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第2話・暁の薔薇

 家臣が浅慮ならモイラは短慮とでもするべきか。政治的実権がない公爵の息子とはいえ、彼の諸々を度外視した友誼での関与とはいえ、第三国を味方にするということは、パラシオンの出方を敏感に感じ取っているはずのオーガスタにとっては、本国をみかぎって、第三国の力を借りてでも対立しようという意志を見せたととられても仕方のないことである。

 そして、モイラの計算は正確だった。案の定、それを見過ごせないディートリヒは事態を真正面から受け止めて、ほとんどその場でモイラの要請を受けると決めた。左右が

「公子、こう申し上げるのも何でございますが、われわれが参加すると事情が複雑なことになりはしますまいか」

と首をかしげながら言上しても、

「私は国の名を背負っていくわけではない。あくまでも友誼だ。何の問題がある」

と一笑にふして、一路エルンストらをともなって隊をパラシオンへと走らせていた。ロクスヴァ公爵も、こういう時の息子は何かを言っても聞くものじゃないと諦め顔で見送った。

 途中、オーガスタ・パラシオン小王国に入ったと思われる辺りで野営を張ったところ、深夜になって待っていたようにパラシオンの斥候が現われ、城下町の様子を伝えてきた。すでに城下町は、グスタフから先陣を命じられたパラシオンの隣国ハイランドの軍に完全に占領されて、城は、ハイランドの軍に囲まれているという。

「城を包囲しているものは歩兵と傭兵が主です。残念なことに町は壊滅的な打撃を受けて一面焦土となってしまいました。ですが民衆は全て城の中に避難しておりますし、隠れるものがないのでかえって軽騎兵が突入して撹乱しつつ撃退するのがよいと思います。ハイランド軍は、いつでもパラシオンは攻略できると、兵糧攻めの持久戦を行うつもりで包囲させている模様です」

「軽騎兵なら、うちを使ってくれ」

エルンストの言葉が聞こえたがしかし、ジェイソンのことが頭に浮かんで、ディートリヒは一瞬顔をしかめた。

「んむ…」

「おいおい、なんだよ、それは。俺はジェイソン卿の事もあって、おちこんでるあいつらにもう一度機会を与えてやりたいんだ、お前だってそう思ったんだろう? 奴ら、寄せ集め部隊なんて、ずっと呼ばれていたくないはずだぜ」

「わかった」

ディートリヒはため息をついた。エルンストの心境を察するようだった。

「パラシオン城を包囲している部隊についてはお前に任せるよ、エルンスト」


「団長、エルンスト様がいらっしゃってますよ」

と団員がいうが早いか、彼らにあてがわれていた天幕にエルンストが入ってきた。

「こたえてるな、ユークリッド」

ユークリッドの落ちくぼんだ顔をみて、エルンストはたまらずははは、と笑ってしまった。ついてきたオルトが彼の裾を引いてそれをたしなめる。

「まあ、なんだ。余り気にするな。

それより」

エルンストはにやりと笑ってふう、と息を吸い込んだ。

「姿勢を正せ、ユークリッド!」

名を呼ばれた本人はもちろん、その場にいた団員一同がエルンストとオルトの前に整列した。

「ディートリヒ・ロクスヴァ公子閣下からのご依頼を承った。閣下は「新フィアナ騎士団」にパラシオン城包囲軍の撃破を命ずる御所存だ! 先陣だぞ!」

どよ、と団員がさざめいた。先陣、という言葉がきつい蒸留酒のように、みるみる彼らを昂らせてゆく。さざめきをせき払いで静め、エルンストは続ける。

「この中には、先日、ロクスヴァ騎士ジェイソン・アイゼル卿に従ったものもいると思う。

反省はいらぬ、道理に悖らぬ上での功を望む、と公子は仰せられた。

しからば、急ぎ準備せよ」

この言葉に、団員一同おう、と短く強い返事をし、弾けるように動き始めた。が、ユークリッドだけが唖然と立ち尽くしている。

「どうした、早く準備をしろ。ディートリヒのことだ、出発は夜明けだぞ」

エルンストは笑いながらユークリッドの肩を叩く。


 ハイランドの本陣はパラシオンの城から半日ばかりはなれた場所にあり、それだけ進軍に時間がかかるということで、ディートリヒ率いる機動力のあるロクスヴァの正規兵達が向かうことになり、パラシオンに向かう「新フィアナ騎士団」とロクスヴァの一部隊は、途中分岐することになった。

