-関東方面鬼霊対策室-
「……くそったれ。やってもうた。発足初日からこれか。爺さんに顔向けできひんわ」
肩で息をしながら、椅子に沈み込み天網のモニターを凝視してぼそりと呟く。
その隣では、燐と千草が心配そうに、モニターと私を交互に見ている。
間違いなく夜叉や。それも高位の個体やな。外見だけで判断するのは正しくない。
だが、その身の丈と、身なりから、それはわかる。ほんま最悪や。
長髪の黒髪を後ろで束ねた、漆黒の肌をした長身の黒夜叉。
赤色の幾何学の模様をあしらった、黒色のの袈裟のような衣装を身にまとっている。
夜叉は、拘束された丙を無言で見上げている。
以前、秋葉原連続通り魔事件を伝えるニュース速報の番組の途中。
現場の秋葉原において、現場リポーターの背後に見た夜叉は、少年の姿だった。
天網のモニターに映る夜叉は、成人の男性に近いように見える。
ただ、顔つきがあの時の夜叉に、とてもよく似ているのはすぐにわかった。
同一の個体か? まぁ間違いないやろうな。
おそらくの杭の中に、あの夜叉が封印されていたんやろうな。
しかも、杭に施された術式で、渡りを強制的に発動させて、それを夜叉の贄にした。
まさか、私達が杭を破壊する事まで、計算に入れて設置されていた?
であれば、完全に相手の掌で転がされている事になる。
夜叉が、自ら杭を設置して、己を術式を施した杭に封印した?
いやそんな器用な事できるんか? 夜叉は知性があるとはいえ、本能を行動の理念としている個体が多い。
自らを再度封印して、杭を破壊させる計略を考えたとは考えにくい。
絶対に、裏で動かしている人間がいるなこれ。
これって、もしかして宇野浄階が言ってた、鬼を生成しているっていう集団の仕業か?
宇野浄階が、大戦が起こる可能性が高いって言ってたけど、まさかこんなに早く動いてくるとは思わんかった。
「睡蓮、聞こえますか?」
椅子の肘置きで、重たい体を起こす。
しっかりと椅子に座り直し、睡蓮に確認を取る。
天網のモニターの前では、蓮葉が千里眼を操作し、食い入るようにモニターを凝視している。
「はい、聞こえております」
睡蓮の落ち着いた声に、蓮葉の強張った顔が少し和ぐのがわかる。
「睡蓮、発足初日からいきなり正念場です。杭の破壊の指示は、私の判断ミスです。本当に申し訳ないです。状況的にとても厳しいとは思いますが、絶対に誰も死なせないように」
「承知しております。杭の異常をすぐに判断できず、丙を止める事ができなかった私にも責があります。静夜様だけのミスではございません。各部隊には、丙の保護を優先させます」
夜叉は、睡蓮一人で対処するつもりか。せめて補佐である丙さんが動けたらな。
抑えられるか? 相手の情報がないので、しばらくは動きを見るしかないか?
「わかりました。相手は高位の夜叉です。おそらく睡蓮が全力で戦って互角、状況によっては不利になるでしょう」
「ええ……そうでございますね」
強者であればあるほど、互いの力量を計る事は難しくない。睡蓮も、あの夜叉の強さを理解しているに違いない。
「丙を奪還保護したら、各部隊の撤退を指示してください。後方支援部隊の部隊長と共に防御障壁と術式で時間を稼ぎ、撤退部隊が夜叉と距離が取れたら、睡蓮たちも至急撤退してください。現在の各部隊の被害状況は?」
まぁ、素直に撤退させてもらえるとは……思えへんけどな。
「はい。承知しました。現在は、部隊への大きな被害はございません。先程の闇に、数名あてられた程度です。現在は回復しています」
「わかりました。では、くれぐれも気をつけて」
高位の夜叉の殲滅には、睡蓮の部隊だけではあまりに危険すぎる。
先程出発した援軍である、月季の部隊を合流させる必要がある。
しかし、月季達が合流するには、まだ一時間はかかる…
あまりにも時間が足りない。奥歯を強く噛み締めて、己の中に指示する。
「白、紅……準備しておいてくれ……」
-早池峰頂上-
「おや? お話は終わりましたか?」
夜叉がこちらへ向き直り、両手を広げ話しかけてくる。明治の中級華族のような雰囲気を纏っている。
私達を、大きな脅威とは一切捉えていないのが理解できる。
「あら? 待っていてくれていたのですか? 夜叉なのに意外と紳士なのですね」
私の皮肉めいた言葉に対し、夜叉は胸に手を添えて目を軽く伏せ首を横にふる。
「いえいえとんでもない。紳士などではありませんよ? 私は、悪魔ですから。この地では夜叉でしたか? この贄をどう調理しようか考えていただけですよ。まずは肥えさせないとですね」
「…………」
夜叉が、改めて「んん~?」と捕らえた丙と私、そして後ろに控える部隊をじっくり観察する。
「やはり今回は、僧坊の仕業ではないのですね。あなた達は、祓い屋ですか?」
僧? 僧侶のことを言っているのでしょうか?
「僧? あなたの言う僧とは、宗教においての仏僧の事を言っているのですか?」
「ええ、そうです。そもそも、今回私を召喚生成したのが、その僧達だったのですよ」
「!? ……仏僧が、夜叉を召喚したというのですか?」
僧侶が悪魔を召喚? 夜叉の言っていることがうまく理解できない。
そんなの、私が持ち合わせている日本仏教の歴史の知識でも、今まで聞いた事がない。
そもそも可能なのでしょうか? もしかしたらインド仏教などでは、可能なのかもしれませんね。
夜叉は何か考えるように、再び丙を見上げながら話し出す。
「召喚後は、しばらくは何をするでもなく、僧の監視を付けられた状態で、首都の都市部で放置されていました」
思い出すように話を続ける。
首都? 東京? そういえば、静夜様が東京の秋葉原で夜叉を発見していた。
まさか、この夜叉がその時の夜叉なのでしょうか?
ただ、資料にあった情報とは食い違う点が多い。成長している?
「では、あの通り魔事件は、あなたが起こしたのですか?」
丙を見上げたままの夜叉へ詰問する。
「事件? よくわかりませんが、私は食事をしていただけですよ? 無情に無慈悲に魂を奪われた女性達の、悲痛に染まった負の感情の魂はとても美味なのです」
「…………」畜生ですね。
「ですが。このまま手は出してこないかと思えば、急に私を召喚した僧によって、仏像杭に閉じ込められましたがね、何がしたいのやら」
それは、夜叉を自らの意思で召喚生成し、再び封印できる実力をもっている集団という事になる。
仏教の流れを組んだ新興宗教か何かでしょうか? なぜこのような事を……目的がわかりません。
「そして、再び目が覚めてみれば、大量の霊相と贄に満たされて、ここまで成長させてもらって開放されるんですから」
夜叉が、再び手を広げて微笑する。やはりそうですか。
「本当に人間とは、愚かなことを考えますね……まあ目的は大方察しが付きますが。罪深い欲望です。ほんとうに愚かだ」