「夜叉………あなたの目的はなんですか?」
私の質問に、夜叉は素直に微笑んで答える。
「目的ですか? そうですね。召喚した僧の目的はわかりかねますが、私は至って単純ですよ? 私は悪魔であり夜叉です。魂を収集しなければなりません。本能の赴くままに」
夜叉は、再び丙を見上げる。
「人間共の愚かな憎しみの感情を、歪で淫らな悦楽への執着心を。そして、やはり主菜は、強者の甘美な霊相」
そう答えながら、軽い足取りで丙へ近づいてゆく。
丙はまだ反応が見られない。虚ろな目をこちらへ向けている。
口を、何度もかすかに動かしているのがわかる。「逃げて」と。
馬鹿ですね。あなたを置いて撤退などありえません。待っていなさい。丙。
「この女性はとてもいい器ですね、神器持ちではないですが、先程の霊相もとても甘美でした」
丙の足元の位置まで移動する。
「今は既に先程の術式の影響で、私の糧になり相当弱っていますが、きっと飼育すればいい味になるでしょう」
獄鬼がかかえる丙を見上げて、両手から白い糸を出し、丙の体を覆い始める。
糸はみるみる丙を包み込み、繭のように球状に生成される。
「丙っ!」「室長補佐!」
「この贄は頂いて行きます。他の鼠たちには手を出しませんよ。弱者への虐殺は品がありませんからね」
丙を抱えた獄鬼を引き連れて、場を離れようと歩き出す。その先に扉が現れる。
禍々しい漆黒の扉、幽世へ戻るつもりですか。
幽世──こちらの現世とは異なるチャンネルの世界。渡られると連れ戻せない。
「させませんっ!」
重力柱の呪札を前方へ飛ばすと同時に、睡蓮が前方へ走り出す。
それに続くように、先行部隊と後方部隊の部隊長クラスの隊員が飛び出す。
「私は夜叉を抑えます、その間に丙を」牛一の部隊長へ指示を出す。
「承知しました」牛一の部隊長が、各部隊長へ作戦を指示する。
「ん……足掻きますね……面倒は嫌いなのですが」
先程送った重力柱が発動するも、やはり夜叉の結界によって塞がれてしまう。
防がれるのは想定しています。今はまず足止めが優先です。獄鬼の足を。
「ここっ!」
地面に、酒夢の簪を突き立てる。
その瞬間、紫の光とともに、簪を中心とした術式の陣が生成される。
夜叉には通用しないでしょうが、多少なりにも獄鬼の動きは抑えられる。
「ほう……」
獄鬼の動きが鈍ったのを確認した部隊長達が、一斉に獄鬼へ向かい走る。
後方で控える後方部隊の隊員達によって、獄鬼への最短ルートが、障壁よって整地される。
「はぁ、本当に愚かですね」
夜叉が、獄鬼達へと近づく部隊長達へ向けて腕を振るう。
獄鬼へ近づく隊員達の上空に、数百を超えるビー玉からピンポン玉ほどの大きさの黒い玉が生成される。
禍々しい黒玉が、隊員めがけて発射される。数が多いっ。
後方部隊の部隊長四名が、上空めがけて防御障壁を生成しようと足を止めて構える。
今、足止めを食わうわけにはいきません。一枚の赤札を取り出し、先行隊員達のすぐ上へ送り出す。
「後方部隊長! 止まらないで進みなさい!
瞬時に、部隊長達の真上に、超大型の上級防御障壁が発生し、迫る数百の黒い玉を次々と弾き飛ばす。
弾き飛ばされた玉が飛び散り、周りの岩や木々に当たる度に、触れたものを煙を上げながら溶かしてゆく。
「室長、感謝いたしますっ!!」
先行部隊の部隊長四名が、低空で接近し、二体の獄鬼の左右の足首をそれぞれの得物で切断する。
鎌、糸、大刀、円月輪、それぞれの威力も十分のようです。
ほぼ同時に、後方部隊の部隊長二名が、獄鬼からの一撃を、防御障壁で受け流す。
もう一方の二名が、足首を失い体を傾ける獄鬼の首を、支給された霊刀で一刀両断する。
成果を確認し、睡蓮が夜叉に向き直る。
「いい部下をお持ちなのですね……それにあの障壁はすばらしいです」
夜叉は、黒玉を一度出してからは、特に動かずに成り行きを傍観していた。
丙を取り返されたにもかかわらず、特に感情の変化も見られない。
「ええ……誇りに思います。あの黒い玉は毒ですか? 触れたくないですね」
黒玉が触れた岩を確認すると、未だに煙を上げながら岩石を溶かし続けている。
「ふむ……あの子は惜しいのですが、良いものも見れましたし満足しました」
あっさりと丙を諦める夜叉。本能の赴くままとはよく言ったものですね。
このまま、一度引いてくれると助かるのですが。今は分が悪いです。
「腹も満たされているので、今日はこのまま帰ってもいいのですが……」
「…………」握る拳に力が入る。
「折角ですから、あなただけでも頂いて帰るとしましょうか? 既に熟して美味しそうですし」
熟した女性ですか、光栄ですね。ですが、毒かもしれませんよ?
後ろでは、繭を破り丙を回収した部隊長達が、現場を離れるのがわかる。
「そのまま後方部隊の部隊長は私の支援を。他は中腹まで下がり、関東方面対策室の援軍を待ちなさい」
「「承知しましたっ!」」
指示通り、後方部隊の部隊長四名を残し、全部隊が早池峰の中腹へ撤退を開始する。
部隊長四名が、霊刀からそれぞれの得物へと武器を持ち替え、私の後ろに控える。
「では、そろそろこちらも参りましょうか?」と夜叉が近づいてくる。
「あなたに、名はあるのですか?」
急な質問に、夜叉の足が止まる。少し考えるような顔をして答える。
「名ですか? 名など久しく考えたこともなかったので懐かしいですね。私の名はマルディラ、【黒蜘蛛のマルディラ】ですお見知りおきを」
マルディラは名乗るのと同時に、黒い薙刀のような槍を生成し深く腰を落とす。
途轍もない霊相に、肌がひりつく。
ですが、静夜様の霊相に比べれば、撫でられているようなものですね。
腰に差した呪刀を抜刀し、術式を展開する。
「鬼戸家当主・鬼戸睡蓮です。──参ります」