なるほど、これは単なる不用意なダンジョン配信――ではないのかもしれない。
『結構中、暗いですねえ』
かりんとうは解説しながら、ダンジョンの中を進んでいく。ドアを開けた先にあったのは、学校の旧校舎のような空間だった。板張りの長い廊下は、あちこち板が割れて穴が開いてしまっている。天井には蜘蛛の巣が張っている箇所もあり、窓ガラスは割れていた。
そう、おかしいのだ。彼は階段を降りて地下に入ったはず。なのにその空間はどう見てもどこぞの旧校舎の地上階なのである。地下ならば窓なんてあるはずもないのだから。
窓の向こうは夜なのか、うっすら月明りが差し込んできている。窓もそうだが、広さもおかしい。こんな校舎のようなだだっ広い空間が、公園の滑り台の下に隠れているはずがない。
これは明らかに――何者かがが作った異空間、だ。
『音がちょっと反響する感じがあります。まるで、洞窟みたいです』
その時、ザザザ、と映像にノイズが走った。一瞬のことだったので、最初は見間違いかと思ったものである。しかし、ノイズはそのあと数秒後にもまた走り、同じように繰り返されていく。段々と音にも影響が出て、彼の言葉が聞き取りづらくなっていく。
『足元がぎ……言います。うん、これは……ですね。しか………でも、いや……ってことでしょうか。今までいろいろとオカルト的案件を調べてきましたが、このパターンは初めて……す。本当に、興味深い……か……ああ、すみません、ちょっと音が良くないみたいですね。接続が不安定になってるみたいで、Wi-Fiが……どうしよう……ったな……』
なんとか映像を安定させようとあれこれしているようだが、あまり効果がないらしい。歩きスマホをしながらなのか、ペースを緩めながら廃校舎っぽいダンジョンを進んでいくかりんとう。
その手が、教室のドアのようなものに伸ばされる。
『この先は……あれ?何か、中にいるような』
その時、少しだけ声が聞き取りやすくなった。ん?と涼音は眉をひそめる。映像が荒いのと暗いせいでよくわからないが、かりんとうは教室の中を覗き込んでいる様子だ。
『……ふむ。この先も撮りたかったんですが……このまま配信続けるの厳しいですね。皆さんに不快な思いもさせたくないですし。この先は撮影したあとで動画編集して、まとめてアップしようと思います!』
カメラに、男の手が映りこむ。
『それではまたー!ばいばいきーん!』
なんで最後、バイキンマンの挨拶で終わるんだろう。謎でしかなかったが、映像はそこで終わっていた。これ以上突っ込むのも野暮ということか。
「……なるほど。配信自体は本人が切って終わってるから、行方不明だと断言できなかったってかんじか」
涼音は納得したように頷いた。
「問題はこの様子だと、かりんとうさんはこのあともこのダンジョンの探索を続けたってこと、ッスよね。で、そのあとどうなったのかがわからない、と」
「それなのよねえ。私は、このあとダンジョンから出られなくなったか、何かに襲われて消息不明になったと思ってるわけよ。だから個人的には心配してるの」
はあ、と奈河はため息をついた。
「元々かりんとうさんの動画は結構見てた方でね。ほぼ毎日動画もアップされてたし……間が空く時は必ず事前告知が入っていたのに、今回それがなくって。しかもこのダンジョンに突入する配信の直後から、インスタもエックスも動かなくなっちゃって」
なるほど、前々からある程度ファンだった、ということらしい。ならば奈河がこの事件に興味を持つのもわからないではない、が。
「……部長」
涼音は非常にしょっぱい気持ちになる。
「……この人を探しつつ、ダンジョン探索を我々でやってみようとか言うんじゃないですよね?」
ここまで来ればもう話は見えている。涼音的には明らかにヤバイ案件、魔女の力があるとはいえ一介の女子高校生としては関わり合いになりたくないのが本音である。
だが、一か月ばかりこのオカルト研究会の部長と関わっていれば想像できてしまうのだ。今まで、彼女に強引に押し切られる形で、いくつも事件を解決する羽目になったのだから。それも、ほぼほぼ涼音の意思は無視した上で。
「正解、よくわかってるじゃない」
心底嫌そうな顔をしているはずの涼音を綺麗にスルーして微笑む奈河。なまじ美人なだけに腹の立つ笑顔である。
「私としては、やっぱりこの人が心配なんだもの。助けられるなら助けたいって思わない?まだ三日しか過ぎてないし、今なら我々がダンジョンに入れば救出できるかもしれない。何かに襲われた様子がばっちり映ってるでもなし、ダンジョンの中で迷って出られなくなってるだけかもしれないわよ」
「そりゃまあ、そうですけど……」
「それに、あなたもわかっていると思うけど」
奈河はぐるりと周囲を見回した。
実はこのオカルト研究会――涼音と奈河以外に、部員が一人もいないのである。二年生の部員が以前は一人だけいたのだが、やめてしまってこの有様だった。
でもって、涼音は一応籍は置いているけれども、実際は幽霊部員。半ば無理やり入部届けを出させられたにすぎない。三年生である涼音が引退したあとは、この同好会が継続する見込みはほぼないのだった。
ようするに、奈河としては今すぐにでも部員を増やしたいであろうことは想像に難くないわけで――。
「部員を集めるために、PR映像を撮ってもっともっと宣伝しないといけないの、わかる?」
「……映像、『私が全部やるわ!任せて!』って言ってたのどこの誰でしたっけ?」
「言ったわ!言ったけど全部アウトだったのよおおおおおおお!」
どん!と彼女はテーブルに拳を叩きつけた。
