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第23話・華麗なる脱走

 「『落日革命』の後、オーガスタ西北端にある小王国レヴィスターが、カイル公国へ、事態収拾の返礼として事実上の併合をされました。レヴィスターの支配は、カイルから公爵直属の家来が赴いてそれにあたっているこのことです。カイル公爵はやったことに対しての代価が大きすぎると言って、カイルの私兵を何割か、王都の警備に当たるよう残しているということです。

 カイルの属するミハイリス帝国は、皇帝を中心にした軍事大国ですから、上からの命令は絶対ということなのでしょう、問題をおこすことなく、じつに忠実なはたらきです。

 ですが、レヴィスターより合流した同志の話に寄れば、莫大な動産不動産を財産として所有するカイル公爵にとって、レヴィスターの土地は不毛に近く、すなわち、ふたたび切り離しても大きな損害にはならない価値であるらしいそうです」

宮殿の、奥庭への入り口に当たる入り口を、植え込みの中から伺いながら、ウィル・ローバーンが呟いた。奥庭には、後宮の女性に侍女が何人か、部屋に飾る花を摘んだり、散策したりしている。

「この御婦人方はなんとかならないのですか、騒がれたら大変では」

パラシオン騎士団長が眉をしかめる。

「一時どこかに避難させると言うことも、考えないではなかったのですが、そういうところから我々の計画がもれると言うことも考えまして、できるだけ平時を維持すると言うことになりました」

「やりにくいですなあ」

「この御婦人達が中に入るまで待ちましょう。中から我々が合図をするまで、外も動かないことになっています」

誰もユークリッドに声をかけなかった。彼は今、潜んでいる面々のしんがりで、無言のまま殺気に似たものをたぎらせている。話し掛けても返事をしないし、パラシオン騎士達は一目置くどころかそばにもちかよれない。

「…マクーバル卿、大丈夫ですか」

「大丈夫ですよ」

ベンヤミーノがさらっと言った。

「見ていて下さい、『ブランデルの槍騎士』の名前は伊達や酔狂じゃないんですよ」

木々の間から漏れてくる日ざしが爆弾照射のように面々を焼いた。


 そこに、ラッパの音が小さく響いてくる。奥庭の女性達はその音に、取るものもとりあえず中に入っていく。

「?」

みな変な顔をしたが、

「グスタフが後宮に入ってきたみたいです」

とローバーンが言うにあたって、一様に表情を厳しくした。

「警護は増えますかな」

「入り口と居室周辺には増えるでしょうが、後は変わらないと思います」

「では、最終確認をしましょう」

とベンヤミーノが言った。

「パラシオン騎士団の方々と団長は、モイラ王女のもとにまっすぐに向かって下さい。いろいろ邪魔物はあるでしょうが、それは我々『新フィアナ騎士団』が掩護します」

「モイラ王女は宮殿のどちらにおいででしょうか」

パラシオン騎士団長が聞く。ローバーンが答える。

「それは私が案内します」

それきり一同は、ただ黙って身を潜めていた。やがて、後ろの方で動く気配がした。

「行くぞ」

真直ぐ入り口を注視したま、ユークリッドが言った。


 後宮を守っている兵士は、一様にオーガスタびとの風体ではなかった。ウィル・ローバーンの言うように、カイルの私兵が宮殿の守護にあたっているのだろう、まがりなりにもオーガスタ盟主の秘密を知る、口も固そうだが義理も固そうな顔がずらり並んでいる。

 その彼等が、後宮の奥庭に通じる入り口から突然と現れた賊の一団に対して、泡をくったふうに差向い、先方の出方次第では宮殿内で流血沙汰になってもやむを得ないような雰囲気を漲らせる。

 非常事態を察知したカイル私兵が十重二十重に行く手を阻もうとする前で、騎士団一同は一瞬だが立ち止まった。だが、しんがりの影だけは動くことを止めない。最前列に躍り出て、手の槍を一度、威嚇するように大上段にふりかざし、柄を小わきに抱えて、人の壁をにらみつけた。

「できる限り貴殿らを傷つけたくない。道をあけられよ」

濃い青の炎が宿った瞳で、ユークリッドは兵士達に厳かに言い渡す。

「!」

カイル私兵の一人が、剣をかざし飛び込んでくる。ユークリッドは槍の穂先を剣の切っ先に当て、向かってくる刀身にそってシャフトをぬるりを絡ませて、遠心力に任せて払い飛ばした。

「道をあけられよ」

ふたたび言い、一歩踏み出す。それに合わせて、人の壁が凹む。

「命は取るな!」

できた人垣のすきを跳躍するように超えながら、続いてきた者達とカイル兵とが戦闘に入りそうな気配を察したか、ユークリッドは言った。

「動きを封じることを優先させろ!

