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第13話・残酷な妖精

 だまって座らせておけば、彼女は今まで通りの貴婦人で、こと事情を知る者にとっては責め苦の様な美しさをたたえていた。

 楚々として気高く、会う者全てに跪かせずにはいられない輝く王質を秘めていた。あの金色の髪は、ハサミをいれることを拒むほどにいよいよ長く、背を覆うほどになっていた。やつれの完全にとれぬまだ少し白い肌を彩りますます美しくなったと、ディアドリーで雇った侍女のような半可通はいう。

 ただ、今の彼女は、蓋をあけるとただの十才の子供だった。間食が過ぎて夕食を残したり、恐い魔法使いが出る物語に眠れなくなったり、そんなことばかりの子供だった。

「守ってあげたいと思わせるつぼを心得てる子だね、このお姫様は」

ナヴィユが遠巻きにみながらため息のように言った。ユークリッドの今までに見知った、王女として、将校として、政治家としての王女は、いずれも、かけらすら見えなかった。

 雪はいよいよ根雪になろうとしていた。


 「ナヴィユ、ユークリッド、こんな大きな雪玉ができたわ!」

 この城には城壁はない。一歩城を出れば、果てしない針葉樹林に囲まれてしまう。それを伐採して広い空間を庭として、その大量に積もった雪のなかに、モイラの赤い衣装がよく映えた。彼女は今、警護に駐留しているフィアナの特に気にいりをつかまえて、雪玉を作らせていた。

