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岩手ノ渡 八


「夜叉………あなたの目的はなんですか?」

私の質問に、夜叉は素直に微笑んで答える。


「目的ですか? そうですね。召喚した僧の目的はわかりかねますが、私は至って単純ですよ? 私は悪魔であり夜叉です。魂を収集しなければなりません。本能の赴くままに」



 夜叉は、再び丙を見上げる。


「人間共の愚かな憎しみの感情を、歪で淫らな悦楽への執着心を。そして、やはり主菜は、強者の甘美な霊相」

そう答えながら、軽い足取りで丙へ近づいてゆく。


 丙はまだ反応が見られない。虚ろな目をこちらへ向けている。

口を、何度もかすかに動かしているのがわかる。「逃げて」と。

馬鹿ですね。あなたを置いて撤退などありえません。待っていなさい。丙。


「この女性はとてもいい器ですね、神器持ちではないですが、先程の霊相もとても甘美でした」

丙の足元の位置まで移動する。


「今は既に先程の術式の影響で、私の糧になり相当弱っていますが、きっと飼育すればいい味になるでしょう」

獄鬼がかかえる丙を見上げて、両手から白い糸を出し、丙の体を覆い始める。

糸はみるみる丙を包み込み、繭のように球状に生成される。


「丙っ!」「室長補佐!」

「この贄は頂いて行きます。他の鼠たちには手を出しませんよ。弱者への虐殺は品がありませんからね」


 丙を抱えた獄鬼を引き連れて、場を離れようと歩き出す。その先に扉が現れる。

禍々しい漆黒の扉、幽世へ戻るつもりですか。

幽世──こちらの現世とは異なるチャンネルの世界。渡られると連れ戻せない。


「させませんっ!」


 重力柱の呪札を前方へ飛ばすと同時に、睡蓮が前方へ走り出す。

それに続くように、先行部隊と後方部隊の部隊長クラスの隊員が飛び出す。


「私は夜叉を抑えます、その間に丙を」牛一の部隊長へ指示を出す。

「承知しました」牛一の部隊長が、各部隊長へ作戦を指示する。


「ん……足掻きますね……面倒は嫌いなのですが」


 先程送った重力柱が発動するも、やはり夜叉の結界によって塞がれてしまう。

防がれるのは想定しています。今はまず足止めが優先です。獄鬼の足を。


「ここっ!」


 地面に、酒夢の簪を突き立てる。

その瞬間、紫の光とともに、簪を中心とした術式の陣が生成される。

夜叉には通用しないでしょうが、多少なりにも獄鬼の動きは抑えられる。


「ほう……」


 獄鬼の動きが鈍ったのを確認した部隊長達が、一斉に獄鬼へ向かい走る。

後方で控える後方部隊の隊員達によって、獄鬼への最短ルートが、障壁よって整地される。


「はぁ、本当に愚かですね」


 夜叉が、獄鬼達へと近づく部隊長達へ向けて腕を振るう。

獄鬼へ近づく隊員達の上空に、数百を超えるビー玉からピンポン玉ほどの大きさの黒い玉が生成される。

禍々しい黒玉が、隊員めがけて発射される。数が多いっ。


 後方部隊の部隊長四名が、上空めがけて防御障壁を生成しようと足を止めて構える。

今、足止めを食わうわけにはいきません。一枚の赤札を取り出し、先行隊員達のすぐ上へ送り出す。


「後方部隊長! 止まらないで進みなさい! 天丿霧笠あまのむがさっ!」


 瞬時に、部隊長達の真上に、超大型の上級防御障壁が発生し、迫る数百の黒い玉を次々と弾き飛ばす。

弾き飛ばされた玉が飛び散り、周りの岩や木々に当たる度に、触れたものを煙を上げながら溶かしてゆく。


「室長、感謝いたしますっ!!」


 先行部隊の部隊長四名が、低空で接近し、二体の獄鬼の左右の足首をそれぞれの得物で切断する。

鎌、糸、大刀、円月輪、それぞれの威力も十分のようです。


 ほぼ同時に、後方部隊の部隊長二名が、獄鬼からの一撃を、防御障壁で受け流す。

もう一方の二名が、足首を失い体を傾ける獄鬼の首を、支給された霊刀で一刀両断する。

成果を確認し、睡蓮が夜叉に向き直る。


「いい部下をお持ちなのですね……それにあの障壁はすばらしいです」

夜叉は、黒玉を一度出してからは、特に動かずに成り行きを傍観していた。

丙を取り返されたにもかかわらず、特に感情の変化も見られない。


「ええ……誇りに思います。あの黒い玉は毒ですか? 触れたくないですね」

黒玉が触れた岩を確認すると、未だに煙を上げながら岩石を溶かし続けている。


「ふむ……あの子は惜しいのですが、良いものも見れましたし満足しました」

あっさりと丙を諦める夜叉。本能の赴くままとはよく言ったものですね。

このまま、一度引いてくれると助かるのですが。今は分が悪いです。


「腹も満たされているので、今日はこのまま帰ってもいいのですが……」

「…………」握る拳に力が入る。


「折角ですから、あなただけでも頂いて帰るとしましょうか? 既に熟して美味しそうですし」

熟した女性ですか、光栄ですね。ですが、毒かもしれませんよ?


 後ろでは、繭を破り丙を回収した部隊長達が、現場を離れるのがわかる。

「そのまま後方部隊の部隊長は私の支援を。他は中腹まで下がり、関東方面対策室の援軍を待ちなさい」


「「承知しましたっ!」」


 指示通り、後方部隊の部隊長四名を残し、全部隊が早池峰の中腹へ撤退を開始する。

部隊長四名が、霊刀からそれぞれの得物へと武器を持ち替え、私の後ろに控える。


「では、そろそろこちらも参りましょうか?」と夜叉が近づいてくる。

「あなたに、名はあるのですか?」

急な質問に、夜叉の足が止まる。少し考えるような顔をして答える。


「名ですか? 名など久しく考えたこともなかったので懐かしいですね。私の名はマルディラ、【黒蜘蛛のマルディラ】ですお見知りおきを」


 マルディラは名乗るのと同時に、黒い薙刀のような槍を生成し深く腰を落とす。

途轍もない霊相に、肌がひりつく。

ですが、静夜様の霊相に比べれば、撫でられているようなものですね。


 腰に差した呪刀を抜刀し、術式を展開する。


「鬼戸家当主・鬼戸睡蓮です。──参ります」



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