 そしてエルンストの予想通り、ディートリヒは夜明けと共に進軍を開始することを決定し、ロクスヴァ兵がてきぱきと準備を進める傍で、ユークリッド以下「新フィアナ騎士団」はだいぶ準備にてこずっていたのだが、それでも進軍前の整列には間にあった。

「たのむぞ、ユークリッド」

ディートリヒは、ユークリッドの覚悟を確かめるように肩をしっかり叩く。頭半分高いディートリヒの、ユークリッドを見下ろす目は、まだ老騎士ジェイソンのことを完全にこだわりを捨てたわけではなさそうだった。今回の働きよういかんでは、たとえ自分達が親友で義弟の手駒であっても、厳しい処分に断じるつもりがあるはずだ。

 それだけはできない。

「はい!!」

自然自然と、ユークリッドは、去るディートリヒの背中を直立不動で見送っていた。


 町を焼き尽くす火は、消す者もないままに、徒に燃え尽きて、煙も細くなってゆく。モイラがディートリヒに書状を送ってから、一週間ほどが過ぎていた。

「城の蓄えは大丈夫?」

控えていた家臣に聞いてみる。

「今城にいる人数では、切り詰めてあと半月もつかどうかというところです」

「私の分は少しでもいいから、その分みんなに分けてあげてね」

「は」

本当は、それだけでは対した改善策にはならないのだが、老いた家臣は返事だけはした。モイラははるか窓の外をみやっている。といっても、夜更けであったから、ちらほらと、ハイランド軍の野営の明りが見える程度である。だが、昼間の焦土が彼女の目から離れることはない。傭兵の襲撃だけが起きたのではなく、情報を嗅ぎ付けた野党達の焼き打ちもあったらしいのだった。

「公子はお手紙を読んで下さったのかしら」

「もうそろそろ、おいでになってもよろしい頃ですなあ」

見下ろす明りが動いているのは、見張りが持ち歩く松明だろうか。

「姫様」

老いた家臣は聞いてきた。ジェイソンのように、長いこと、パラシオンに仕えてきた家臣である。

「私め等、ほんにどうなりましょうや」

国がなくなれば、老後の身の寄せどころがなくなってしまうのを憂えているのだろうか。

「大丈夫。きっと大丈夫」

そういうモイラにも、先の予想などつくはずもなかった。老家臣にも、それがぬか喜びをもたらすだけだと分かっている。モイラたちはどことなく旨味のない和やかさにしばらくただよっていた。が、そこに、集団の大音上が城下に響き、眼下の明りが不自然に揺れた。ついで剣戟、悲鳴。

「何!?」

モイラは闇の中をもっと良く見ようと、窓から身を乗り出す。

「中にお入りください、姫様! 新たな敵襲やも知れません!」

だが老家臣と、モイラの安否を確認しに来た侍女やら兵士やらに無理矢理に中に引き込まれる。


 ユークリッド達の部隊が、パラシオン城へは指呼の距離になったのは、強行軍から二日ほどたった頃だった。野営の煙が細く見えている。

「あとは酒飲んで寝るだけって風情だ」

ユークリッドは呟いて、案内についてきた斥候に尋ねる。

「包囲している規模は?」

「三十騎前後です」

「え?」

「パラシオンはもともと、力に訴える国ではありません。騎士団はありますが、儀仗兵を中心にしたごく小数で、現在ほぼ全員が王に従っていて、オーガスタで拘束されています。向こうはそれを知っているので、情けない話、それで十分パラシオンは陥ちます。ただ、他の全兵力が篭城していることがわかっているので、城下町の門などに、伏兵を警戒した見張りはいません」

斥候は頭をかいた。ちなみに、ユークリッド達の感覚では、騎士百人いれば大軍隊、である。というのは、一人前の騎士一人が動くとなると、必ず従う従騎士や従者も動き、かつ彼らは立派に戦力である。つまり百騎と聞けば実際にはその二倍三倍の勢力を考えなくてはならず、侮れない。「新フィアナ騎士団」はやっと十騎そこそこ、しかも身一つの者ばかりである。借り受けて来たロクスヴァ部隊をあわせても、戦力は三分の一だ。

「下手にあおると城に突入されて一貫の終わりか」

城下町を囲む塀の門の数を確認し、ユークリッドは団員を集めて指示を出した。城は、はやくより警戒して、扉を閉ざしているという。城に事情を説明しようと斥候が城に向かいかけたが、ロクスヴァ部隊の隊長がそれを停めた。

