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第12話・湖のほとりにて

 出立の日、ブランデルから一行を向かえに来た船の船長が、ブランデルに早い初雪が降ったと告げた。

大部分では溶けてしまったが、これからモイラが暮らす北の方では、そのまま根雪を迎えるだろう、今年はいつになく雪の多い冬になるかもしれないということだった。

 ブランデル王が用意したという城は、その北の高原地帯に広がる針葉樹林の中にある、「女神の涙」の別名を持つもっとも美しいとされるディアドリー湖のほとりにあった。城の名もディアドリーという。

 いつもは、王族が夏をすごす別荘であり、冬は訪れる人もなく、寒々しい程に静かであったが、時ならぬ主を迎えるにあたってにわかに華やいでいた。

 日の傾きかけて、身を切るように冷えた空気に頬を赤くしたモイラは、初雪の白にうっすら化粧した優雅なたたずまいに歓声をあげた。

「あれがわたしのお城?」

馬車の窓から身を乗り出して躍り上がる。

「そうよ、モイラがいいというまで、ずっといていいのよ」

それを押さえながらオルトが答える。

「あなたが見たいといってた、大きな湖もあるのよ。もう氷が出始めてしまったけれど、春になったら一緒にお船に乗りましょう」

 馬車が止まり、出迎える使用人たちを見ようともせず、城の中に駆けこんでいくモイラをオルト達はいたたまれず見ているしかなかった。


 フィアナの面々は、首都に帰還するブランデルの正規軍の後ろを進んでいた。だが面々の表情はそれまで本人達を白眼視していたはずの本国にあっても明るい。こんな半端者の扱いはもうすぐ終わる。パラシオンを救い、モイラを守った功績が認められたのだ。帰れば、フィアナの構成員はほぼ全てが騎士に叙勲され、この組織も王太子の特命隊として正式に認可されることになったのだ。特にユークリッドは、「ブランデルの槍騎士」という通り名をもつほどの目覚ましい働きをしたとして、また王太子特命隊の隊長であり、希有な二つの国の騎士位を持つ身にしかるべき処遇として、低くはあるが爵位すらあたえられることにもなったらしいが、それは打診された時点で辞退した。すべて、アレックスの遺志を予想して汲んだエルンストが計らったことであるのだが、爵位の辞退は予想通りだったらしく、エルンストは怒りもしなかった。

「確かに、何爵と呼ばれてふんぞり返るよか、その方がお前には向いているだろうな。だが、王太子特命隊隊長としてふさわしい格好はしろよ。そっちの方は、オルトの方が一切合財世話してくれるそうだ。宮廷のうるさ方は鵜の目鷹の目だからな、少しでも品行に落ち度があれば、間違いなく『シニスター』の名前を出してくるぞ。ああいう目はもうこりごりだろう?」

からかいぎみに、その時ユークリッドが着ていた、下級兵卒の官給品の着古しの襟を軽くつついた。

「…それと、モイラの守護とディアドリーの警備は新生『新フィアナ』の任務第一号だ。

しっかりやってくれよ。そうすれば、お前も、俺の『密命』をまっとうできるだろう?」

「…それは、王子の格別の御配慮がありながら、御期待には添えず…」

「おいおい、そういうことは誰かのためにするものじゃないだろう」

ユークリッドが頭を下げると、エルンストは目を丸くした。

「お前達は、パラシオン騎士団不在という大きな間隙を埋めたとするにたる十分以上の働きをした。それは、うるさ方も悔しいが認めないわけにはいかないだろう。

 お前の頭の中には、ジェイソン卿のこともすこしは引っ掛かっているだろう。だが、こう言うのもなんだが、お前達の働きは、モイラがいかにお前達に懐いたか、その事実をもってすれば、納得させるに十分だ」

「過分の御評価有り難く思います」

「過分なもんか。お前はもっと報われていい。…アレックスがあの時、お前になにを言ったかは知らんが」

「特に重要な事はおっしゃっておられません。翌日は暴動のために物騒になるから、よくよく王女を守れと、翌日の算段をお教えくださっただけです」

「そういうことか。アレックスもいろいろ考えて、あの中でできる精一杯をしてくれたんだしな。俺の方が付き合いは長いから、大体の所はわかっているつもりだが、そういうことにしておこう」