 しんがりは外部に我々の突入を知らせろ! 急げ!」

騒ぎを聞き付けて、押っ取り刀で登場してくるカイル兵の剣を弾き、命を取らぬ程度の深手をおわせるその槍さばきは、馬上であろうがなかろうが、変わらず的確で鋭い。

 ふりかざした穂先から滴った血がユークリッドの頬にはねた。

 パラシオン騎士達は一様にあぜんとしていた。牢の隅でうずくまっていたその姿からは、こんな殺気を感じることはできなかった。特別に頭の回転が早そうでもないし、どうしてこの昼行灯のような男が、ブランデル王太子から全幅の信頼を得ているのか、本人の預かり知らぬ場所でそう揶揄するものもないではなかったから、余計である。

 ベンヤミーノ以下フィアナの面々はひさしぶりの団長の大立ち回りを楽しそうに追っていた。


 廊下がにわかに慌ただしい。扉の外をうかがおうと、侍女の開けた隙間から、女の悲鳴に混じって

「賊が侵入したようです。真直ぐ上に上ってきます。…おそらく、盟主のお命を… …、ここは死守いたします、どうか御安心を」

という声が聞こえてくる。だがまさか、その賊がここを目的地にしているとは、この時点では兵もまだ察知はするまい。

「あ、姉上、本当に、ここは安全なのですか?」

新王フリオは身を竦ませている。他の小国王が全て宮殿を辞去した後も、姉のもとを訪れて話し込んでいた彼は、後宮から逃げおくれたのだ。

「大丈夫です。友好的にここを目的にしている方達が、この部屋の中の人間を傷つけることはしないでしょう」

クローディアは毅然と返した。モイラはそういう姉弟の様子を楽しそうに見ている。

 これこそ決定版の、とも言うべき真実の使者は、すぐ近くまでやってきている。いや、本当は、そのような他人行儀な存在でないのだが。

 雪の融ける音の聞こえた夜から、恐ろしい程月が綺麗だったあの夜の、ブランデルびととの時間を思い出すたび、なくしていたはずの様々な思い出が蘇ってくる時間を経ながら、モイラの頭の中は全ての帳尻をあわせ終え、いつしかすっきりと澄み渡っていた。

「モイラ様は、マクーバル卿がいらしたら、とにかく、あの方と一緒にこの宮殿からお出になってくださいましね」

段取りを確認する口調でクローディアが言うと、モイラは笑んだままかぶりを振った。

「いえ、クローディア様、あなたも一緒よ」

「どうして? わたくしが?」

「どうしても、よ」

モイラはくい、と眉を上げた。その仕種が随分今までの、天と地の間にたゆとうような雰囲気ではなくなっていたから、クローディアは知らずのうちに、モイラの顔を覗き込んでいた。