「何よ何よ何よ……もっともっとオカルトに興味持ってもらうために、ちょっとエログロ盛り合わせの動画作っただけじゃない!なんで先生の許可もYouTubeの審査も通らないのおおおおお!?」
「通るわけないっていうか、無断でアップしようとしたんですか!?お叱り受けるだけじゃすまないッスよ!?」
ダメだこの人、と涼音は呆れかえる。
そもそもだ。三島奈河という先輩は、見た目はツインテールの美少女だというのに中身は変態のおっさんだから問題なのである。とりあえず部室に平気でエロ同人誌を持ちこんで堂々と読むのはやめていただきたい。十八歳にはなっていても、この人はまだ高校生。成人向けを読むのは倫理的に問題がありまくりだと思うのだが、一体どこから仕入れてきたのやら。
そもそも論として、まだ十五歳の涼音が見ている前で堂々とえっちな表紙の本を読むのはモラルがなさすぎるとしか言いようがない。しかも。
『うーむ……悩ましいわね。女体化男子のエロは男性向けになるのか女性向けになるのか……あと巨乳とちっぱいはどっちのが魅力的なのかしら……』
なんてことをぶつぶつぼやいていたりするのである。涼音はそろそろ、この人を一発ぶったたいても許される気がするのだが。
「ああ、ようするに」
はああああ、と涼音は盛大にため息をついた。
「我々も、動画を撮影しよう、と」
「その通り!」
びし!と彼女は親指を立ててグッドポーズをしてきた。
「あんたの力は間違いなく宣伝になるわ!ダンジョンでピンチになっているであろうかりんとうさんを救出し、その様子を撮影!でもってYouTubeにアップすれば……我々オカルト研究会の評判と知名度は間違いなくうなぎ上りよ!おっほっほっほ、想像するだけでヨダレ出るわあああああ!」
本当におっほっほ、なんて笑い方する人は初めて見た。そして、涼音はその場で頭を抱えるのである。
――あかん、これ絶対に拒否れないやつや……。
気分は疲れ果てた関西のツッコミ芸人である。
***
奈河のことは、嫌いではない。むしろ人間としては親近感が持てるし、好きな方ではある。
彼女がいなければ、高校に入ってからも涼音はこんなにも明るく騒がしい日々を過ごすことはできていなかったのかもしれなかった。中学の時のトラウマがあったがゆえに。
『狭山さんに退部して欲しいと思ってる人は、ここに投票して』
据わった目でそう言った同級生の顔が、忘れられない。
涼音は中学までは女子バスケ部に入っていた。長身かつ、変幻自在のシュートを操るシューティングガード。こう言ってはなんだが、全国区のバスケ部のレギュラーになっていたし、かなり期待されていた方だと思うのだ。
ところが、その中で人間関係のトラブルが発生した。いや、もうあれはいじめと呼んでも過言ではないレベルだっただろう。一人の二年生の態度が悪いと一年生から密告が入り、その二年生を嫌う子たちが三年生の中でも声を上げてしまい――いつのまにかその一人の少女をみんなで追い出すべきという雰囲気が出来上がってしまったのだった。
確かにやや無口で、全然笑わない子ではあったと思う。不器用なこともあって、バスケ自体でもそんなに技量が高いわけではなかった。しかし、一生懸命練習していたのは涼音も見ていたのである。少し不愛想だからって、ここまで過剰に反応するほどなのだろうか。
『この雰囲気、異常だよ。別に、誰かに嫌がらせしてたとか悪口言ってたわけじゃないでしょう?何で追い出さないといけないの?』
やんわりとそう言って止めた時の、同級生たちの冷たい目が忘れられない。なんであんな子の肩持つの、男の子っぽいからってそういう趣味なの、何かワイロでも貰ってるの――次々突き刺さったのはそう言う言葉だ。
『あの子がいるせいで部の雰囲気滅茶苦茶悪くなってんのよ、わかんないの涼音?』
部長は、氷のような目で言った。
『それがわかんないなら、あんたも空気読めてなさすぎ。うざいよ』
それ以上のことは、何もなかった。少なくとも涼音自身には。
部員たちの無慈悲な〝狭山さんを追い出す投票〟の結果、追い出すことに賛成した方が多数だったゆえ、それは実行に移されたのだった(涼音が休んだその日に行われた投票だったので、涼音は参加していないとは言っておく)。その結果を突き付けて、単刀直入に出て行けと複数人が迫ったのである。
彼女に非がなかったとまでは言わない。でもあんな、同調圧力をかけてまで辞めさせる必要があったのか。彼女がいなくなったあと、清々したと言わんばかりに笑う部員達を見て――涼音は心が折れたのだった。
誰かがいなくていい、切り捨てるのが当たり前の世界なんかにいたくない。
大会の直前に、涼音はバスケ部をやめた。みんなが困るのがわかっていてもそうした。それが唯一、自分にできる抵抗だったからだ。
高校に入ってからも部活や同好会に入るのを避けていたのは、もうああいう狭いコミュニティではらはらさせられるのが嫌だったからである。ああ、それなのに。
――本当に強引なんだから、もう。
今、涼音の隣には奈河がいる。涼音の特殊な力を聞きつけた彼女は、強引にオカルト研究会に引っ張り込んだのだ。
『大丈夫大丈夫!なんかあったら、私が全力であんたを連れてどこにだって逃げてやるわ!』
その明るい笑顔に、自分はほだされたのかもしれない。
少なくとも彼女とふたりだけの小さな部活は、想像しいけれど――悪くはなかった。彼女と一緒にいる時は、顔色を伺う必要も感じなかったから。
結局、なんだかんだ言って涼音が奈河に付き合っているのはそういうことなのである。奈河のことが嫌いではないから、それに尽きるのだ。
「ここね」
結局その日のうちに、涼音は奈河とともに第九公園に来ることになるのだ。その手にばっちりカメラや懐中電灯などを装備した上で。