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第55話 カステリナ商人組合

「下町の方の商人組合しか行ったことがなかったんで、富裕層街のはちょっと緊張するっすね。昨日の宿もっすけど。へへっ」


 いつも飄々としているフェラドが、正面にある大きな建物を見て珍しくそわついている。そういえば宿でも口数が少なかった。慣れない場に萎縮していたのかもしれない。宿に、ムリーナを預けてきているのも、拍車をかけているようだ。


 ギルドホールの向かいに建つカステリナ商人組合。全体的に黒っぽい石で組まれた、二階建ての建物だ。

 正面一階部分の両端には飾りが彫られた石柱が二本立ち、ほんの少し古代ローマ建築物のような風情もうかがえる。

 入り口は閉ざされており、両開きの大きな扉には金属の取っ手が輝いている。扉の上には、月の満ち欠けを描いた旗が風に揺れていた。どうやらあの紋章は、商人のもので間違いなさそうだ。

 扉上の金属のプレートにくっきりと【カステリナ商業組合】と刻まれている。


 ギィィィ……


 扉を押して中に入る。中はひんやりとしていて、外の喧騒が嘘のように静かだ。石の香りが鼻をくすぐる。

 一階入口ホールは天井が低く、石壁に沿って長椅子が並べられている。梁のあいだには、小さな細工の入った燭台がいくつも吊られていた。

 正面の壁には、巨大な商人の紋章が掲げられ、下を見ると、藍色に銀の織模様が施された美しい絨毯が敷かれている。木の靴底が絨毯越しに石の床に当たる度に「コ、コ」とくぐもった音を立てた。

 入口ホールの右手には、控えめながらも手入れの行き届いた木製カウンターがある。


「これは、トルヴェル オスティア商人組合長御一行。主人が二階執務室でお待ちです。ご案内いたします」


 カウンター内にいた若い男性が、カウンターから出てきて恭しく礼をする。“少々お待ちください”と書かれた三角柱の札をカウンターに置いて、先頭に立った。


 ギルドホールのような大きな部屋がない代わりに、部屋数が多い。狭い廊下を少し歩いて出てきた階段は、上下に伸びているようで、地下階もあるのが見て取れた。


「ふぅ……」

「…………」


 フェラドが緊張のため息をつくのが聞こえる。ちらっと振り返ると、珍しくメルカトの表情も硬いように見えた。


 石造りの階段をコツコツと上がると、廊下の空気がやや乾いたように感じる。

 廊下を進み、奥の部屋の前で案内人が立ち止まる。分厚い木の扉の前で、腰に下げたベルを鳴らした。

 中からくぐもった声が返る。


「通せ」


 金属の取っ手が、カチリと音を立てて回された。


 商人のトップの執務室。

 高い天井は梁がむき出しのまま黒光りしており、ところどころにランプが下げられている。

 執務机の背面にある天井近くの窓には、鉄格子の中央にカラーガラスの飾りがはめ込まれ、そこから差し込む光が、床に青や赤のモザイク模様を作り出していた。

 執務机は重厚な長机。インク瓶と書きかけの文書が広がり、印章がひとつ、紙の上に置かれている。机の背後には商人ギルドの紋章が刺繍された布が掛けられ、壁には地図が掲げられていた。


(おぉ、地図が本当に知らないものだ)


 三本の支流がまとまっている地点を探そうとしたが、もっと大きな範囲の地図のようで、見つけられなかった。海がどこかにある、ということだけ知ることが出来た。


 部屋に一歩踏み入れた途端、スープと燻製肉の香りが鼻を突く。本当に昼食中のようだ。

 においのもとを辿る。壁際には高い書架が並び、手前の一角に簡易な円卓が据えられていた。そこで、濃紺のチュニックを着た男性が食事をしている。

 何かのポタージュと、肉を挟んだ白パンに向かっていた男性が顔を上げた。


「おとうさん。急な訪問はお控えくださいと、あれほど」


 男性はゆったりと立ち上がり、少し呆れ気味に言った。


 第一印象が、狼のようだなとライチは思った。黒い短髪や、スラリとして引き締まった体躯もそうだが、青い瞳がギラリと獰猛な光をまとっているのが印象的だ。射抜かれたら、何の理由もなく謝ってしまいそうな鋭い目をしている。


(おとうさん? 息子さん?)


 だとしたら、全くと言っていいほど似ていない親子だ。

 しかし、若さだけはあり得そうなほど、この組合長は若い。ライチより少し下。三十歳になっているかどうか……というあたりに見える。この若さで貴族も下町もひっくるめて商売を牛耳っているとは、ものすごい手腕である。眼光の鋭さにも納得だ。


「悪ぃ悪ぃ。まぁそうピリつくなって、プルデリオ。今日のはがっつり儲け話だぞ。まずは説明からしててやるから、さっさと食べ切っちまえ」


 ふむ……としばらく考えたプルデリオは、確かに時間が無かったらしい。しぶしぶといった様子で再度席に着き、食事を再開した。


「軽く紹介しておくぞ。ここの市民権はあるが、郊外村を拠点に行商人をしているフェラドと、メルカトだ。そして、新製品の開発者の旅人、ライチ。ライチはギルドカードがないと、ちと面倒だったんで、今しがた市民権を得てきたところだ」