「君が敵に見つかれば、せっかく我々の到着の気取られていないことが無になりそうな気がする。それに、この隊長さんは何やら腹に持っているようだ」

先ほどから顎を撫で考え込んでいたユークリッドは、ロクスヴァ部隊長に促されて、ぼつぼつと説明をした。

「丸腰だからといって、相手は大人数だ。油断してはいけない。部隊を分けて、割り当てられた門の前に移動して鯨波の声を上げよう。相手は緩んでいる。こっちの士気の高いうちに突っ込みたい!」

静かだが気合いに満ちた返事が、あちこちから短く届く。得たり、とロクスヴァ部隊長もニヤリ顔をして、てきぱきと部下やフィアナ面々を分けていく。

「移動!」


 それぞれ受け持つべき門の前に迫り、「新フィアナ騎士団」とロクスヴァの一部隊総勢二十余騎は、一同腹の底から声を出した。突然の大音声と蹄の音に、本当に後は寝るだけだったハイランド軍は、もともとが士気の低い傭兵の多いことも手伝って、小一時間もたたずに散り散りになっていった。

「半分ほどを逃がしてしまいました。あいつら予想以上にすばしこいです。城壁をよじ登ったのもいるみたいです」

と報告する団員に、ユークリッドは

「傭兵は自分に利益なしと見れば逃げ出す。追うな。そんなのを討っても手柄にはならない」

と言いながら、持っていた槍の穂先を濡らす血を振り落とした。慣れたくない、人の肉に槍の刃が食い込む感触が、まだ手のひらに残っている。

「公子達に連絡をとろう。残党を警戒しながら待機。夜明けと共に、町の復興作業を開始する」

それが、ジェイソン卿と仲間を失ったせめてもの償いだ。彼は集まった面々にそう言い渡した。


 持っていた武器を工具に持ち替えて、「新フィアナ騎士団」の新しい仕事は夜明け早々に始まった。パラシオン城はずっと静まり返っている。避難している民衆も兵士も一人もパラシオン城の外に出てこなかった。だが、城下町の外に逃げていた民衆や、附近の農村から勤めに出てきた人々が彼等を発見し、ぼちぼち手伝い始める。

 意外にも、ロクスヴァ本隊はまだハイランドと交戦中だったということだ。だが、ユークリッドの要請は、向こうの攻略が済み次第実行されるとの返事が返ってきた。

 さて、モイラは、十分日が昇ってから、いつもの物見から外を眺めて、様子が一変したのに驚いた。昨夜まではためいていたハイランドの旗はなくなっていた。しかし、人影は沢山動いている。木や石がぶつかりあう音も響いてくる。人をやって様子を伺わせて、モイラは少し驚いた。

「ロクスヴァ軍ではないの?」

「わかりません。紋章などは見かけませんでした。だだ、奴等は武装を解いている上に、場内以外に避難していた民衆もいつの間にか手伝っているようです」

「ひょっとして、昨夜のあの騒ぎは」

「可能性はあります。ですが、姫様、まだ警戒なさったほうがよいように思われますが。案外と、それで恩を着せて法外な謝礼を巻上げようとする野盗の一団やも」

老いた家臣が忠告したが、モイラの顔は急に華やいだ。

「私、お礼がいいたいわ、その人達に」

「ひ、姫様」

「誰かついてきてください。武器は何もつけずにね」


 荒された土地が一区画ずつならされて、焼け残った材木でちらほらバラックがたてられ始める。ハイランドの残りものも役に立っているようだ。血の気の溢れる腕っ節だけが取り柄という若者の集団だったから、力仕事はお手のものだった。

「そーれ!!」

号令一下、新たにバラックの柱が一本立った。すでにユークリッド達の服は焼けた材木の煤と泥にまみれている。しかし、いかんせん、この城下町にあった資材の量は少ない。

「まだハイランドの本隊は決着がついていないのかな?」

と彼がつぶやいたとき、

「団長、パラシオンの王女が、お礼の挨拶をなさりたいそうです」

と団員が呼び止めた。

「は?王女樣が?」

 まさか。そんなやんごとない筋がこんな半分ならず者の集団に挨拶なんかするものか。ユークリッドはまずわが耳を疑った。ブランデルの国元では、たとえ団員の身内であっても、向こうから声をかけてもらうことはない。団員全部を弟のように思っているらしいオルトは例外であるが。何となれば、「シニスター・フィアナ」は、エルンスト最悪の道楽であって、彼等がそそのかすためにエルンストは、いつまでもただの一騎士の様に国外に出歩くのだと聞こえるように陰口を叩かれているのである。王子は今、彼の日常を憂慮した父国王によって、王太子位を凍結されている。それが、王子の放縦に拍車をかけていることを、まだ当局は悟っていない。

