青い竜は、その巨大な体を震わせて泣いている。
あたしはダーウの背から降りて、竜の大きな頭をぎゅっと抱きしめつづける。
「だいじょうぶだよ?」「りゃあぁ」
ロアは青い竜の鼻先に抱きついた。
青い竜はボロボロと涙をこぼしながら、ずっと泣いていた。
泣いている青い竜を抱きしめていると、サラが走ってきた。
サラの後ろにはキャロとコルコがいて、その更に後ろにクロがいた。
サラは不安そうだが、キャロとコルコは落ち着いている。危険が無いとわかっているのだろう。
「ルリアちゃん、だいじょうぶ?」「きゅう」「こっこ」
サラは臆病な性格だというのに、あたしが心配でにやってきてくれたのだ。
「ありがと、サラちゃん。でも、だいじょうぶ。サラちゃんもぎゅっとしてあげて」
あたしは青い竜を抱きしめながら、サラに微笑んだ。
サラも青い竜が怖くないとわかったようで、ぎゅっと抱きつく。
サラに抱きついてもらって、青い竜は益々激しく泣いた。
悲しいのでも痛いのでもなく嬉しいのだ。
泣いている青い竜を抱きしめるあたしとサラを、従者たちは呆然と見つめている。
「…………聖女」
従者の一人がぼそっと呟いたのが聞こえたが、聞こえなかったことにする。
「穢れに満ちた荒ぶる竜を浄化し、鎮めて慰めるなど……まさに聖女の御業」
「それ以上、何も言うでない」
若い従者の呟きを、従者長が咎めてくれた。よかった。
聖女だと噂されることは避けたいからだ。
「ルリア!」
その時、あたしとサラは後ろから母に抱き寄せられた。
「おお? かあさま」
「なんで危ないことするの!」
母は涙を流していた。
裸足だし、髪も乱れているし、服も寝間着のままだ。
「ごめん。でも……この子が怪我していたから」
「手負いの獣は特に危ないの!」
「ごめん……でも、この子はわるい子じゃないし」
「それでも! 危ないでしょ! いい子でも! 手負いなら暴れることだってあるの!」
「ごめん」
謝るしかない。
あたしを抱きしめて泣く母を見ていると、申し訳ない気持ちになってくる。
「わふ……」「りゃあ……」
ダーウが、母の近くに仰向けに横たわって、お腹を見せて申し訳なさそうにしている。
あたしのお腹にしがみついていたロアは、あたしと母に挟まれながら、神妙な顔で鳴く。
青い竜は大人しく母に抱きしめられるあたしとサラをじっと見つめていた。
そして、大きく息を吸うとゆっくりと吐いた。
「……心配をかけたのである。ごめんなさいなのである」
そして、両手で涙をゴシゴシとこすり、再び深呼吸をした。
「我は
先ほどまでの幼い雰囲気が消え、威厳のある口調になった。
きっと本来の口調はこちらなのだろう。先ほどまでは辛くて、幼児退行していただけに違いない。
「そっか。すいりゅうこうというのかー」
すると、水竜公はあたしを見た。これはあたしが名乗るのを待っているに違いない。
「ルリアだ! この子はサラとロア。ダーウとキャロとコルコ。そして従者のひとたち」
「よろしくなの」「りゃっりゃ」「ばう」「きゅ」「こ」
そして、従者達は、無言で頭を下げた。
「この地の領主ヴァロア大公の妻、そしてルリアの母アマーリアと申します」
母は「御尊顔の栄に浴し、恐悦に存じあげ奉ります」と典雅に礼をしてみせた。
裸足なうえ寝間着で、かつ顔にも服にも泥がついているが、母は高貴だった。
人語を話す古の竜には、たとえ王であっても礼を尽くさねばらないのだ。
あたしが「かあさまはかっこいいなぁ」と思いながら、眺めていると水竜公は深く頷いた。
それから、水竜公はゆっくりと降りてきて、あたしの前で下あごを地面につける。
「我はルリア様に、命の限り仕えることを誓う!」
