「……あれ?」
河口博は、カーテンを開けたまま、金縛りにでもあったかのようにその場に立ち尽くしていた。
白いカーテンの奥にあったのは、どこかで見たような光景――パステルピンクの壁紙にぬいぐるみの山。ふかふかの絨毯と、女の子らしい丸テーブル。
そして、その中央でゲーム実況をしている金髪碧眼の美少女。
モニターに向かって饒舌に話し続けていた彼女は、ふと気配に気づいたのか、こちらを振り向いた。
「……え?」
一瞬、空気が止まる。お互いに、現実感が追いつかない。
「誰っ!? 男の人!? うそ、どうしてここにいるの!?」
彼女の叫びと同時に、モニター画面が切り替わり、コメント欄が怒涛の勢いで流れていく。
《だれ!?》 《男!?なんで!?》 《リア凸!?やばくない?》 《アリスちゃん逃げて!》 《え、ガチ恋勢死亡》
実況チャンネルの画面には、配信中の映像とともに、コメントの洪水。
「え、待って、配信してるの!? 今も?」
博は、ぎこちなく指を差した。
「そっちこそ、なんでダンジョンの最深部で実況してるんだよ!」
「それはこっちのセリフだし!!」
美少女――通称“アリス”は、急いで配信を停止し、マイクとカメラの電源を落とすと、椅子から飛び降りた。
「勝手に入ってくるなんて、信じらんない! どうやって入ってきたの!?」
「え? 普通にダンジョンを……」
「ダンジョンをって……ここ、ダンジョンの中じゃないし!」
「いやいやいや、どう見てもダンジョンのボス部屋っぽいし!」
「ここ、私の部屋なんだけど!?」
「いやいやいやいや!! だって外、石の壁でモンスターいたし! ゴブリンに追いかけられてここまで来たし!!」
「だから私、ゴブリン増やしたんだってば! 侵入者いたから!」
博は頭を抱えた。すべてがつながらないようで、つながっているようでもある。
「あのさ……アリスって、配信者のアリスだよな?」
「……あんたがそう呼ぶならそうだし、違うって言っても違わないかもしれないし……」
「どっちだよ!?」
「……でも、あんたが来たってことは、そろそろ隠しきれないかもね」
アリスはため息をついたあと、ピザの箱をテーブルに置いた。
「とりあえず、ピザ食べる?」
「え?」
「ちょうど来たとこ。配達員、迷わずここまで来るから。地図アプリに『アリスの部屋』って載ってるし」
「ダンジョンの最深部が地図に載ってんのかよ!?」
「まぁ、グーグルマップにはないけど、ウーバーにはあるよ」
博は、ピザを手に取った。思ったよりも、熱々でうまい。
「……うまい」
「でしょ? 生地はクリスピー派」
「知らねぇよ」
しばらく沈黙のあと、博はそっと聞いた。
「なぁ……ここって、何なんだ? ほんとは。君は……何者なんだ?」
アリスは、ほんの少しだけ笑ってから、言った。
「私は、“ダンジョンコア”。このダンジョンそのものの心臓部であり、管理者よ」
「……は?」
「えっと……つまり、このダンジョンに意思があって、そいつが人の姿を取った結果、私なの」
「いや、説明が雑!!」
「……でも、そうとしか言いようがないの。気づいたら、こうなってたの」
彼女はふわりと髪を揺らして、モニターの電源を入れた。
「最初は迷い込んだだけだった。でも、ネットに繋げてみたら面白くって。配信とか、ゲーム実況とか、やってみたら、いろんな人と繋がれるのが楽しくて」
「それが、ダンジョンの最深部でやることかよ……」
「で、最近は“歌ってみた”にも挑戦中。聴く?」
「いや、ちょっと待て! ダンジョンの歌って……!?」
彼女は、にこっと笑った。
「いま、ダンジョンが一番ハマってるのは――音楽なの」
:ダンジョンコアは歌姫
「……だから、“歌ってみた”の投稿を始めたの。最初はお遊びだったんだけど、意外と好評でね」
アリスはモニターを操作しながら、てきぱきと配信準備を整えていた。
その姿を、河口博は言葉もなく見つめていた。
石造りのダンジョンの奥地。そこに突如現れた女の子の部屋。配信設備は最新鋭、Wi-Fiも完備。
ピザが注文できて、歌も歌える――そのすべての中心にいるのが、彼女・アリス。
「ダンジョンってさ、どうせモンスターの巣とか思われてるじゃない? でも、イメージって変えられると思うの。たとえば――」
アリスは少し恥ずかしそうに笑って、言った。
「“会いに行けるダンジョンアイドル”とか、どう?」
「……お前、ほんとにダンジョンか?」
博はピザを置いて頭を抱えた。
「モンスターで人類滅ぼすとかじゃなくて、アイドル活動?」
「もちろん。人を襲うなんて、やるわけないじゃん。こっちだって楽しくやりたいのよ」
そう言って、アリスは椅子に腰かけ、モニターに向かって手を振る。
「じゃ、準備できたから、配信再開するね。今日は――“歌ってみた”新曲初披露!」
「え、もう始めるの!?」
「うん! 博くんも横で見てていいよ。映さないから」
「博くん呼びやめろや……!」
気づけば“河口博ダンジョン探検隊”の隊長だったはずの自分が、完全に空気になっていた。
――だが、音楽が流れた瞬間、その場の空気が変わった。
♪~♪~♪
透き通るようなアリスの歌声が、ダンジョンの最深部に響き渡る。
メロディは切なくも希望に満ちていて、どこか懐かしさを感じさせる旋律。
そしてモニターに映る彼女の姿は、まさに「アイドル」だった。
《アリスちゃん神すぎる……》 《歌声天使かよ》 《推し確定!》 《え、ダンジョンなのに癒やされる!?》
配信中のコメント欄は、歓喜と興奮で溢れていた。
「……本当に、すげぇな」
気づけば博も呟いていた。
ライブが終わると、アリスはにっこり笑って言った。
「ね? ダンジョンでも、こういうの、アリでしょ?」
「……まあ、誰が“アリ”にしたかはともかく……」
博は呆れたように笑った。
「少なくとも俺の知ってるダンジョンの常識はぶっ壊れたな」
「ふふ、じゃあ、これからも一緒にぶっ壊していこうよ」
「いや、俺は探検隊だっての!」
その後――
“会いに行けるダンジョン”はネット上で話題沸騰となった。
最深部でアイドルが歌い踊るという異色のスポットとして、SNSを中心にバズり、聖地巡礼者が後を絶たなくなる。
ただし、ダンジョン内の撮影は禁止。それだけは、絶対。
握手会、限定グッズ販売、ファンクラブの発足。
アリスは「ダンジョン系VTuber」として、地上へとその存在を拡大していく。
そして――ついにメジャーデビューが決定する。
『地下ダンジョンアイドル、地上進出!』
――まさにそのキャッチコピー通りだった。
「ダンジョンだけに、地下アイドルってか?」
とあるニュース番組で、レポーターがそうボケたとき、博はテレビの前でつぶやいた。
「……そのギャグ、本人がもう十回ぐらい言ってるからな……」
でも、心のどこかで、ちょっと誇らしかった。
あの謎だらけのダンジョンで、配信に出会い、歌に出会い、アリスに出会ったこと――
すべてが、今や彼の人生の宝物だった。