「モイラ様、随分お変わりになったのですのね」

「そうかしら」

クローディアが急に変なことを言い出したので、モイラは今度は眉を潜めた。

「ええ、はじめてお見受けした頃に比べれば、大人と子供程に違いますわ」

「そんな」

「わたくし今、アレックス様が見えましたの、モイラ様の姿を借りて、そこにいらっしゃったみたい」

「お兄様が?」

モイラはクローディアを見た。でもすぐ、当を得たように微笑んだ。

「ひょっとしたら、クローディア様が今も変わらず想って下さるお礼をなさりに、少しだけここにいたのだと思います」

「まあ」

クローディアは頬を染めた。

「だからクローディア様、この宮殿にいらしてはいけないわ。

 好きでない方のそばに嫌々ながらいることは、貴女のためによくありませんから」

「わたくしを心配して下さるの?」

モイラの真面目な申し出に、クローディアはきょとん、とした。

「…私、自分の国の事なのに、よくわからないのがとても歯がゆいのですけれど、クローディア様がお手伝いをしてくれれば、いいのにと思いましたの。

 きっと、パラシオン会議は貴女を喜んで迎えますわ」

「モイラ様」

クローディアはモイラの言葉に深く感じ入った。だが、わきで、

「それは困ります、モイラ王女」

と新王フリオが立ち上がった。

「ネリノーに残された私の身にもなって下さい。ただでさえ、頻繁にお顔を見ることができないのに」

グスタフの前の畏縮した雰囲気は、ここがくだけた雰囲気であることを察して遠慮したようだ。甘えん坊の気は相変わらずだが。

「この宮殿をお出になられるのなら、ぜひともネリノーにお戻りください。パラシオンで革命の一端を担われることも結構でしょうが、私は姉上がそばにいて下さる方が」

「フリオ、いつまでも小さな子供のようなことを言うものではありませんのよ」

クローディアは弟の言葉を聞き咎めたが、

「本当に、甘えん坊だこと」

頼ってくること自体は嫌いでははないようだ。はた目には相当滑稽な掛け合いだろう、モイラも短く笑って、

「そうですね、フリオ陛下のことも考えずに、おせっかいをしてしまったみたいですね」

と言った。

「御きょうだいは一緒にいらっしゃった方が何倍もよいと思いますわ」

「ええ、そうですわ」

クローデァはその言葉を一瞬さらりと受け流してから、はたとした。

「ごめんなさい、わたくし…

 アレックス様が…」

「いえ、もう気にしないで下さいまし。お兄様ともう、ふれられる世界では会えないと言うことはよく分かっていて、それでいて私、全然寂しくないのです」

モイラは言葉通り、かけらも重いところのない顔をしていた。

「お兄様の心は、パラシオン会議のみんな、そしてディートリヒ様、エルンスト様が引き継いで下さいました。

 それに私も、いつまでも、お兄様の後ろで怖がっているだけの小さなモイラではいられませんもの」

ネリノー姉弟のじゃれあう姿は、モイラにとっては古傷を抉るように見えたはずだ。だがモイラはその光景に背きもせず、しゃんと顔を上げている。

「…それも、マクーバル卿のおかげですの?」

クローディアは、それがどうしてもやせ我慢にしか見えなくて、つい混ぜ返した。モイラは肩を竦めただけで、何も言わなかった。


 その時扉一枚のの向こうで、

「ここをあけることはできない! 中には貴婦人がいらっしゃる、礼を欠くことになるぞ!」

という兵士の声がして、つづいて剣戟の音。侍女達は叫び声を上げ、クローディア達ははっと扉を見た。モイラだけは、ほほえみを崩さずに、泰然と立ち上がった。

「着替えます」

そう側の侍女に言って、続きになっている衣装部屋に消えてゆく。モイラの行動の裏に、一体なにがあるのか、姉弟は不可解そうにお互いを見た。


 剣戟の音は短かった。すぐに、

「申し訳ありません、突破されます!」

と兵士の声、扉があけられる。入り込んできた二十人にもなんなんとする男達は、何か探し物をするように部屋を見回した後で、その部屋の中にクローディア達がいるのを見て、簡単に武器を捧げ礼をとった。

「ネリノー王フリオ陛下、ならぴに王姉クローディア殿下とお見受けいたします、私はパラシオン騎士団筆頭、ジャーヴィス・ダラス・ロクサーナと申します。

 …われらが王女、モイラ・ルシア・ライナス・パラシア殿下は何処に?」

「安心なさい、いま続きで着替えていらっしゃいます」

クローディアはしゃんと威儀をただして言い渡した。

「ここまでの首尾はいかがでした?」

「はい」

ウィル・ローバーンがうやうやしく答える。

「カイル兵の抵抗はほぼ予想通りでしたがマクーバル殿の指示によりほとんど死人は出ておりません。もちろん、我々も一人としてかけておりません」

「そうですか、ひとまずはお疲れ様です。

 外からくると言う方達はどうしていますの?」

つぎの問いには、ベンヤミーノが応えた。

「はい王女殿下、現在続々と中庭に集結しつつあります。

 そこでモイラ王女より檄をいただき、別働隊が取り押さえた盟主グスタフとの話し合いを持つ予定です」

「ありがとうございます、ブランデルの方々」

「いえ、我々は、盟主グスタフの非道をあくまでも穏便に決着をつけるべく、エルンスト王太子より全権をになってここに参りましたわれらが『新フィアナ騎士団』団長ユークリッド・デア・マクーバルの救出を最優先の事項と考えて行動しております」

