涼音はいつも、奈河の底抜けの明るさと強引さに救われている。なんせ彼女はいつもぐいぐいと人を引っ張るが、けしてその責任を他人になすりつけたりしないのだから。そして、影でぐちぐち悪口を言うくらいなら堂々と言いたいことを言うタイプ。だからこそ、信じられる人間だと思っているわけである。
まあ、ちょっとゴーイングマイウェイすぎてついていけないとか、もうちょっと控えめになってくれたらいいなと思うことがないわけではないのだが。
「発見しましたわよー奥さん!さあ、ゾウさんです!」
ででどん!と口で効果音を言う奈河。彼女の手には既にビデオカメラが用意されている。スマホではなく、わざわざ高性能カメラを準備していたらしい。元々は、学校でなんらかのPR動画を撮るためのものだったのだろう。結構高そうだが、なんと彼女の私物であるらしい。そういえば結構いいところのお嬢さんだと言っていた気がする。
涼音たちの目の前には、あの水色のゾウの滑り台が。やや暗くなってきた時間帯ということもあって回りに子供達の姿もない。何かをするなら絶好のタイミングなのかもしれないが。
「……先輩」
やや乾いた声で、涼音は言う。
「一応……魔術武器的なもの、持ってきてるんですよね?」
涼音と違って、奈河は特に霊能力や魔女としての素質があるわけではない。ただ、彼女はやたらめったらネットと本で〝黒い〟知識を集めるのが得意である。魔術武器的なものを自前で用意して持ってくるくらい朝飯前だった。
今回は急なこととはいえ、本人は今日のうちに公園にGOするつもりだったはずである。案の定と言うべきか、彼女は「ほれみ!」と制服の裾をめくってみせた。
スカートのベルトに何やらじゃらじゃらとぶら下がっているものがある。キーホルダーサイズの小さな短剣、鍵、十字架みたいなものまでいろいろと。
「一応、ガチで効果ありそうなものは持ってきたわ。自分の身くらい自分で守るから安心なさい。あとこの三島奈河、逃げ足にはとーっても自信があるんだから!」
「そうでしょうとも!」
彼女の座右の銘は文字通り『三十六計逃げるに如かず』である。オカルト的案件にすぐ首を突っ込みたがる反面、撤退の判断は非常に早い。なんなら涼音の方が出遅れることもあるくらいだ。なんなら過去、金縛りで動けなくなった涼音を担いで逃げたこともあるお人である。中学までは柔道をやっていたとかで、見た目に反してなかなかの怪力なのだ。
それと、彼女は知識があるのみならず、魔術武器の扱いにも長けている。多分そういったものと相性がいいのだろう。本物の魔法ほどではないが、彼女が「これ!」と思った道具はそれなりに効果を発揮することが多いのだ。
「それと、確認ですけど」
涼音はじーっとカメラを見て言う。
「ちゃんと、〝録画〟にしてますよね?生配信は絶対ダメッスよ?」
「わかってるわよ、それくらい」
ぷくーっと子供のように頬を膨らませる奈河。
「私とあなたの顔には必要に応じてぼかしを入れないといけないしね。それに、本当にまずいものが映りこんだら編集で切り取るとかしないとダメなんでしょ?いい加減、私もあなたと一緒にいてそれくらい学んでるわ」
「それならいいですけど。……それと、もう一つだけ」
彼女は『かりんとう』のファンだという。だから正直言いづらいが、それでも覚悟してもらわなければいけないことはある。
「かりんとうさんなんッスけど。……あの人、まだ無事とは限らないです。場合によっては亡くなってるか……怪物みたいになってる可能性も、充分に考えられる。正直、あたしとアナタだけで助けるには荷が重いと思ってます。一番大事なのは、あたし達の命っスからね?そこ間違えないように」
最悪の場合は、ちゃんと見捨てる勇気を持て。
言いたいことは伝わったのだろう。わかってるってば、と奈河は目を伏せた。
「異空間においては、人間の常識なんか通用しない。正気が削れるような状況も充分に考えられる。そんな場所に長らくいて、無事でいられる者はそう多くはない……そういうことでしょ」
「ハイ」
「大丈夫、何が一番優先するべきかはわかってるつもりだから。自分の手が届かない範囲まで助けようとするほどお人よしじゃないし、無謀でもないつもりよ。……さて、そろそろ始めましょうか。人が来たら面倒くさいし」
「そうッスね」
呪文はメモしてきている。というか、メモを見ないで呪文を唱えるのはちょっと無理がすぎるだろう。なんといっても、我々には謎言語の、意味不明な文字の羅列としか思えないのだから。
「マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!」
傍にいるとわかる。
何か――見えない何かが、ゆっくりと滑り台の下からせり上がってくる感覚が。
「マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!」
