審査会から1年後。
帰り道、馬車の中でカリヨンは、アレッシャンの差し出した書類に目を通し、報告を聞いていた。
「例の家は先日の嵐で塀が少し傷みました。修理の手配のための見積もりです」
「ありがとう。相見積もりもとってくれたのね。この、中間の値段の業者で進めて」
書類を閉じ、窓の外を見る。
春の光に満ちた街路樹が、風に揺れている。
「本気を出せば、あのふたりのお金も、命も、奪ってやれた。でもそれでは、私が怪物になる」
ふと漏れたカリヨンの声に、アレッシャンが微笑んだ。
カリヨンはそっと耳に手をやった。
そこにあるのは、母の形見のイヤリング。
豪華な馬車には、化粧直し用の鏡。
「……そんな自分を、鏡で見たくないの」
アレッシャンは力強くうなずいた。
「社長は自身の光を持っている人です。いくら元伯爵や元令嬢が利用したり、真似したりしても、その光を再現はできない。彼らの真似をして、光を曇らせる必要はない」
アレッシャンはカリヨンに寄り添う。ふたりの顔が鏡に映る。
「僕も、同じです。だから、社長……カリヨンの隣で、ずっと一緒に笑っていたい」
カリヨンの表情がふわりとほころぶ。
「……じゃあ、新婚旅行の旅程表、急いでね」
「はい! やりがいのある仕事です!」
ふたりの笑い声が、春の風に乗って馬車の外へとこぼれていった。
***
カリヨンは、もう振り返らない。
王妃陛下の愛され薬師として、そしてアレッシャンの隣にいる自分として、前を向いて生きていく。
自らの意志と努力で作り上げた未来へ、アレッシャンと肩を並べ歩んでいく。
──この顔を、鏡に映して誇り高く見返せるように。そして、誰よりも強く、優しく、美しく……。
【終わり】