 とにかく。王女様の登場に、

「お姫様がおれ達に会いたいって?」

「すげー、俺達も立派になったぜ!」

団員は躍り上がる。

「静かにしろ」

ユークリッドは半信半疑のまま彼等を制止し、ともかく作業を中断して集合するようにいった。

「本当にパラシオン王女といったのか?」

「は、はい。もうあそこでお待ちになってます」

団員の指差す先には、丸腰の兵士を二三人連れ、乗馬ブーツに膝丈の鎧下、鮮やかな色の革の軽鎧といういでたちの…戦いの女神のような、という形容がふさわしい…凛々しい美貌の王女が立っている。回りがあわただしく動き始めて、きょろきょろしていた王女は、やがて、ユークリッドを中心人物と認識したらしく、彼の許に歩み寄ろうとする。が、それに気がついたユークリッドはそれを手を制して、集合していた一同に号令した。

「整列!」

当を得たりと団員はならび始める。やがて、ユークリッドは、王女に手を差し伸べ慇懃に招いた。彼女が前に出た瞬間、団長以下「新フィアナ騎士団」の一同はざっと膝を折った。

王女は、いささか、彼等の態度に恐れながらもめんくらい、しばらく言葉を選んだ後、

「…パラシオンの町を救ってくれてありがとうございます。私は、パラシオン王アレックスの妹・モイラです。あなた達にお礼がいいたくて、矢も盾もたまらず出てきてしまいました」

口を開く。涼やかな声が辺りに広がっていく。

「ですが、私は、あなた達が誰の麾下の騎士団なのか、それとも、友誼で現われた自由騎士団なのか、それが知りたいのです。お名乗りくださいましな」

「…」

ユークリッドは顔を上げた。遠目にも一際輝いて見えた王女は近づくほどに眩い。

「私達は、友誼により、ディートリヒ・ロクスヴァ公子閣下に加勢しておりますブランデル王子エルンスト麾下の一同、パラシオン救出の特選隊です」

いきなり知った人間の名前が出てきて、神妙だったモイラの表情にぱっと花が咲く。

「それでは、ディートリヒ様はお手紙を読んで下さったのね」

「はい。公子は、王子と共にハイランドに向かわれました。直に良い知らせが…」

すると、

「モイラ!」

と声がした。ユークリッドの方に視線を下げていたモイラが顔を上げ声のほうを見やる。

「…ディートリヒ様!」

ディートリヒが到着していた。エルンストやオルトも一緒である。

「遅れてすまない。だが、ハイランドは完全に撃退した。城を接収している。しばらくは安心できるぞ」

「ありがとうございます。ディートリヒ様。あなたが差し向けて下さったこの方達のおかげで、大変助かりました」

ユークリッドはゆっくりと立ち上がった。ディートリヒは左右を見回す。

「どういうことだユークリッド」

「はい。ハイランドに破壊された町の復興を手伝おうと決めました。次の戦闘が始まるまでですが、それまで、できることをやろうと」

「それでハイランドの資材をもってきてくれと」

「パラシオンで調達することは難しいと思われたので」

「そうか」

ディートリヒはじっとユークリッドの目を見つめた。彼の判断を値踏みしているように見えた。

「…ジェイソン卿、が、生きて、おられた、ら、きっと、そう、なさる、だろう、と、思い、ました」

わずかに呼吸が浅くなり、ユークリッドの方も、ディートリヒの顔色を伺った。出来損ない騎士の身勝手に過ぎただろうか。しかしディートリヒはすぐに相好を崩して微笑んだ。一週間前の厳しい眼光はない。

「なるほど。よくわかった。資材はもう荷解きをした。しばらく、ここに本拠を定めることにしている。私もエルンストも、パラシオンの家臣達も作戦やら交渉やらで忙しい。君がそういうことをしてくれるのは非常に助かる」

そういって、笑って、ユークリッドの肩を叩いたディートリヒは、モイラの招きに応じるままにパラシオン城の中に入っていった。


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