 城にはいる前、新参の団員を中心に、王女の状況をもう一度説明し、「決して彼女を哀れんだりするな。彼女は狂人ではない」と言うと、一人が

「それじゃ、子供の遊び相手をする積もりでいればいいんですか」

と手を揚げた。別の一人が

「俺、歳の離れた妹がいるんスよ。お姫様の遊び相手ならお任せ下さい。団長よりうまいスよ」

と申し出て、すすんでモイラに接触しようとするものもいたが、大抵は、想像以上のモイラの子供さにおよび腰になっている。

 さて雪玉はといえば、その庭のあちこちで発生している。雪だるまもある。自分の背丈ぐらいあるものを指して、

「これね、お兄様よ」

とモイラは喜々として説明する。

「それはよございました。お姫様はどちらに?」

ナヴィユが話をあわせると、モイラはそのそばの腰ほどのものを指した。

「お兄様が、私に剣を教えて下さっているの。そうそう、何か剣の代わりになるものない?」

たしかに、雪だるまは、ただ向かい合っているだけで、そのままでは彼女の芸術の完成にはならないらしい。

「そうですか」

ナヴィユは笑んで、自分の腰に下がっていた長剣をはずして、兄という雪だるまに差した。

「あんたのもおよこし」

そして、ユークリッドの件の剣もはずし、もう一方に、ちょうど触れあうように調整して、

「いかがでしょう」

と見せた。この趣向は大いに彼女の気にいったらしい。短い歓声をあげて、

「ありがとう、ナヴィユ」

抱きついてくるモイラの、ほとんど背も変らない頭をなでながらナヴィユは手をおのが頬に当てた。

「姫様、冷えましたね」

そうだ、中に入れようと呼び戻しに来たのだ。

「王女、そろそろ中にお戻りください。侍女が暖かいものを用意しております」

腰を引き、胸に手を当てた略式の礼でユークリッドが言う。

「まだ遊びたい」

モイラは顔をしかめた。すると、後ろでつきあっていたフィアナの一員が

「姫様、中に入りましょう。私達にも侍女殿のおいしいお茶の後相伴に預かる栄誉をお与え下さいまし」

「そうそう。我々もう凍えマスう」

大げさに自信を抱きしめる姿をみて、モイラはくすくすくす、と笑う。

「いいわよ」

「では中にどうぞ、姫様。姫様がお風邪を召したら、うちの団長が王様にしかられます」

「まあ」

団員の手をとりながら、モイラは瞳をくるくると輝かせ、驚いた顔でユークリッドの顔をみた。

「ごめんなさい。わがまま言っちゃダメね。お兄様、怒ると恐いのよ」

「お利口な姫様もしかられなさいますか」

ナヴィユが聞く。

「本当に私が悪かったときだけ。だから、素直に謝るの。ごめんなさいって」

お兄様がいつもにこにこしていらっしゃるように、私はいい子になるのよ。モイラは言って、中に入ってゆく。

「少し無礼ではないか?」

ユークリッドは、残った団員に渋い顔をする。

「相手は王女でいらっしゃるのだから」

「逆にいやがられるよ。あんたの態度こそ、慇懃無礼ってやつじゃないのかい」

ナヴィユが横で言う。

「あたしたちは姫様を教育しているんじゃないんだ」

ユークリッドは何も返さず、雪だるまに刺さった件の剣を抜き、凍った柄をまた腰にかけた。足音はしなかったが、荒々しく雪を蹴立てて中に戻っていった。


 尊敬する王の形見として、モイラに対する礼は欠きたくなかった。否、ともすればはじけ飛びそうな理性を何かでつなぎ止めていたいのかもしれない。

 子供に戻ってから、モイラの表情は急に豊かになった。顔も去りながら、体全部を使って喜怒哀楽を表現する。今はナヴィユだったが、一度、あの無邪気な抱擁を受けたことがある。ディアドリー城に到着して、最初、モイラを警護する「新フィアナ騎士団」団長としてモイラに謁見をした時、部屋に入るなり彼女が飛びかかってきた。ナヴィユの想像したように、あの木登りの一件を覚えて、現在の彼女なりに恩を感じているようだった。

「今までどうしてたの? お礼が言いたくて、ずっと待っていたのに」

へどもどと返答が十分にできず、侍女に助け船を出された。モイラは目を丸くして、それからふんわりと微笑んだ。

「へえ、偉くなったのね。おめでとう」

「ありがとうごさいます」

やっとこれだけ言葉を返せた。

「ずっとここにいるの?」

「ここで王女をお護りするのが我々の任務です。

 …あの、王女、」

「何?」

「な、んでもありません」

自分の胸板に当たる王女の胸の感触に緊張以上の何かを感じたとはとてもいえなかった。団員の言うことが間違いでないことを図らずも彼は実感した。モイラは細い手足のわりにははっきりした凹凸がある。器は器で、中身の無邪気な言動などどこ吹く風なのだ。

「姫様、騎士様がお困りですよ」

侍女がまた助け船を出した。

「騎士様はこれからお仕事ですから、姫様はこちらで」

と招き、モイラは「遊びに来てね」と手をふりながら去っていった。


 王太子夫婦のディアドリーでの逗留は、どうも予定外に長引いているようだった。

 帰りたくても、従者を含め何十人からの人数が往来するには、すでに雪が深くなり始めていたと言うことだ。今年の雪は早く、しかも多い。だが、この、ディアドリー城を擁する北部の森林地帯に降る雪が、春には融け、川となり、ブランデル全国の豊富な穀物を育むのである。そういうことをわかっているから、誰も雪に文句を言ったりはしない。夫妻は翌春までの逗留を覚悟したようである。

 ブランデル王太子は軍部の最高司令官でもある。その関係の、決裁を求める書類が何日かに一度届けられて、王太子の職務には支障はない様なので、ブランデル王もとくに訓戒しない。雪が融けて暖かくなれば、本人がディアドリーに赴いて、モイラと会見するつもりでもいるようだ。

 「新フィアナ騎士団」の任務も上々の首尾で遂行されていた。森の中にぽつんと立つ城では、問題の起こしようもないのだが。

 ユークリッドも、そういうある意味気楽な任務のひとりであるわけだが、

「それにしてもわからないのは」

と、首を捻った。

「どうしてオルト様とナヴィユの仲がいいのかという事だ」

男の預かり知らない場所で、いろいろと膝突き合わせる事もあるのだろう。エルンストに直談判するだけで「新フィアナ騎士団」の定員外構成員とはうますぎる話なのだが、なるほど、オルト様の推薦があればエルンスト様も首を縦に振らざるを得ないだろう。「なんだかんだいって、エルンスト様の恋女房だしなあ」という、だれか団員の言葉に、不敬ながら頷きたくもなろうというものだ。

