その夕方、駅前のファミレスの角席。飲み放題ドリンクバーのグラスが並ぶテーブルを挟んで、翔馬・飛翔・颯の三人はタブレットを囲んでいた。
眼前に映るのは、昼の配信アーカイブ。再生数は5万回を超え、コメントの数は万単位。しかもそのうちの大半がリアルタイムの実況という熱狂ぶりだった。
「いやマジですげぇ。普通、こんな短時間で伸びねぇって」
そう言いながら興奮を隠せないのは颯だ。今は制服のシャツを脱いでTシャツ一枚。スケッチブックを広げ、ゴーレムの戦闘シーンをなぞっている。
「“CG疑惑”とか“撮影スタジオ説”もあったけど、割と真面目に信じ始めてる人、いるみたいだな」
飛翔はポテトをつまみつつコメントをスクロールしている。
「てか、“第二層の探索やらないの?”って書いてあるけど……やるの?」
翔馬はドリンクのストローをくわえながら、頷いた。
「やる。というか、やらないと“自分で選んだ意味”がなくなる」
その言葉に、飛翔と颯が一瞬黙った。
この男、たまに核心を突く。冗談や流行りに乗ってるだけじゃない。たぶん、心の底で“何かを証明したい”と願ってる。
その空気を破ったのは、タブレットの通話着信だった。表示されたのは、「Ashton & Lexi」。
「お、来た来た」
翔馬が画面にタップすると、二分割のビデオチャットが表示された。左側に金髪碧眼の男子・アシュトン、右側に同じく金髪の少女・レクシー。どちらも翔馬たちの学校の留学生コンビだ。
『ヘイ! Shoma! 日本の“リアルダンジョン”ってマジ? サイコーにクレイジーだね!』
アシュトンの声はやたらとデカい。ファミレスの他の客がちらっと振り向いた。
『翔馬、こんにちは。映像、見ました。興味深い……というより、信じられないわ。でもあれが現実なら、私たちも協力したい』
レクシーは対照的に理知的な口調で話すが、目の奥に好奇心の炎が揺れている。
「二人とも、ありがとな。……って、協力って?」
『配信のシステムをアップグレードしておいたよ。視聴者参加型アンケート、リアルタイムで敵のパターン選べるやつ! 俺、昨日徹夜で作った!』
アシュトンが画面越しにサムズアップした。
「おい、マジかよ、それ……」
「やば、でもそれウケるわ。視聴者が“敵の行動を選べる”ってこと? 新しいゲームじゃん!」
「いや、待て待て待て!」
翔馬がストップをかける。
「“敵の行動”選べるって、視聴者が悪ノリしたら、こっち死ぬぞ?」
『安心して! 私、コメント選別のフィルターつけてあるから。煽りや無理難題は弾かれる。たぶん』
「“たぶん”が一番こえーんだけど!」
しかし翔馬は、内心ワクワクしていた。
“配信の熱”が、ダンジョンに干渉している――ゴーレムの出現もそうだった。なら、次はどうなる?
配信者としての責任と、未知の扉を開けるスリル。そのどちらも、彼にとっては無視できない“選択”だった。
「よし、やるか。第二層。コメントもアンケートもぜんぶ背負って、行ってやる」
そう言い切る翔馬の瞳には、もはや迷いはなかった。
再び〈錆色の空洞〉の奥、通路の突き当たりにある“階段室”に、翔馬たち三人は戻ってきていた。
スマホ三台とアシュトンの提供した外部配信デバイスによって、映像は完全リアルタイムで配信されている。カメラの切り替えも滑らかで、まるでテレビ番組のような品質だった。
「じゃ、ここから先の“次の一手”……コメントで決めるってことでいい?」
颯がスマホに語りかけるように言うと、コメント欄は即座に反応した。
《よっしゃー!》《俺の案採用しろ》《アシュトン天才か》《レクシー有能》
「第一回アンケート、スタート! 次に現れる敵は――」
颯が選択肢を読み上げる。
【選択肢】
①巨大クモ型モンスター(暗闇で音に反応)
②毒吹矢を放つ罠兵(数多く、素早い)
③無害なスライム100体(でもヌルヌル)
「さあ投票だ! レッツ、コメント!」
即座に投票が始まり、コメント欄は《②》《②》《毒矢で!》《数の暴力》《スライムだろ常識的に》などで埋め尽くされていく。
「……②が多いな」
「……お前ら、マジで俺らを死なせにきてる?」
翔馬がぼやいた直後、壁の文様がじわりと赤く脈動し、天井の金属板が音を立てて開いた。
――プシュッ。
どこからともなく吹き出す、鋭い風圧。
「毒吹矢トラップだ! みんな伏せろ!」
飛翔の叫びに、翔馬と颯はとっさに伏せる。次の瞬間、無数の毒針が天井や壁から発射され、空気を切る音があたりを包んだ。
「おいおい、やりすぎだろこれ……! こんなの視聴者に選ばせるなよ!」
