クロは羽の生えた黒猫の姿をしている当代の精霊王だ。ちなみに尻尾は二本ある。
基本的に、人は精霊の姿を見ることができない。
精霊を見る才能のあるサラでも、猫ではなく光の玉としてしか認識できないほどだ。
それゆえ、クロたち精霊は他の人の目があるところでは基本的に出てこない。
庭で遊んでいる間、クロたちが出てこなかったのは、トマスの目があったからだ。
『怪しい人なのだ。すぐに屋敷に戻った方が良いのだ!』
そんなクロがわざわざ出てきたと言うことは非常事態と考えた方がいい。
近くにトマスがいるので、あたしは返事をせずに周囲を窺う。
キャロ、コルコ、ロアも周囲を警戒しはじめる。
サラにモフられて、だらしない表情をしていたダーウも一気に真剣な表情になった。
ダーウは子犬だが、いざというときには、とても頼りになる。
「どうしました?」
あたしとダーウたちの気配が変わったと気づいたトマスが尋ねた次の瞬間、
「めぇ〜」
巨大な黄金色のヤギが木々の間からぬっと顔を出す。
そのヤギはいつもは父の屋敷の近くにある森に住んでいる守護獣だ。
あたしを追いかけて、猪や牛の守護獣たちと一緒にこっちに来てくれている。
「ヤギどうした?」
「めえ〜」
「わかった。あんないして」
ヤギは人が倒れているという。
『待つのだ! 怪しいから、近づかない方がいいのだ!』
「安心するのである。我がいるのだからな!」
『全然安心できないのだ!』
スイはクロと会話を始める。
「水竜公?」
トマスが怪訝な表情でスイを見つめている。
「ああ、スイは水竜公ゆえな。動物の声が聞こえるのである」
スイは精霊ではなく、寝の前にいる巨大なヤギと会話しているふりをした。
「おお、流石は水竜公!」
トマスはあっさり信じたようだ。
「人が倒れているらしいからな。助けに行くのである」
そういって、スイはどんどん森の中へと歩いて行く。
その後ろをあたしとサラは付いていった。
「ルリアお嬢様、お待ちを!」
「またない! 人をたすけないとだからな!」
「そうはいきま……ダーウどきなさい!」
「わふ」
トマスはあたしを力尽くで止めようとしたが、ダーウが口でくわえて防いでくれる。
『ルリア。従者の人のいうとおりなのだ! 怪しい人に近づかない方がいいのだ!』
「めえ〜」
『お前はまたそんなこといって。責任取れないのだ!』
ヤギは「大丈夫、殺気は感じない」と言っていた。
『そなたも守護獣ならば、ルリアの安全を第一に考えるのだ!』
「め〜?」
ヤギはあたしなら人を助けたいと思うはずだと言っている。
「……ん。ヤギのいうとおりだ」
あたしはトマスに聞こえないぐらい小声で返事をした。
『んー! もう、クロの気もしらないでなのだ!』
「クロもありがと」
あたしは小声で返事をして、宙に浮かぶクロを抱きよせた。
「ごめんね?」
『……ん』
あたしたちは二分ほど歩いて、倒れている人を見つけた。
その人の周囲には守護獣の猪と牛がいる。
「ぶお……」「もお……」
どうやら倒れた人を見つけて、猪と牛が見守り、ヤギがあたしを呼びに来てくれたらしい。
「みんな、ありがと」
「お嬢様、危ないです。離れてください!」
「ばうばう〜」
トマスはダーウに咥えられているので、あまり近くに寄れないでいる。
「すまぬな。サラちゃんもすこしはなれてて」
「うん。気をつけて、ルリアちゃん」
「スイがいるから、なにも怖いことはないのである!」
『本当に、頼むのだ』
あたしは倒れている人をしっかり観察する。
その者は黒っぽいローブを着てうつ伏せに倒れており、顔が見えないので年齢はわからない。
ただ、背は高いので、きっと男に違いない。
そして、倒れている人はとにかく臭かった。
「なんのにおい?」
「ばうばう!」「ぶぼぼ」
「うんこかー」
ダーウと猪が、人と馬のうんこが発酵した臭いだと教えてくれた。
臭いうんこが、服に沢山付いているらしい。
「もお〜」
牛は肥料を作ってる人ではないかと言う。
「そっかー。こえだめかな?」
「お嬢様、なぜ肥だめなど知って、いえ不潔です! 離れてください! 私が叱られます!」
「すまぬな?」
トマスの言いたいことはわかる。だが汚れるからといって倒れている患者を放置できない。
「だいじょうぶか?」
あたしは、声をかけながらその患者を仰向けにする。
手にうんこが付いて、凄く汚いが気にしてはいられない。
「お嬢様! 離れてください! うつります! ダーウ離せ!」
トマスが絶叫して、駆け寄ろうとするが、ダーウに防がれる。
患者の顔には、大きな腫れ物がいくつもできていた。
腫れあがりすぎて、元の顔がわからないほどだ。
腫れ物はひどく膿んでおり、うんちとは別の悪臭を漂わせている。
「ダーウそのままたのむな?」
「ばう」「お嬢様! お願いですから離れてください!」
マリオンがかかった赤痘のこともあるので、トマスが危機感を持つのも当然だ。
だが、あたしは、前世の頃、治癒魔法で大量の疫病患者を治療し続けた経験がある。
だから診察も治療もお手の物だ。
前世の頃は栄養が足りなくて、魔力も枯渇して病気で死にかけたこともある。
だが、今のあたしは栄養たっぷりだし魔力の余裕あるので、もし病気になっても自分で治せる。
「……ちらっ」
あたしはクロを見た。
クロはあたしが魔法を使うのを嫌がる。背が伸びなくなるらしい。
でも、人命の方が大事だ。それにあたしが自分の病気を治すことは許してくれるだろう。
「だいじょうぶ、でも、サラちゃんはちかづかないでな?」
「うん」
サラが病気にならないよう、念を入れて近づかないように言う。
「あ……あ……。あ……」
患者には辛うじて意識があった。あたしのことをすがるような目で見つめる。
その目は綺麗な青で、とうさまの目に似ていた。