですけど」




「ええっ!? でも、壁さんってイケメンじゃないですか?」


 リィーナが即反応する。




「顔はね。でもね……」お雪が横から入る。


「あいつは人格に問題がある」


「そうかなぁ~?」


「あれは感情がない。ただの朴念仁。」


「表情は乏しいけど優しいところも……」


「違う、あれは“リアルに壁”なの」




「そっか、壁なのか」


「壁だよ」


「壁ってことは……」


「壁だ」




「壁だったらしょうがないね」


「うん、壁だからしょうがない」




 二人の会話に、完全に置いていかれたリィーナは首を傾げる。




「……あの、今の会話、私にはよく……」




 真魚がにっこり笑って言った。


「気にしないで、リィーナさん。壁のことなんてどうでもいいんですよ」


「は、はい……」




 その後しばらく、馬車の中は再び沈黙に包まれた。


 しかし、外の御者台でも、まったく同じような空気が流れていることに気づいた真魚が、ぽつりと呟く。




「……リリアと壁、無言でずっと御者してるけど、気まずくないのかな?」


「そうなの?」


 リィーナが小声で訊ねる。




「はい。草壁様は無口で無愛想なので、本人は気にしてないと思います」




「……でも、さすがにこの沈黙はまずいわね」




 お雪が馬車の窓を開けて、外に声をかける。




「草壁ー!なにか話しなさい!」




 しばらくして、返ってきたのはひとこと。




「……なにかとは、なんだ?」




「ほら、こういうヤツなんだよ!」


 お雪が怒ったように馬車内で叫ぶ。




「えっと……天気の話とか?」


 真魚が提案する。




「今日は晴れている」


「はい、ありがとうございます……」


「他にはないのか」


「うーん……」




 気まずさを感じたリリアが、話題を変えようと声を出す。




「リィーナ様、私から話します。えっと……お二人は帝都オーガンのご出身なのですね?」




「違う」


 間髪入れず、壁が答える。




「……ち、違いましたか。すみません」




「遠くから来た」


「は、はい……遠いところから、ありがとうございます」


「うん、遠かった」




「壁、もうちょっと話を膨らませなさい」


「無理だ」


「無理でも頑張れ」


「無理」




 お雪がため息をつく。




「じゃあ、私が答える。出身地は、壁と真魚と同じ国。だけど、知り合ったのはこっちに来てからだね」


「へぇ……そうなんですね」




「私の生まれたところは、雪国の山奥。真冬になると、雪で何もかも埋もれちゃう」


「すごい……そんな場所があるんですね」


「今度、案内してあげるよ」


「本当ですか!? 楽しみです!」


「私も行きたいです!」




 馬車の中がようやく柔らかい空気に包まれたとき――




「帝都オーガンだ」




 御者台から草壁の声が響いた。




 その声に、馬車の中の全員が前方へと身を乗り出す。




 夕陽の中に浮かぶ、巨大な城壁と高い尖塔。


 ――帝都の姿が、ようやくその目に映ったのだった。




 丘を越えた先に、その街は姿を現した。


 青空を背景に、白く輝く城壁がそびえる。

 数多の尖塔を擁する巨大都市――帝都オーガン。その威容はまさに王都の名にふさわしく、旅の終着を静かに迎えていた。



 城門前には、商人や旅人たちが列を作っており、入場の順番を待っている。

 馬車もそれに倣い、列の最後尾についた。




 やがて、門兵のひとりが手を挙げて合図を送ってきた。




「そこの馬車、次だ。御者、止まれ」




 草壁が手綱を引き、馬車が静かに停まる。


 兵士が近づいてくると、威圧的な口調で言った。




「身分証を確認する。全員、提示を」




 馬車から順に身分証が差し出される。




 リリアは帝国騎士団の徽章を、リィーナは公爵家の紋章が入った封蝋付きの身分証を提示。




「ふむ、公爵家の令嬢か。問題ない。こちらの護衛か?」




「はい、護衛を依頼しております」


 リリアが静かに応じる。




 次に、お雪が冒険者ギルドのカードを差し出した。


 門番が受け取って確認する。




「ふむ、冒険者……発行地:カラヴィナ港街?」




「ええ。私たちは遠方の街から参りました」


 お雪が落ち着いた口調で返す。




 門番が壁と真魚のカードを受け取り、順に確認していく。




「三人ともカラヴィナ発行か。えらく遠くから来たな」




「護衛依頼を受けて移動していただけです」


 お雪が淡々と答える。




「……まあ、冒険者なら遠方からでも不思議はないか」


 門番は納得したように鼻を鳴らすと、全員の身分証を返す。




「よし、通っていい。馬車もそのまま通れ」




 草壁が手綱を軽く引くと、馬車は再び動き出す。


 巨大な城門のアーチをくぐり、白い石畳の道が続く帝都の街へと、ゆっくりと進んでいった。




 高くそびえる尖塔、賑わう街並み、石造りの建物と立ち上る煙――

 帝都オーガンの鼓動が、徐々に五人の冒険者と令嬢たちを包み込んでいく。




 そして、誰もまだ知らない新たな物語が、今ここから始まろうとしていた。




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