「王子」

「冗談だ。それにしても、もっと、モイラとお前の間は近くなると思っていたけどなあ」

 …そんな出立前のエルンストとの会話を反芻しながら、非戦闘員を乗せた馬車の殿を守って馬上にいたユークリッドに、幌馬車の帳が上がり、あの女剣士が顔を出した。

「!」

「お疲れさま」

女剣士はにっと笑った。

「…傭兵は全員解雇されたはずだ。国には帰らなかったのか」

「あたしは故郷をすてた女さ。それより、帰る場所があってもあたしはここにいなきゃならない」

「どうして」

「あんたのご主人に直談判したよ。あんたの騎士団の特別構成員って身分さ、今は」

女剣士は馬車の枠に持たれてくつろいだ格好になった。

「お姫様の行く末が気になったといったら、あんたのご主人も、納得してくれたよ。お姫様を男より近く守れるあたしみたいなのが欲しかったってさ。お姫様の警護を仰せ使ったよ」

そして、ユークリッドを見る。

「お姫様のこともあらかた聞いた。あの状態のお姫様にオーガスタの刺客やらが来たら、大変だって、ね」

「え?」

ユークリッドの顔色が変った。女剣士に話しかけようとして、口をぱくぱく開ける。

「…え…と」

「私はナヴィユ」

「ナヴィユ、一体どういうことだ、オーガスタからの刺客って」

ナヴィユは、ながい黒髪をうるさそうにかきあげる。

「あの革命は、未完成なんだよ。小王国からは、確かに、王や貴族は消えた。だけど、オーガスタという国から消えたわけじゃない。もう一度、風向きが自分達に回ってくるように息を潜めている。カイル公国の助けもあるから、巻き返しは早いだろう。

そしてパルチザンは、敗北を喫してしばらく腑抜けになる。革命になんて手をつけられる状態じゃないだろう。

 力をつけてきたオーガスタに邪魔なもの、力を失ったパルチザンが結束を固めるために欲しいもの…なんだと思う?」

ユークリッドは少し考えたが、一つだけの答えは否定しようもなかった。

「今のお姫様に、それが耐えられると思うかい?」

ユークリッドはかぶりを振る。

「今の王女にもっとも必要なものは休養だ」

「そうだろうとも」

ナヴィユはもっともそうな顔をした。

「ここでパルチザンの面会やら、オーガスタの刺客やら、そんなものを近づけたら、せっかく遠くブランデルに来た意味がないだろう?

 ブランデルで取り立てた侍女にそんなのがいて万一トラブルがあったらことだからねぇ」

「殿下がそう?」

「いや。…でも、わかりそうなものだろ? 騎士様」

あんたニブいね、ナヴィユはくすくすと笑った。ユークリッドは苛立たしそうに顔を背けた。

「話しはそれだけか」

「恐い顔しなさんなよ」

彼女はしばらく楽しそうな顔をしていたが、ふと真面目になる。

「…戦いに魂を削られて、お姫様みたいになったやつを、あたしは大勢知ってる。目の前で人が死んで、恐怖で記憶が飛んだ奴、子供は愚か、赤ん坊に戻った奴、変な歌を歌いながら、崖から落ちていった奴… お姫様は運がいい、こんなにいっぱい、大事にしてくれる人がいる… あんたみたいに」


 首都に着き、なんのかのと式典を終えて、ユークリッドはフィアナの面々を一同に集めた。彼等専用の制服まで官給品として与えられ、着なれていないぱりぱりに緊張して集まった一同に、ユークリッドは告げた。

「今後殿下ご夫妻は、公務を中心に生活される。外出も以前のように足繁くはおできになれない。方々を失望させないためにも、本日より託されたディアドリー城の警護は重責と考えていい」

彼は面々に、

「もう知っていることとは思うが」

と前置きした上でモイラの状態を語った。そして、これはアレックスのことがショックだったことに加え慣れない戦場の苦労が今になって出たものだから、じっくり静養させるのが一番で、またそれ以外には方法がない、とも。