これは、何かを呼ぶ呪文。地中に埋めた入口を呼び出し、現実の空間と接続している――そういう感覚を受ける。
そもそも、この意味不明な呪文を三回も唱えないといけないのも、その後に小石とカッターの刃を投げる必要があるのも、無関係の人間が偶然扉を開いてしまうことがないようにとのことなのだろう。
ならば何故、かりんとうはこの場所と呪文を知っていたのか。一体誰が、それを教えたのか。
――正直、嫌な予感がする。……どうせろくでもない目的に違いないし。
「マリカランセル・トリオンネイティブ・アレサアレサアレサ・フラヴァアルルネシア・チェリンカスリケイシス・ポロレロロロロロロロロ・アアアアアアアアアア!」
三回唱えると、地面が熱くなったような感覚を受けた。小刻みに揺れている、と思うのは錯覚だろうか。あと少し、ほんの少し石を投げただけで瓦解する。その瞬間を今か今かと待っている何かがいる――そんな空気。
「ほいっとね!」
あらかじめ用意してあった小石とカッターの破片を投げる奈河。途端。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
それはまさに、映像で見た通りの光景だった。滑り台の側面に、ぽっかり開く穴。その奥に見える階段。おおおおおおおおおおおおおお!と奈河がガッツボーズをして雄叫びを上げる。
「見ました?見ました?画面の向こうの皆さん!本当に、かりんとうさんが言っていたダンジョンありましたー!我々S高校オカルト研究会は、今からこのダンジョンに突入いたします。かりんとうさんは、私達が救出してみせますよう!」
「部長、テンション高すぎッス……みんなドン引きッスよ」
「もう、Sちゃんってば、テンション低い!もう少し気合いれていかなきゃダメよう!」
「はいはい」
どうやら涼音のことはイニシャルで呼ぶことにしたらしい。確かに撮影者の彼女と違って、涼音は顔も映ってしまう可能性が高い。ぼかしを入れても誰なのかわかる可能性はあるし、まあ名前は出さないのが妥当なのだろう。
奈河は非常に準備が良かった。頭に装着するヘッドライトを二つも持ってきていたのだから。そのうちの片方を受け取り、装着する涼音。これで、両手があいた状態で探索することができるだろう。
もちろん、スマホとか多少の備品は肩掛け鞄の中に入っている。万が一閉じ込められた時のことも考えて、そこのコンビニで追加のお茶とカロリーメイトも買った。これが役に立たずに済むことを祈るが。
「では、GOです、GO!」
元気いっぱい、奈河が階段を降りていく。涼音もすぐ後に続いた。幅が狭いために、一人ずつ並んで降りていくしか方法がない。木製の階段は酷く湿っていて、一歩踏み出すと、ぎい、ぎい、と嫌な音を奏でた。
――背後の出口が閉まる気配はない、けど……どうかな。
ちらり、と涼音は後ろを振り返る。
自分達が来た時、ゾウさんの滑り台は何の穴もあいていなかった。それはつまり、先に降りたはずのかりんとう氏が出て来られない状態になっていたということではないだろうか。
無論、出る時もさっきと同じ呪文で対応できた可能性はあるし、それ以外に別の出入り口が用意されている可能性もなくはないが。
――一応、両親にはどこに行ったか言ってある。万が一の時は探してくれるはず。……あたしほど魔法の力がある人がいないから、探してくれても見つけられないかもしれないのが難点ッスけど。
やがて、映像にもあった木製の古ぼけたドアに辿り着いた。やはり、南京錠は外れて地面に落ちている。涼音はそれを拾い上げて、眉をよせた。
「このドアのボロさと比較して……この南京錠。結構新しいッスね」
「あらあらあら。このダンジョン作った人と、南京錠作った人は別人説が出て来たわね」
「はい。でもって、誰かがつけた鍵を、誰かがわざと壊しておいたっぽい」
私はその錠前を、彼女の目の前にかざす。――鍵のロック部分が、切断されたように切り取られていた。
「かりんとう氏は、誰かにこの場所と、呪文を教えられてダンジョンに入ったっぽいじゃないですか。そしたらご丁寧に、このドアについていた鍵が外されているわけです。これはもう、誰かがわざわざ人をダンジョンの中に招いたとしか思えないッスよ。罠なのか……罠なら、誰が、何のために作った罠なのか」
「謎は深まる一方ね。……鍵をつけた人と壊した人、この先にいるのかもしれないけど」
奈河は嗤いながら、ドアノブに手をかけた。
「さて、大舞台の始まりってね。……ばっちりカメラに収めちゃうわよ。我がオカルト研究会の存続のために!」
「そこは、かりんとうさんのためって言いましょうよ部長……」
まったく、この人は嘘がつけなさすぎるったら。涼音は引きつり笑いを浮かべつつ、ドアを潜った彼女の後に続いたのだった。