 そのオルトが、またぞろナヴィユをお召しである。

「教練の時には姿を見ましたが、それ以降は」

と彼女の居場所についてユークリッドが返答すると、

「探して来てくれないかしら。ついでにモイラも連れて来てくれると嬉しいわ。久しぶりに三人でお茶でも飲みたいの」

「さようですか。わかりました」

「ありがとう。手が離せなくて」

エルンストなら、「手の離せない仕事とは何の事やら」と苦笑いをするところだが、ユークリッドはいぶかしがらず、立礼して承った。


 団員達の話によれば、モイラは昼寝をしているから、ナヴィユは部屋にいるはずだということだった。ユークリッドはそれを聞いてきびすを返そうとする。

「そうか」

「あああ、団長、行っちまうんですか」

「だめか?」

言い淀んだ団員の背中を、他の団員がつついた。

「あ、いや、だめなんてことはないですよ。ただ、何の前触れもなしだと、おそらく困る事になると」

「困る事?」

団員は、ナヴィユの部屋に行かせない事をいぶかしむユークリッドにどう説明しようと髪を掻いた。

「あー…なにせ、大剣ぶんぶん振り回す男勝りでも、女は女ですからね」

「俺には何の下心もないぞ、オルト様がお呼びだから迎えにいくだけだ」

団員はそれいじょうなにを言う事がなくなったらしい、ユークリッドは「変な奴等」と呟いてから、おもむろにナヴィユの部屋に向かった。


 「ナヴィユ?」

ノックのあと、返答がないのを変に思いながら、扉を開けると、奥の方から主の声がした。

「ね、ちょっと、誰か来たよ、放してよ」

「団長だよ。朴念仁なもんだから、中で静かにしてりゃバレやしねって」

ついでに、誰か団員の声がする。自分がダシにされているのもさりながら、「朴念仁」という言葉は分からないが、どうもコケにもされているようだと悟ったユークリッドは、声にややドスを聞かせた。

「誰がボクネンジンだ」

「だっだだだだ団長!」

「何してる、ここで」

ことさらに踵をならしながら(ユークリッド本人はわかっていないが、こう言う歩き方をしてくる後は団長の雷が落ちるとの専らの定石であった)、続きになっている寝室に入っていこうとする。

「出て来い、今のお前の言い分、詳しく聞かせてもらおう」

「ちょ、ちょっと待って」

というナヴィユの声を聞く暇もあればこそ、彼は閉まっている寝台の帳を開けた。開けてしまった。


 後ろ頭の鈍い痛みで、真っ黒だった視界に光が指すのに気がついた。ナヴィユとオルト、団員と、モイラの顔もある。

起き上がって、軽いめまいを押さえ付けてから見回すと、そこが、自分の部屋だということに気がつく。エルンスト夫妻やモイラの部屋とちがって、必要最低限のものしかない、質素を通り越して殺風景な部屋だ。ナヴィユの部屋で倒れて、ここまで運ばれて来たらしい。

「大丈夫?」

オルトの声が暖かく聞こえたが、すぐ、吹き出しそうな笑いを堪える顔になった。団員は困惑気味に頭を掻き、ナヴィユは仏頂面をしているが、目もとが少しく赤らんでいる。モイラは、ユークリッドの頭からコブを冷やす濡らした布が落ちたのを、押さえ直すオルトの手伝いをしている。

「…だから団長は、こういうところが朴念仁だっていうんですよ」

団員が尤もらしい調子で言った。

「まったく」

ナヴィユがぐいっ、と、思いきりユークリッドから顔を背けた。

「失神されるなんて思いもしなかった!」

「まあまあ」

オルトは手当てを終えてくすくすと笑いながらそれをなだめる。

「心構えがなければ、そんなものよ。…ユークリッドはちょっと大袈裟みたいだけど」

ユークリッドは失神直前に目に入った風景を思い返そうとした。だが幸か不幸かなんとも漠然として、頭痛だけがひどくなってくる。ただわかっているのは、そういう狭い空間で、全裸の男と女が差向いで、まさかやっていることがジャンケンやオチャラカですむことはまずないだろうということだ。そういうことが分かってしまう自分が少し浅ましかった。

 オルトは事態をまとめようとしている。

「特に騒ぎが起きたわけではないから、事を荒立てる必要はないでしょ、ユークリッド?」

「はあ」

実のところ、彼はあまり考えたくなかった。考えようとする度に頭痛がする。

「それは、オルト様の御判断にゆだねます」

「だそうよ。ナヴィユ、でもこれからは自重してね」

「わかってます。もうこんな恥ずかしい事まっぴらですから」

ナヴィユは投げるように言って、部屋を出ていく。団員がそれを追う。オルトはその二人を見送った後、ユークリッドに向き直る。

「いい機会だわ。一両日ぐらいはゆっくりしなさい。傷はないけど、頭打ってるんだから、その方がいいって、お医者様のお話よ」

「はあ。でも、大丈夫でしょうか。今の所、暴走するあいつらを停められるのは俺ぐらいなのに。そろそろ、城暮しが退屈になって、悪巧みの一つでも考えだしそうな気が…」

「エルンストがいるから大丈夫よ。このことも、団員どうしの問題で済ませるつもりみたいよ。でも、こんな人里離れたお城の中で、『侍女と深いおつき合いしちゃいけない』なんて、すこし大人気ないわね。

 それとも、いままでバレなかったのが不思議なくらいなのかしら?」

あのひとは自分の事を棚にあげるのがうまいから。オルトはくすくす、また笑った。

 その間、モイラは、ユークリッドの傍らに椅子を引き寄せて、つくねんと腰をかけ、二人の会話を聞いている。その会話が終わって、ごっそりとヘッドボードの枕に身を預けた彼の顔を覗き込んだ。

