『皆さんどーもー!こんにちは、いつもあなたの傍に……かりんとうでっす。なんちゃって!』
おちゃらけた喋り方をしながら、男性が公園の中を進んでいく。多分、これがお決まりの挨拶なのだろう。かなり日が落ちている時間ということもあり、公園にはほとんど人気がない。恐らくなんらかの通り道となっているのか、会社員らしき男性とすれ違ったがその程度だった。
配信者かりんとうは、カメラを持って歩いているようだった。本人が撮影していることもあり、かりんとう自身の姿は映っていない。
逢魔が時。赤く染まった公園のベンチが見える。光の加減でドス黒く見えるのがなんだか不気味だった。
今は使われていない水飲み場は、元々はイルカの姿をしていたらしい。あちこち青い塗装が剥げている上、尾びれの一部が欠けてしまっている。う、と思わず涼音は声を漏らしていた。
「理解したッス。……見覚え、あります」
「でしょう?」
カメラは一瞬水飲み場を映すと、すぐに前を向いた。
『ここ、結構古い公園みたいですね。この水飲み場も今は水が出ないようになってるみたいッス。安全面の問題からかなあ?あ、ここがどこの公園なのかは内緒です。さすがにご近所なので、バレたら俺的にちょっとまずい!』
まずいもなにも、と涼音は呆れてしまう。カメラが正面を映すと、木々の合間からオレンジ色のマンションが見える。そのマンションの奥にはちらっとローソンらしきコンビニの看板も覗いているではないか。
これだけ情報があれば、わかる人には一発でわかる。壊れているイルカの水飲み場、深緑色のベンチ。間違いない。
「第九公園ッスね……」
「そうなの。うちのガッコのすぐ近くよね」
第九公園。
この高校と駅の丁度中間あたりにある公園だ。坂を下ったあたりに位置しており、道路を挟んで向かいにはオレンジ色のマンションがある。
「周りぼかさなきゃ、場所の名前だけ隠しても意味ないのに」
「そこまで考えつかないんでしょうよ」
奈河が肩を竦めた。
「とにかく、面白いものを見つけたからさっさと撮影してみんなに伝えたいバズりたいってのが透けてるわ。周囲をぼかすのも忘れてるくらいなんだから。……まあ、その気持ちはとってもわかるし、この人の動画自体はそれ以外の点でモラルなってないところないんだけどね」
どうやら彼女はかりんとうの他の動画も見たらしい。なんならこの口調的にファンなのかもしれない、と思う。自分も推し実況者なんかはいるので気持ちは理解できるが。
同時に。
「三島先輩、めっちゃ目立ちたがりですもんね。人の動画見るのもいいですけど、オカルト研究会のPR動画の件はどうなったんッスか。ちゃんと宣伝しないと部員入ってくれないッスよ?」
ジト目になって言うと奈河は「あははは」と視線を逸らした。この様子、どうやらまたやりすぎた動画の企画でも出して、顧問に却下された形だろう。
派手で目立ちたがり、面白いことお祭りごとが大好き。だからこそ、一緒にいて飽きない人でもあるのだが。
『この間予告した通り、今日は俺が見つけたとびきりのものを紹介したいと思います。そう、この公園に……あるんです』
画面の中、わざとらしく声をひそめて言うかりんとう。
『この先に、ゾウさんの滑り台があるんですけどね。どうやらその下に、とんでもないものが隠されていたみたいなんですよーう……』
カメラが砂場の横を通り過ぎ、ゾウ型の遊具を映し出す。全体的に水色でゾウのお尻から階段を登って、鼻を模した箇所から滑り落ちてくるというタイプのようだ。
やっぱり間違いない。ここは、第九公園だ。まさか、かりんとうなる配信者がこの近所の人で、この公園に得体のしれないものがあるなんて思いもしなかったが。
――毎日横、通ってたんだけどな。
おかしな気配はなかった。
あるいは本当に、この配信の直前になんらかの異変が始まったのだろうか。
『はい、ここです!』
かりんとうがゾウの遊具の側面に立つ。
『前に一度試しているので、正確です。この下に……秘密の入口があったんです!さあ、やってみますよ』
すう、と男が息を吸い込む気配があった。そして。
『マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!……これどういう意味かって?俺も知りませーん!でもなんかの呪文らしいです。あ、紙見て読んでます、覚えてないんで。あはははっ』
笑いながら男は解説する。
『この呪文を、あと二回繰り返します。試してみたい人は頑張って覚えましょう、何語かもわからないけど!』
いきますよ、とかりんとう。
『マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!』
ぐにゃり。一瞬、画面の中で滑り台が歪んだように見えた。涼音は慌てて目をごしごしと擦る。気のせいだろうか。それとも、映像編集による演出だろうか。
『マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!』