翔馬が息を切らせながら叫ぶ。コメント欄は大盛り上がりだ。
《やばw》《本当に来たw》《②マジだった》《あかんて》《レクシー何してんw》
「レクシー! フィルターどうなってんだ!」
『機能してるはずよ! ……たぶん! 想定より投票数が多すぎて、選別が間に合ってないのかも!』
「“たぶん”やめろって言っただろ!」
その間にも、毒矢は止む気配を見せない。
「待って……パターンある。音に反応してる! さっき翔馬が叫んだ直後に、矢が増えた!」
飛翔の分析に、翔馬は口をつぐむ。
颯がスケッチブックを開き、床のパターンを素早く書き留める。
「矢の出方、法則ある。たぶん壁の文様の点滅と連動してる。……こっちの通路、隙間多い、抜け道だ!」
「マジか、信じるぞ!」
翔馬と飛翔は声を出さず、身振りで確認しながら、スケッチに示された通路を低姿勢で進む。風を切る矢をギリギリで避けながら、ようやく階段の下に到達した。
矢が止んだ。
深呼吸をついた翔馬は、カメラに向かってにやりと笑う。
「おい、見てるか? お前らの選択、乗り越えてやったぞ」
コメント欄は爆発していた。
《やば》《イケメンすぎた》《視聴者=敵説》《毒矢パターン解読すご》《颯のスケブ有能》《黙ってるのが正解だったw》
「よし……第二層、行こうぜ」
目の前には、重々しい鉄扉が立ち塞がっている。
翔馬がその前に立ち、深く息を吸った。
「ここから先は、“自分の選択”じゃない。視聴者の“声”を背負って進む」
その言葉が、どこか凛として響いた。
鉄扉の内側に広がっていたのは、錆空洞とは打って変わって静謐な空間だった。
それはまるで、地下遺跡の螺旋階段室――青緑色の錆に覆われた金属の壁面に、苔のような文様が浮かび上がっている。わずかに発光する足元のプレートが、通路の導線を示していた。
だが、その一歩を踏み出した瞬間。
「うわっ!」
翔馬の足元が、突如として沈み込んだ。
地面がスライドし、開いた床の隙間から、槍のような杭が飛び出す――その直前で、翔馬は体を引いて事なきを得る。
「また罠かよ……!」
「コメントのせいじゃないだろな!?」
飛翔が即座に視聴者欄を確認する。そこには《ワナもっと!》《ハラハラ演出》《主人公死んだ?》《翔馬がんばれ!》《床動いてたよ右下》などの混在するメッセージ。
「見ろよ、これ。視聴者のコメント、ダンジョンが拾って“実装”してんじゃねーのか?」
「じゃあ……黙らせるしかないな」
翔馬が苦笑まじりにカメラに手をかざすと、その背後からドスッと重い音が鳴った。
振り向くと、金属扉の前に立っていたのは、美波だった。
「……遅くなってごめん。怒ってる暇、なかったから」
彼女は制服姿のまま、手にはタブレットとスマホを二台。ドリンクバーのカップ片手に登場した。
「待て、どこから来た?」
「ファミレスから。見てた、ぜんぶ。レクシーが言ってた、“視聴者干渉”って概念――恐らく、AIの“選択反映アルゴリズム”だよ」
「……わかったようなこと言ってるけど、よくわかんねぇ」
「要は、コメントがそのまま敵の“行動指針”になってる。けど、その構造には“法則”がある。視聴者の意見が割れて、どれが優位かわからないとき、ダンジョンは“最大公約数”の選択を取る」
「つまり……選択肢を“揃えさせなければ”いいってこと?」
美波は無言で頷くと、自身のスマホに接続していた端末を操作する。
「私がこの先、コメント欄に“正解を誘導する論理”を打ち込む。少なくとも、視聴者が意見を分散させれば、AIは暴走しない」
翔馬は笑った。
「ほんと、議論で殴るのが得意な奴だな、お前」
「これは論理じゃない。安全のための“戦略”」
そのまま四人は、慎重にステップを刻みながら、第二層の奥へ進んでいく。
だがそのとき――
「え? ちょっと待って、コメント欄が“選択肢の固定化”を始めてる……?」
飛翔が声を上げた。視聴者数が急増し、《正義の判決を下せ》《裁く者来たれ》《次は“論破系”で頼む》という不可解なコメントが並び始めた。
そして、階段の最奥部――次の扉が開く。
そこにいたのは、一人の“美波”だった。
鏡のように反射する装甲、同じ制服、同じ髪型、同じ目つき。だが、そこには冷たく、無機質な笑みが浮かんでいる。
「……議論で正しさを最優先する者。ならば、その信念に問おう。“正しさ”とは誰のものか」
ダンジョンは、視聴者の望みに応えた。
それは、美波自身の“正しさ”を模倣した、AI的な敵。次回、ついに心理戦へと突入する。
(第2話 完 → 第3話「第二層、騒音は正義」へ続く)