「王女は今後のパラシオン、ひいてはオーガスタ全体に必要とされている大切なお方だ。みんなの中にも、個人的感情をもって心配するものもいるだろう。各々、自分の家族と思って、王女の回復を見守って欲しい… そう殿下は仰せだ」


 数日後に、エルンスト達がディアドリー城を訪れた。モイラは、こちらで新しく取り立てた侍女とも打ち解けて、まったく「変りのない」生活を送っているとナヴィユが報告した。「拠ん所のない事情」でモイラの面倒を見られなくなったアレックスの計らいで、ここに暮らすことになったという事情も素直に受け入れて、今のところ、駄々をこねたりということもないらしい。

「今はお昼寝をしております」

と侍女の頭目が言うと、エルンストは

「すぐ帰るわけではないから、ゆっくり眠ってもらって後で会ってもいいだろう」

と鷹揚に答えた。

「今は彼女の精神健康がなによりの優先だ」

「そう」

ナヴィユがもっともそうに頷いた。

「…それから、団長どの」

そして彼を向き直り、

「お早いお着きで」

と目を細めた。

「どういうことだ」

「姫様があんたを探していた」

「俺を?」

「あら」

オルトが興味ありそうな声をあげる。

「すみにおけないのね」

ナヴィユがまた目を細め答える。

「この間の木の一件で、団長によほど恩を感じていらっしゃるようです。何かとそのことを思い出されて、しきりに気にされておりました。何をしてあげればよろこぶのかと、聞かれましても、私は団長じゃありませんから」

「そうなの」

「幸先のよさそうな話だな。俺達が世話を焼く程ではないのか?」

「かもね」

顔を輝かせて見つめあう二人だったが、ユークリッドはあわあわと手を振った。

「ち、ちょっと待っていただけませんか」

「あら、不満?」

「そんな悠長なことを言っていられる状況でない人はあなた方もご存じでしょう!」

言ってから、ユークリッドはは、と口をふさいだ。

「失言でした!」

「いや…たしかに、今のは悪ふざけが過ぎた。

だが、今のモイラの行動に、真実がないとは言い切れない」

「…その辺は、私からはお答えしかねます。ですが、後ろめたいのです」

「なぜ」

「アレックス王は、本当に、私に王女の伴侶たれとの意味を込めて、私に王女を託されたのでしょうか。

善かれと思って、実はまったくの思い違いをしてはいないのでしょうか」

「どうしてそう思って?」

聞き返すオルトの声にははっきりと苛立ちが含まれている。うつむいて、それからしゃんと顔をあげて、彼は言った。

「わかっております。王がご満足されるような器量が、私に備わっているとは思えません」

しばらくの沈黙の後、オルトが今度は呆れた調子で言う。

「自分に対して自信を持てないのは、あなたのとても悪い所よ」

そう言っていたわね、ナヴィユ? 水を向けられて、彼女は一瞬驚いた顔をしたが、しずかに言う。

「例えるならば、自らが空の王者であることを知らない、巣立つ前の隼。…私の国では、大器を感じさせる若者はそう表現するのです。

 ユークリッド、あんたの器は、あんたが考えている以上に大きい。

 まあ、あまり素行がいいとは言えなさそうなあんたの仲間が、あんたの命令だけは素直に聞く、それもあんたの器を知らず知らず感じているからさ」

いかに自分に自信がないとは言え、ほめられて嬉しいのはユークリッドも同様である。だが、ことモイラに関しては、ハタからは情けない程でも、及び腰にならざるを得ない。ユークリッドは、あの夜の、アレックスの血を吐くような言葉を反芻していた。

「王という自尊心がなかったならば、私は無理やりにでも、この想いを遂げているよ」

 彼がそれにうち克つことに、命を代償にしなければならなかったものを、自分がどうして堪えきれようか。

 今と言うときが、いかに尋常ならざる時期か、そういう常識と理性が彼の首根っこを捕まえていた。だが、裏を返せば、自我の薄くなったこの状況なら、なにくれと口実を作れば容易く手折れる。

 ユークリッドはそういう微妙な均衡の上で、つま先で立っている気分だった。落ちてしまえば楽になる。だが。


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