「…そうですわね」

「そして、団長がエルンスト王太子より承った密命によって、モイラ王女をこの宮殿から奪還する、できる限りの掩護をせよとも仰せつかってここまでいりました」

「そうそう、そのマクーバル卿はどちらに?」

クローディアは言ったが、探す必要はないようだった。じわりと空気の動くその中心を訪ねれば、ユークリッドがたたずんでいる。

「マクーバル卿、こちらに」

クローディアは衣装部屋の入り口を指した。

「卿ならここにお入りになれますわ」


 モイラの着替えはまだ完全に終わっていなかった。

 ユークリッドに背中を向けて、衣装の背中を閉じさせている最中だった。髪を軽く上げて見せた背中の白が痛いほど、薄暗い中に映える。

 鏡越しに目が合って、モイラの嫣然としたほほえみがあった。彼女が左右に目配せをすると、着付けを終えた侍女達は波が引くように去ってゆく。

 モイラは盛装をしていた。正装ではない。おそらく、アレックスが用意して、結局パラシオンに運ばれずじまいになったうちの一着であろう。それだけ、自分を一番よく知っている衣装を身につけ、これ以上はなく磨きあげられたモイラの姿は、彼女自身が光を放っているように見え、はからずもユークリッドは、彼女に今まで働いた夜の無礼を思い出した。

 無意識に膝を付くが、モイラはそれを立たせた。頬に残った返り血を拭い、その時顔を近付けたついでか、大きく息をついた男に唇を許す。

 濃い青と、淡い青と、二つの視線が絡む。

「見せて下さい、私に、真実を」

ユークリッドは何も言わず言えず、手を取り、今さらのように慇懃に、その甲に接吻した。


 貴婦人のプライベートを垣間見る光栄に預かると言うことは、その貴婦人との間に浅からぬ物があると判断できてしかるべき状況である。

 ユークリッドだけがモイラのそういう場面に立ち会えるということで、パラシオン騎士団の面々は一様に毒気を抜かれた顔をしていた。それでも、モイラが彼等の前に姿をあらわした時には、そんなことも忘れた。

「姫様!」

パラシオン騎士団長が進み出て、膝をつく。

「長いこと手をこまねいてしまいました。命より姫様の大事を優先すべきこの時に… アレックス陛下の御受難の際にも、露台に捕らわれ、何のなすすべもなく…」

ともすれば泣き落ちてしまいそうなパラシオン騎士団長にモイラは柔らかい布でくるむように言葉をかける。

「いえ、命のあることがなによりです。なによりもまず、あなた自身が生きてパラシオンに戻れることを喜びなさい」

「姫様…」

パラシオン騎士団長はがっくりと涙をおとした。そこに、ベンヤミーノが進み出る。

「さあ、中庭に参りましょう、モイラ王女。グスタフ陛下もじきにおいでになるでしょうから、とことんお話し合いいただきましょう」

その言葉を聞いて、モイラは初め「それはどういうこと?」と首をかしげたが、この日の段取りの説明を受けたあとは、「そうですか」と納得した顔をした。そして一同に言い渡す。

