「だんっ!!」
三条大橋の欄干から着地後、間をおかずに走り出す。足がギリリと痛んだが、それどころじゃない。
川岸から少し下り、河川を確認する。
「柿ピー! 大丈夫かぁ?」と、康平の声が頭上から聞こえてきた。
水面を確認するが、やはり男性の姿は確認できない。底に、引きずり込まれているのかもしれない。
「…………」
男性の姿は見えないが、鬼の霊相は覚えているので、大方の位置は把握できた。
迷いなく川岸を全力で走り、目的の位置に飛び込む。真夏でも川の水は、意外と冷たかった。
昨夜のゲリラ豪雨の影響で水嵩こそ増してはいたが、本来鴨川の水深はかなり浅い。
潜って周囲を確認する。水が濁って見にくいが、男性が川底で複数の鬼に絡め取られていた。
男性の首や手足、胴回りに、ベッタリと屁泥状の鬼たちが絡みついている。
鬼たちは川底の屁泥の奥に誘うべく、男性を引きずり込み、徐々に埋めようとしていた。
この距離なら大丈夫だろう。己の中に呼びかける。
「ハク、出番やで」
「はい」
頭の中に、先ほどの少女の声が響く。細雪のように儚く、透き通った声だった。その声に対し、私は命じる。
「喰らえ」
直後、男性に絡みついていた鬼たちが、白い水泡とともに一瞬で消失する。
己の左腕にハクが喰らった鬼の残骸が取り込まれ、鈍い痛みが走る。
だが、今は男性の人命救助が優先だ。頭から屁泥の底へ突っ込む。
男性を川底から引き出し、腰を抱えて水面に出る。岸からざわめきが起きているのがわかった。
改めて周囲を確認すると、岸まではまだ八メートルほどある。
右手で男性を抱えながら岸へ急ぐ中、再び己へ呼びかける。
「ハク……包め」
「はい。静夜様、一時的にその方を固定しましょうか?」
「いや、かまへん。腕だけでええよ」
「承知しました」
体の左半身から白い半透明の羽衣が出現し、それが私の左腕にしゅるりと巻きつく。
途端に、腕に内包されていた鬼たちが分解されてゆくのがわかる。
「コウ、締めや」
「はいっ!!」
再び、少女の声が己の中に響く。
しかし、先ほどの儚さを持つ声とは異なり、芯の通った可憐な声だった。
先ほどと同じように左半身から赤色の帯紐がふわりと出現する。
「締めろ」
半透明の羽衣に包まれた左腕に、赤色の雅な帯紐が幾何学模様に絡みついてゆき、最後にきゅっと結ばれる。
準備は整った。川岸の人たちに気づかれぬよう、左手のみで印を結び、唱える。
「鬼喰滅殲」
左腕に取り込まれた鬼たちが、栄神の血に喰われて消滅する。
同時に、左腕の痛みが引いてゆく。——ごちそうさん。
私の家系は、平安時代から続く歴史の長い「栄神流」という祓い屋の一族だという。
中学の頃、事故で亡くなった両親からは、そんな話は一度も聞いたことがなかった。
その後、母方の祖父に引き取られた。祖父とはその時が初対面だった。
母と祖父は、どうやら仲が良くなかったらしい。そしてその時、祓い屋の家系であることを初めて知らされた。
幽霊や鬼は子供の頃から見えていたが、それが「普通」なのだと思っていた。
「ん、二人ともありがとう。戻ってええよ」
「「はい」」
二人の少女の声が響き、気配が消える。
少女たちとの付き合いも、もう十五年を超える。今では、私の命そのものだ。
家系としての付き合いになると、軽く千年を超えるのだろう。
普段は私の中で大人しく眠っていたり、姉妹で遊んでいたりするらしい。囲碁やオセロができるとか。どんな仕組みや。
川岸にたどり着き、男性を抱えて持ち上げる。
岸にいた康平と、数人の観光客が男性の腕を取り、引き上げるのを手伝ってくれた。
すぐに自分も岸へ這い上がる。康平が近づいてくるのがわかった。
「おつかれ、大丈夫か? さっき言ってた鬼とかはどうなったん?」
あまり心配している様子もなく、淡々とした口調だった。
「食ったよ。だからもう大丈夫。それより、おっちゃんや」
康平は「また変なこと言っとるなぁ」と呟きながら、先ほどの男性を見やる。
男性は河原に横たわり、観光客の一人が胸を押していた。呼吸がないのは見てわかる。
「代わってください」
私は男性に近づき、観光客と交代する。
靴の片方を脱ぎ、首の下に入れて気道を確保。鼻をつまみ、息を吹き込む。胸骨がふくらむのを確認。
ゆっくりと胸骨の膨らみが戻るのを待ち、再度息を吹き込む。
数回繰り返すと、男性はついに水を吐き出し、意識を取り戻した。
警察と救急が到着したのは、それから程なくしてのことだった。