「痛くない?」

「御心配いただけるのですか?」

ユークリッドは大義そうに顔を向けた。モイラはすこし眉根を寄せて、じっと自分を見つめている。彼は自分の顔が熱くなるのを感じたが、頭をうった直後の青い顔が普通の顔色に戻った程度だ。

「我慢しちゃダメよ。痛かったら、お医者様を呼んでね」

「ありがとうございます」

オルトはその風景をほほえみながら見ていて、モイラに言う。

「大丈夫よモイラ。貴女がそう言ってくれれば、この人にはなによりも薬になるわ」

「オルト様!」

「オルトねえ樣、私がお薬になるの?」

モイラは向き直ってきょとん、とした。

「誰もがってわけじゃないのよ。本当に心配している人の言葉って、『元気にならなくちゃ』って思わせるもの、ね、ユークリッド」

「あのその」

ユークリッドは指でのの字をかく。オルトは悪戯が成功した子供のようなほほえみで、

「モイラ、彼はゆっくり眠らせてあげてね。私達は向こうでお茶でも頂きましょ」

と言った。


 やっぱり疲れていたのだろうか、たっぷり寝て覚めた夕刻、ナヴィユが訪ねてくる。入って来たのが彼女だったので、ユークリッドは一瞬身体を硬くした。

「あ、」

先刻の事を謝ろうとしたら、ナヴィユは

「いや、本当に私が悪かったんだ。罰した方が謝ったら筋がおかしい」

と言いながら、消えかけていた暖炉の火の中に乾いた薪を何本か放り投げた。

「それはそうと、調子はいいかい?」

「悪くはない」

「それはよかった。傷がないようでも、頭は危険だよ。何日かおいて急にくる事もあるからね。医者は多分、それでしばらく静かにしてろって言ったんだと思う」

「…」

ユークリッドは寝疲れてだるくなった手をぶらぶらと宙に遊ばせた。

「…ごめんね」

ナヴィユが、火をかき回しながら呟いた。

「何が?」

「少し騒ぎ過ぎたかなって思ってさ」

「…」

とはいえ、ユークリッドには、そのへんの機微というものはよく分からない。

「びっくりしたんだろ?」

その見当は外れていたらしく、ナヴィユは寂しそうに笑った。

「ふつうなら、部屋に入った時点でおかしいって思うもんさ。あたしの部屋で男の声がするんだよ?」

「…でも、俺はボクネンジンなんだろう?」

「誉めてんじゃないんだよ、わかって使ってる?」

ナヴィユはベッドの縁に座る。しばらく笑い声のあと、ナヴィユはいやにしんみりとした。

「…羨ましいよ」

「どういうことだそりゃ」

「なまじ朴念仁だから、サビしいってことも知らなくていいんだ」

「寂しい?」

「…ロクスヴァの人から、この仕事が終わったら一緒になろうって言われているんだけど」

「ディートリヒ公子の」

「側近のひとりでさ、深い付き合いだったけど、あっちとこっちに離ればなれになるって事、覚悟してたんだけど、それなのに、それで、…今日のあいつは、ちょっとその人に似てて…

 火遊びってやつだねぇ」

話しているあいだに、だんだん、ナヴィユは自分の調子を取り戻して来たようだ。

「からだってやつはいい加減なもんだよ。頭じゃわかってるのに、言う事を聞かなくなる事がある」

ユークリッドは、朴念仁ながら、ナヴィユの言葉の、濁された部分だけはわかって来たような気がした。彼女もおそらく、身体中に、融けた金属のように流れる物の存在を知っているのだろう。

「私はそれに勝てなかった。

 でも、あんたは、目の前に欲しい人がいるのに、じっと我慢ができる。

 偉いね」

「…」

偉いのだろうか。ただの臆病でないのだろうか。

「パラシオン王があんたにあげた剣のこと、それがどういう事か、あんたはちゃんと知っているはず。

 なにがあんたの足枷になっているのか、あたしが言ってもそれは間違いだろう。

 とにかく姫様は、あんたが考えているより、ひょっとしたらあっさりあんたと寝てくれるかもよ」

「な」

心臓が跳ね上がって、鼓動のリズムで後ろ頭がうずき始める。そのユークリッドをナヴィユは、はははは、と健やかに笑い飛ばした。

「とはいえ、そういう野暮な気も、しばらくはしないが身のためだね」

「結局俺をからかいに来たのか!」

「そういうところさ、お大事にね、団長さん」

ナヴィユの健やかな笑いがしばらく尾をひいて、ユークリッドは腹立ちまぎれにふとんに頭まで潜り込んだ。


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