一体何が起きるのか。きっと、当時の視聴者は固唾を飲んで見守っていただろう。
しかし、特に何かが起きる様子はない。ゾウの滑り台が動き出すなんてこともない。
『さて、これで準備整いました。あとは』
だが、どうやらこれですべての儀式が完了、というわけではなかったようだ。かりんとうの手がカメラに映りこむ。その掌の上に乗っていたのは小石と、折ったカッターの刃の一部だ。
『この二つを、滑り台の足元に……投げる!すると!』
アンダースローで、小さな石と破片が投げられる。かつん、と微かな音がした。次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
地響きのような音とともに、ゾウの滑り台の側面に大きな穴があいたのである。その中は明かりがないようで暗い。外からの夕焼けで辛うじて、下へ続く階段があることだけがわかる。
入口は狭く、成人男性ならば身を屈めないと入れないほどのサイズのようだった。
「……マジッスか」
思わず涼音は引きつった声を出す。
「本当に、なんか秘密の入口が出てきちゃった……?」
「ええ。まるで忍者のカラクリ屋敷みたいよね」
涼音の言葉に頷く奈河。
画面が少し明るくなった。どうやら、かりんとうは明かりを持っていたらしい。首からぶらさげるタイプのランタンだと説明がされた。
気になるのは、階段が木製に見えるということである。照らし出されたそれはアチコチコケが生えて変色している。あまり体重をかけると、踏み抜けてしまいそうなほどに。
「普通に考えてこんなもの、行政が作るはずないでしょう?」
奈河は真剣なまなざしを向けてくる。
「つまり、誰かが後から勝手に作った可能性が高い、ってことよ」
「はい。でもってその誰かってのは……どう見ても普通の人間じゃない、ですよね。あんな呪文唱えて、恋しとカッターの刃を投げると登場する入口ってどういう仕組みかさっぱりわからないッス。現代の科学ではまずありえないかと」
「そう。これはつまり、オカルト的案件、ということよ。そのオカルトってのが幽霊とか悪魔とかの方向か、魔女や魔術師の方面なのかはわからないけど」
「そうッスよね……」
楽しそうにおしゃべりしながら、かりんとうは中へと進んでいく。この動画が生放送だったらしく、コメントがいくつも残っていた。
『面白そう!』
『なるべく深いところまで探検してみてくださーい!』
『言ってみたい。こっそりどこなのかヒントだけでもいいからおせーて?』
『うおおおおおおおおおおお!リアルダンジョンんんんんんん!最高、最高!』
『どうせCGだろ。もしくは生成AI』
『どうでもいいわ、面白ければ!モンスターとか出て襲われたらもっといいんだけどなwwwww』
どいつもこいつも、安全圏から好き勝手なことばかり言っている。本人を煽るような言葉もあれば、応援という名目で危険を冒すように勧めるものもある。
それらはかりんとうから見えているらしく、笑いながら彼はお礼を言って階段を降りていった。ぎし、ぎし、ぎし、ぎし、と軋むような音が断続的に響く。
――最近作られたものにしては、全体的にボロそう。
シミだらけの木製の壁が映し出される。入口を潜れば中はもう少し広い様子だったが、それでも身長170cmはあるであろうかりんとうの背丈スレスレのところに天井が迫ってきているようだ。階段の幅も、大人一人がやっと通れるかといったところであるらしい。
――いや、これは……最初から、そういう想定で作られたもの、なのか。古ぼけた階段ってそれだけで好奇心を煽るし……。
やがてかりんとうは、木製のドアの前に辿り着く。鍵がかかっていた形跡はあったが、壊れているのが明白だった。というのも、ドアにくっついていた南京錠がわかりやすく外れて地面に落ちているのである。
これ幸い、とドアを開けて奥へ進むかりんとう。やはりこれは危ない。作為的なものを感じる。何より。
「あんな呪文、自分で思いつくはずがない。実際、メモしてきたと言っていましたよね、この人」
涼音はさっきのかりんとうの言葉を思い出す。彼は確かにこう言ったのだ。
『マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!……これどういう意味かって?俺も知りませーん!でもなんかの呪文らしいです。あ、紙見て読んでます、覚えてないんで。あはははっ』
自分もどういう意味かわからない、と。
なにかの呪文らしい、と。
らしいということはつまり、それを誰かから聞いた、ということだ。
「……誰かが、この人にこのダンジョンと、その開け方を教えた可能性が高いッス」
ああもう関わり合いになりたくない。なりたくないというのに。
「つまりこれは、何らかの魔女の仕業、の可能性がある」
誰かが、かりんとうをこの場所へ誘ったのだ。
恐らくは彼が、この動画を配信することを見越した上で。