「え? なんで? いいよ、そんなの」
「そ、そんな」
水竜公は泣きそうな表情を浮かべている。可愛そうになってくる。
威厳の欠片も無くなった。もしかしたら、幼児っぽいのが水竜公本来の口調なのかもしれない。
「ルリアはたいしたことしてないし? つかえなくていいよ?」
「偉大なルリア様に取っては大したことないかもしれないけど、我にとっては重大なことなの」
「すいりゅうこうは、おおげさだなぁ」
「大いなる力を持つ偉大なる精れ——」
『待つのだ! 水竜公。それ以上言葉にしてはならぬのだ!』
コルコの背中で大人しくしていたクロが、慌てた様子で水竜公の前に飛び出した。
『む? そなたは?』
水竜公は、あたし以外の人間には聞こえない精霊の言葉で話し始めた。
『ぼくは精霊王クロなのだ。ルリアさまが半分精霊なのは人族には内緒なのだ!』
『ふむ? 前世が聖女であることも内緒なの?』
なぜか水竜公は、あたしのことがわかるらしい。流石は古の竜だ。
『そう全て内緒なのだ。ルリア様は精霊が見えることも、精霊と話せることも隠していて……』
あたしは目立ちたくない事情をクロが懸命に説明してくれる。
『もしかして我が立派だから、我が仕えると、ルリア様も目立ってしまうから困るの?』
母やサラ、侍従たちには水竜公の言葉は聞こえていない。
だから、あたしも無言でうなずいた。
『そっかー。我は立派かー……へへへ』
水竜公は少し嬉しそうだ。
本当は目立つのが嫌というより、仕えてもらう必要がないと思ったから断った。
だが、喜んで貰えたなら、その方が良い。
「目立たないようにするから! だから、我が仕えることを認めてほしいのである!」
「えー、こまる」
「水竜公。光栄なお申し出でありますが、お断りさせていただきます」
母がきっぱりと告げると、
「そなたには関係ないのである! アマーリアは黙るのである!」
水竜公は急に偉そうになって怒声をあげた。
声と同時に薄い魔力が放たれ、空気がびりびりと震える。
戦闘のプロである従者たちが、一歩下がったほどだ。
なぜかわからないが、あたしには水竜公が泣きそうで必死に見えた。
「関係ないわけがありませんし、黙るわけがありません!」
母に言い返されると思わなったのだろう。水竜公はびくりとして目を見開いた。
「ルリアはまだ五歳。母である私の庇護下にあります。仕えるというならば、私を通しなさい!」
「…………あい」
母の圧に押されたのか、水竜公は意外にも素直にうなずいた。
偉そうだったのに、また幼児っぽくなっている。
「そもそも! 先ほど我を忘れて暴れていたこと、忘れたのではないでしょうね!」
「ご、ごめんなさい」
水竜公は、下あごを地面につけたまま、その大きな体を小さくしている。
尻尾が力なくぺたりと垂れ下がっているし、表情も泣きそうだ。
「……はっはっ、きゅーん」
叱られる水竜公を、ダーウは同情のまなざしで見守っていた。
「——わかりましたか?」
「……わかったの。まことにごめんなさい」
ひとしきり説教された後、水竜公は謝罪した。
母に叱られて、しょんぼりしている水竜公を見て少し可哀そうになった。
「すいりゅうこう。ルリアとともだちになる?」
「え? いいの?」
水竜公の顔が輝いた。嬉しそうに尻尾が揺れる。
「うむ。いいよ!」
「うれしい! やった、やったぁ……ふぐ、……ふえええ」
満面の笑みを浮かべたまま、水竜公は涙をボロボロこぼした。
きっと水竜公は、一人で孤独で、痛くて苦しくて、すごくつらかったのだ。
「がんばったなぁ。いいこいいこ」
あたしは水竜公をぎゅっと抱きしめて、優しく撫でた。