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第7話 雨の車内で

 私は裏の玄関で、しばらくのあいだじっと立っていた。雨はザーザーと強く降り続き、校舎の影が灰色に滲んで見える。


 やがて、見覚えのある車がゆっくりと近づいてきた。先生の車だ。雨粒を弾くワイパーの音とエンジン音が、なぜか胸の奥に響いた。


 助手席のドアが開いた。


「……どうぞ」


 照れたように言う先生の声に、私は小さく頷いて乗り込んだ。ドアを閉めると、外の世界がまるで別のものになったように静かになった。雨音はまだ聞こえるけれど、遠くで響いているような感覚。


 シートベルトを締める私の手が少し震えていた。先生も気づいたのかもしれないけど、何も言わず、ゆっくりと車を発進させた。


 しばらく沈黙が続いた。


「……あの時、本当にごめん」


 ぽつりと、先生が言った。


 私は返事をしないまま、フロントガラス越しに流れる雨の筋を見つめていた。ごめん、って言葉がさっきからずっと胸に刺さってる。そんなの、何度も言わなくてもいいのに。


「僕は……教師として失格だって、自分でも思うよ。わかってるんだ。でも、あのとき……明里さんが泣いた顔が頭から離れなくて……」


 私の心臓が、また跳ねた。


「本当はね……そんなふうに誰かに泣かせちゃいけないのに……助けたくて、でも、気づいたら――ごめん、また言ってるな」


 先生は照れ笑いを浮かべて前を向いたままだった。


 私も言葉が見つからず、何かを握りしめるようにスカートの端を指でつまんだ。


 窓の外を見ながら、私はやっと口を開いた。


「……先生、私も……ちょっとおかしかったと思います。あの時、嫌じゃなかったから……拒まなかったんです」


 先生がチラッと私の方を見た。


「……でも、怖かったのは確か。私、何やってるんだろうって、あとからすごく後悔して……それで、涙が出てきたんです」


 雨が強くなった。車の中の湿った空気に、沈黙がまた戻る。


 でもさっきより、ちょっとだけ柔らかい。


「明里さん……無理してない?」


「……してます」


 私は笑いながら言った。先生も、ほんの少し、笑った。


 信号で車が止まり、しばらくの沈黙のあと、先生がゆっくり言った。


「……今日は、家の前まで送るよ。誰にも見られないように、ちゃんと配慮する」


「……はい。ありがとう」


 この“ありがとう”が、何に対してのものだったのかは、自分でもよくわからなかった。


 けれど、車の中に流れる雨音と、先生のハンドルを握る手が、なぜか――あの時よりも安心できる気がした。

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