ダンジョンに入ってから、すでに十五分が経過していた。
薄暗くじめじめとした空間。コンクリートに似た無機質な壁が延々と続き、時折、小動物が走るような音が響く。
「リーダー、まだ続けるのか?」
アキラが口を尖らせながら、小声で尋ねた。
「もちろんだ。ここで引いたら、ただの腰抜けだろ」
河口 博は、自撮り棒の先についたカメラに顔を寄せてニヤリと笑った。
「さあご覧いただこう。これが《東京ダンジョン》のリアルな内部映像だ! 当然、今回も編集ゼロの生配信でお届け中!」
《ヤバイって》《マジで怒られるんじゃ》《こいつら何やってんのw》
チャット欄には否定的なコメントが流れるが、視聴者数は着実に増えていた。
「そういや、許可とか取ってんの?」
ミナトがカメラを持ちながらぼそり。
「え? 何の?」
博がとぼけた顔を見せる。
「このダンジョン撮るのにさ。誰かの所有地とかだったら――」
「……バカ言うなよ。誰の土地でもない、誰も管理してない空間に誰の許可がいるんだ? そんなもん“現場にいるオレたち”が正義だろ」
ヨッシーが苦笑しながら付け加える。
「っていうか、仮に誰かいたら、それこそスクープじゃん。インタビューして再生数稼ごうぜ」
「その通りだ。誰かいるなら会いに行こう! そして俺たちがこのダンジョンの秘密を、ぜんぶ暴いてやる!」
――『警告。退去勧告に従わない場合、実力行使を行います』
まただ。
あの冷たい機械音の声が、空間全体に響き渡った。
「……反応あったな」
アキラが肩をすくめる。
「えーっと、最深部って単語に反応してる感じ?」
ミナトがカメラを止めずに確認する。
「ふむ……」
博が顎に手を当て、そして突如思いついたように叫んだ。
「最深部! 最深部を赤裸々にしてやる!!」
――ザザザ……ッ!
その瞬間、辺りの空気がビリついた。ノイズのような音、光量の変化、そして――
『最深部………?赤裸々……?えっち、すけべ、ヘンタイ!……退去しないなら実力行使します』
全員、フリーズ。
「い、今、なんて言った……?」
「変態って……言われた?」
「録れてる? これ、録れてる!?」
「言ったな? 完全に言ったな! ゴブリンのくせに偏見!」
その直後、床の奥――影の向こうから、多数の足音が響いた。
「リーダー! 来る! 絶対ヤバいの来る!!」
「これは……!」
博が言い終える前に、ダンジョンの闇から飛び出してきたのは――
「ゴ、ゴブリン!? ほんとに出んのかよッ!?」
緑色の小型モンスターたちが、うじゃうじゃと湧き出した!
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
ヨッシーが絶叫した。
逃げる河口博ダンジョン探検隊。
しかし、背後からはまだ声が響いてくる――
『迷惑系配信として、運営に訴えてバンしてやるるるるううう!』
「バンはマズいってー!!!」
ミナトの悲鳴が、ダンジョンにこだまする。
果たして彼らは無事に帰還できるのか?
そして、“この声の正体”は……?
――波乱の《東京ダンジョン探索》は、まだ始まったばかりである。
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:ゴブリンからの逃走と謎の声
「来てる来てる来てるぅぅぅぅううっ!!」
通路の奥から迫りくる無数の足音、ざわざわとこだまする笑い声。
それはもはや小動物の群れではなかった。
――モンスターだ。それもゴブリン。それもやたらリアクションが豊かなタイプ。
「ゴブリンってこんな喋ったっけ!?」
「アレ、なんか喋ってね!?」
「AI?てか生きてるよな!?」
叫びながら全力で逃げる四人の影。
「うわっ!来てる、リーダー、マジで来てるって!!」
「**カメラは死守!**命より大事な機材だ!!」
「自分の命、優先して!!」
河口 博は背後を振り返ると、カメラの映像越しにゴブリンの姿を確認する。
やつらは小さな体で器用に跳ねながら、石壁をすいすいと追ってきていた。
「しかも……早くない!? あいつら絶対、日頃走り込んでるよね!?」
「誰がダンジョン内トレーニングゴブリンだよ!!」
酸欠になりそうな叫びを交わしながら、探検隊は必死に走った。
カメラはぐらぐらと揺れ、画面にはほぼ足元しか映っていない。それでもコメント欄は大盛況だった。
《うわあ》《ヤバい》《何この神回w》《ガチでヤバそうなやつ来た》
そのとき――
『逃走行為、確認。次回、悪質と見なした場合、通報を行います』
再び、あの無機質な機械音の声が鳴り響く。
「通報……だと……!?」
「どこに!? だれに!? 通報って誰目線!?」
「てか、誰が運営なんだよ!? YouTubeか? Twitchか? ダンジョンか!?」
「ダンジョンが配信者BANする時代とか地獄じゃねーか!!」
「バンされたら、収益も、案件も、全部消える……っ!!」
ヨッシーの目から涙がこぼれそうになっていた。
「とにかく、一旦撤退だ!!」
博が叫ぶと同時に、ダンジョンの奥から左へ分岐する狭い抜け道を発見する。
「そっち行ける!?」
「行けぇぇぇええええええっ!!」
全員、躊躇なく飛び込む。
ゴブリンたちは道幅に引っかかったのか、追撃の勢いが弱まる。
やがて、息を切らしながらも、彼らは辛くも入り口の近くまで戻ってきた。
「た……助かった……」
「し、死ぬかと思った……」
「バンのほうがマシだと思った……」
「ゴブリン、しゃべるの反則だろ……」
そのとき、またもダンジョン全体に響く声。
『迷惑系配信として、運営に訴えてバンしてやるるるるるるっ!』
「だぁぁぁあああああああああっ!? また来たぁぁあああああ!!」
「この声の主、マジで誰なんだよぉおおおおおおお!!?」
再び逃げる一行。
しかし、その声の正体こそが、この《東京ダンジョン》の核心に近い存在であることを、彼らはまだ知らなかった――。
そして、この“誰か”と“何か”が交差する物語は、静かにその姿を見せ始めていた。