サラの部屋に入ると、カビ臭かった。
昼間だというのに日光はほとんど差し込んでおらず薄暗い。
窓はあるのだが、北向きなうえ、窓のすぐ近くに大きめの木があるせいだろう。
その薄暗い部屋の中に寝台があった。
寝台のシーツは黄ばんでいて、湿っていそうだ。恐らくカビ臭さの原因は寝台だ。
部屋の出入り口からみて、カビ臭い寝台の向こう側に隠れるようにしてサラはいた。
床の上にぺたりと座り、
「……——……——」
かすかに小さな声で、ぼそぼそとしゃべっている。
どうやら、サラはあたしに気づいていないようだ。
何を話しているのだろう。
あたしは気になって、音を立てずに近づいた。
「……——……」
サラは囁きながら、木の棒にぼろきれを巻き付けた物を大切そうに抱きしめている。
それはただの棒だ。
ただ、左右に少しずれてはえた枝が、腕のようにみえなくもないただの棒である。
ただの棒に布を巻いただけだが、それがサラの人形らしい。
仮にも貴族のご令嬢が、まともな人形一つ与えてもらえないのか。
「……サラはかわいいね。……いいこいいこ」
サラは呟く。
それは、きっと母マリオンに言ってもらって嬉しかった大切な言葉。
「……サラはママのたからものだからね。……いいこ」
かけてもらって嬉しかった言葉を、自分に見立てた人形に向かって呟いている。
あたしは泣きそうになった。
「サラ」
「ひぅ」
あたしに気づいたサラはビクッとして、慌てたように木の棒の人形をスカートの中に隠す。
尻尾を股の間に挟んで、プルプル震えた。
そんなサラをあたしは抱きしめた。
サラはまるで満足にご飯も貰えていないのではと思えるほど、細くて小さかった。
「……だいじょうぶ。ルリアにまかせろ」
「るりあ……さま?」
「サラは、ルリアの、妹みたいなものだから。ルリアは姉だから」
「おねえ……ちゃん?」
「うむ。サラの母上のおちちで、ルリアはそだったのだから」
あたしは「だいじょうぶ」と繰り返しながら、サラを抱きしめた。
どうやら男爵はサラを可愛がっていないらしい。
理由はわからない。
男爵は「サラは妃殿下にお会いできるような者ではなく」と言った。
てっきり礼儀が身についていないからだと思ったが、少し違和感はあった。
まるで、サラが身分の低い者であるかのような口調ではないか。
しばらく抱きしめていると、やっとサラの震えが収まった。
「サラ。うちにきたらいい」
「……でも」
「マリオンのびょうきもきっと治る。治ったらいっしょにくらせばいい」
「……でも」
「でも?」
「サラは、獣人だから……むりなの」
「どうしてそう思う?」
「サラは、……獣人だから……いやしいの」
サラは悲しそうに自分の犬のような耳をぎゅっと掴む。
そうか。サラはそう言われて育ったのか。
やはり男爵の「お会いできるような者ではなく」という言葉も、そういう意味だったのか。
あたしは男爵に、大いに腹を立てた。
「いやしくない。サラはいやしくない」
「でも……」
「でもじゃない。サラはマリオンのたからものなんだから」
サラは目に涙を浮かべた。
「サラはかわいい。いいこ。そしてルリアの妹だ」
「ぇぇ……ぇぇぇっぐ」
サラはボロボロと涙をこぼす。
「サラはルリアの妹。そしてルリアは姉だから。サラはいいこでかわいい」
あたしはサラが泣き止むまで、声をかけながら、抱きしめた。
キャロもポケットからでてきて、サラの頭を優しく撫でる。
「……りす?」
サラがキャロを見て首をかしげる。
「プレーリードッグのキャロだ」
「かわいいね」
サラは初めて笑った。
(きゃろ、でかした!)
あたしは、キャロに無言でよくやったと目で伝えた。
「きゅ」
キャロもどや顔をしている。
サラのことはあとでかあさまに頼むとして、今はマリオンの病気を治すのが先だ。
マリオンが元気になれば、サラも幸せになれるし、寂しくない。
マリオンさえ元気になれば、あの愚かな男爵だって、どうにでもなる。
「さて……サラ」
「はい。ルリアさま」
サラは肩に乗ったキャロを撫でている。
様はいらないと言おうと思ったが、礼儀がなってないと怒られたら困るので後回しだ。
「……キャロ、ていさつして」
「きゅ」
キャロはタタタと四足歩行で開いた扉まで走って部屋の外を窺う。
従者が何をしているのか確認してくれているのだ。
「サラ、こっちにきて」
「うん」
窓のそばに連れて行き、小声で話す。
「しずかにな?」
「うん」
「マリオンの、サラのかあさまの場所はわかる?」
「えっと……あっち」
サラは窓の外に生えている木のさらに向こうを指さした。
窓からその建物までは、大人の足で七十歩ぐらい離れている。
つまり、窓から建物までの距離は大体五十メルトぐらいだ。
ちなみに、長さの距離メルトについては兄に教えてもらった。
「あのたてものか」
「そう。サラも中にはいれないの」
「うつるからなー」
そう言いながら、あたしはマリオンの建物まで近寄る方法を考える。
剣術訓練のおかげで、体力がついたので、五歳にしては速く走ることはできる。
だが、見つかったらまずい。
とくに大公爵家の従者に見つかったらまずい。
従者たちは護衛を務めているだけあって、とにかく速いのだ。
十歩も進む前に確保されて、連れ戻されるだろう。
「むむぅ……ん?」
いちかばちか、全力で走ろうかと思っていたら、違和感にふと気づいた。
「あれ……まさか、
「もや? ルリアさま、もやって?」
「たてものに、くろいもやが少しかかっているように……みえぬか?」
「サラには、そんなのはみえないの」
サラには見えないということは、呪力だろうか?
「……まさか」
もう一度よく見たら、あたしの誕生直後、母を殺しかけたあの呪力の靄に少し似ている。
いや、だがもし呪力なら、守護獣たちが、気づいて教えてくれたはずではないだろうか?
「……まよっている場合じゃない。んっしょっと」
あたしは窓を開ける。下から押し上げるタイプの窓だ。
非常に固く、重かったが、剣術訓練しているので、なんとか開けられた。
「うお」
「…………」
窓を開けると、窓の下に隠れるように伏せをしたダーウがいた。