「それでは、行きましょう」


 グスタフは、後宮の中の、さる貴婦人の部屋を訪れていたところを、突然革命分子首魁ヒュバート率いる革命派の騎士に暴かれた。

 服を着るのもそこそこに、後ろ手に縛られて、背中を突かれながら歩かされる。

「なんと無礼な振る舞いだ。余を盟主と知っての扱いか!」

と型どおりに憤慨してはみるものの、分かっていないということはないだろう。ヒュバートがそのわきにすすみでて、

「いかがですかな盟主、アレックス王も味わわれたナワの味は」

と言った。

「…貴様、余をどうするつもりだ」

「御自分の胸に手を当てられて、よくよく考えられよ。あなたはその報いを受けるのだ」

口振りから何から、グスタフにとっては腹に据えかねるヒュバートの態度だったが、そんな時に限って得意の悪口は回らなかった。悔しいが大人しく引かれていくよりない。

「クラウンめ、一体どこに行きよった」

そう呟いた。


 急に思い立ったように、ユークリッドが何かを手渡してきた。

「王女、これをお持ち下さい」

「何?」

とそれを見れば、見なれた剣が一振り。

「これ、お兄様の」

「いつか、パラシオン騎士に叙勲なさって下った際に拝領いたしましたが、これは王のお形見として、王女にお持ちいただきたいのです」

「でも」

モイラは一度、剣を押し返そうとした。だが、ユークリッドは、

「剣に込められた王のお気持ちだけは慎んで承りました」

といい、モイラの両手に剣をしっかりと握らせた。

「それに、いつ何時、城内に残るカイルの手勢が我々を発見しないとも限りません。もちろん、我々が命を持って王女をお守りいたしますが、万が一のために」

「わかりました」

モイラは剣を胸に抱いた。

 一行は、モイラとユークリッドを先頭に、クローディアと新王フリオを中にして、廊下を一路中庭に急ぐ。といっても、すぐに中庭に着くはずもなく、きらびやかな装飾が無機的に輝く長い廊下は延々と続く。

 ある角を曲がり、通路もかねた長い部屋に入ったとき、

「!」

先頭の二人はつま先に力を込めてそれに対峙した。

 カイル私兵の一個小隊を従えたクラウンが、待ってましたとばかりに笑みを濃くする。

「誰だ?」

という後ろの声に、

「まん中にいるのがクラウンです」

と、モイラをかばうようにユークリッドが答える。すぐに、

「こ奴がモイラ王女をここまで拉致してきた不届きものか!」

パラシオン騎士団長の声が大きくなり、ユークリッドの前にその体がおどり出る。クラウンの前に進み出て、剣をぬき、クラウンの鼻先に突き付けた。

「何の武装もしていない者に剣を向けることは騎士道にもとる。だが、いかに丸腰の道化師風情とはいえ、貴様だけは許すわけにはいかん。

 我らが王女殿下にいままで働いた無礼を懺悔し、神妙にせよ」

だがそのすごみにも、クラウンの笑みは消えない。パラシオン騎士団長は厳かに

「観念したか」

と言う。だが、振り上げかけた剣は

「だめ!」

モイラの一声でへなへなと下げられた。

「姫様!」

「姫様、私を許して下さるのですか?」

「ええ」

モイラは自信を持って頷く。ユークリッド以下男どもは揃って渋い顔をする。

「いままで私をたくさんの歌で楽しませてくれました。一人では何もできない私を見兼ねてここに来る手伝いもしてくれました。

 その恩に報いて、今あなたがこの宮殿を出れば、私もあなたをただの吟遊詩人として思い出すことが出来ます。

 私はあなたとの楽しい思い出を壊したくありません」

クラウンは

「それは吟遊詩人として冥利に尽きることではありますね」

と返した。だが。

「ですが、きっと後悔なさいますよ、私を生かしておくのは」

と、意外なことを言った。その言葉の物騒さに、モイラ達もつられて表情が険しくなる。クラウンはそれをなだめるように、割り切った言い口で言った。

「いや、私がこうなることも物語の内か。それはそれでよしとしましょう。

 姫様、私は貴女を命ある限り歌い継ぐことにしましょう、北の果てアサヘイム、西のヒエロポリス、東の龍の国、南の暗黒大陸、この世界のすべての国で、貴女の美しさ賢さは、永遠に讃えられるのです」

そう、大風呂敷のようなことを言うクラウンの腹の内など、その他の人間にわかるはずもない。命を助けられたことに対し「吟遊詩人風に」礼を述べたとしか考えなかった。

「…さて、姫様のおっしゃったことのみでこのような計らいを受けるのはあまりにも僭越、もう一つ二つお助けしましょう」

クラウンは、兵士に軽く目配せをする。兵士は武器をおさめ、モイラ達の行く手を開けた。

「どうぞ」

一行は意図の見えない彼の行動を一様にいぶかしんだが、攻撃してくる気配は感じない。今まで以上に用心深く、クラウンが手で指した先に向かって進んでいく。そこでモイラは振り返って

「クラウン、でも教えて。あなたは本当にグスタフ陛下の味方だったの?」

と言った。クラウンは肩を竦める。

「さあどうでしょう。グスタフ陛下には先刻、この宮殿を辞去させていただく旨のことづてを人を通して捧げたところですが。

 そうですね、私は吟遊詩人です。私は私の歌う物語のために生きているのです。

 いままで御贔屓にして下さったお心づかい、本当にかたじけなく思います。

 つぎにお会いできる時があるとしたら、あるいは、私は、姫様にとってハッキリと敵になりましょう」

そして変なことを言った。


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