「フェラドっといいまっす。よろしくお願いしまっす」


 フェラドが、普段の口調の癖を引きずって、ぎこちなく挨拶をする。

 メルカトは無言で丁寧にお辞儀をした。


「フェラド君だな。メルカト君は……お父上がたいそう心配しておられるぞ。ご実家にもたまには顔を出してあげるといい」


「お気遣いありがとうございます。……また、いずれ」


 露骨にプルデリオの帰省の提案をスルーして、メルカトが微笑みを見せる。


(心配性のお父さんか。なんだ、ご家族もいい人そうじゃないか。メルカトはどうして行商人をしてるのかなぁ……)


 組合長とも顔見知りとなると、結構な名家な気がする。左目の周りの火傷のことも関係しているのだろうか。ちょっと親の気分で余計な心配をしてしまう。


「そして、新商品開発者のライチ殿か。このような無礼な格好ですまない。午後すぐに予定が詰まっているものでね。また食後に改めて挨拶させてくれ」


「ライチです。よろしくお願いします」


 格好、が食事中を指す言葉だということは重々承知だが、そう言われてついつい服装を見てしまう。


(いくら好きでも、こんなに着ける?)


と思うくらい、“銀”にこだわって全身がコーディネートされている。刺繍も布への織り込みもそうだが、特に指輪がすごい。左右三個ずつデザインの違うものをはめている。邪魔ではないのだろうか。ネックレスや腕輪も合わせると、成金というか、“成銀”という見た目になってしまっている。なんなら、部屋にある小物も、ペンや印、ランプなど、どこもかしこも銀だらけだ。


(指輪……)


 ライチは思わず自分の左手薬指を触った。

 リノと結婚する時に、『一円でも多く、子供に使いたいよね』なんて言われて、結婚指輪を買わなかった記憶が蘇る。ハネムーンで小旅行はしたが、結婚式も身内だけの小さなものだった。

 のちのちこうして身一つで転移させられると分かっていたら、何としてでも指輪を買って着けていたのに。後悔先に立たずである。


「で、さっそくだが、これがその新商品だ。説明だけしていくから、その間に食い終われよ」


 ライチの郷愁を横殴りに飛ばす勢いで、トルヴェルとフェラドによって、ポリエクロスとポリエ糸、そして、甘味シートが空いている長椅子に並べられた。


「ライチ、説明を頼む」


「あ……分かりました」


 ライチは軽く首を振って、気持ちを切り替えた。この世界で何度も行ってきたプレゼンである。今回は時間もないようだし、うまくまとめて成功させなければ。


「お湯を頼んできますね」


 メルカトが先を見越して一旦退室する。本当に気の利く子だ。


「この布はポリエクロスといって――」




---



「――説明は以上です」


 説明中に食事を終えたプルデリオは、すぐに立ち上がって、商品の耐久実験や味見にぐいぐい参加していた。ライチが着ているグレゴル村長の晴れ着はインパクト大だったようで、かなりしげしげと見つめていた。

 ヘアケアについては自分たちの髪を見せるくらいしかできないが、それにもかなり近くまで来てじっくりと観察していた。


「ふむ。販売価格、既得権益との兼ね合いなど、細かいことは私個人では決められないが……。

 ひとまずここにあるものは、私費で全て買い取ろう。

 ヘアケアの方は、まずはお義父さんと行商人の君たちに任せるので、製法は聞かないでおく。

 それで、卸す価格は決まっているのか?」


(値段も聞かずに、全て買い取る宣言?! どんな男前?!)


「買い取り……ですか? サンプルだけもらう、とかでもなく?」


 ライチが恐る恐る確認すると、プルデリオは目をギラギラとさせながら頷いた。


「まごまごして他所に持っていかれる方がよほど困る。買い取りは正規ルートとして行商人から行うことになっているので、まずはそちらで交渉しておいてくれ。……私は少し席を離れる」


 そう言うと、プルデリオはチリリリンとベルを鳴らした。すぐに脇の部屋から、スーツではなくチュニックではあるものの、どう見ても執事らしい見た目の老紳士が現れる。


「フィデリス。織物組合の長と、香辛料組合の長に、至急時間を作るように通達してくれ。今持ち込まれたこの新商品なんだが――」


 プルデリオが簡単に執事風の部下に説明をし始めるのを横目で見ながら、行商人チームとトルヴェルとで会議を始める。


「俺って、もう“行商人”になってるらしいけど、それはいいのかな? 一応、生産者扱い?」


「そっすね。今の荷物分は村の皆さんと作ったものだそうなので、俺ら行商人二人で買い取って、別に売るのが筋っすね。しかし、まさか言い値で買い取ってくれるとは!」


「ライチさんは、いくらで俺たちに売ってくれますか?」


 メルカトが美しい顔で意地悪な笑みを浮かべた。この世界の常識に疎く、商売の経験もないライチに、酷な質問だと分かっていて聞いている。いたずらっ子め。


 ライチは脳内パパメモを辿るような気持ちでATMさんの回答を引っ張り出した。


「腕の長さの横幅が、部屋の端から端の縦幅分あるこの大布が四千G。

 腕半分が部屋の天井まである小布が七百五十G。

 甘味シートが一枚二百Gかな」


「……ですね。以前お伝えした通り、市場では甘味シートは、一枚三百〜四百G。ポリエクロスの大布は七千〜八千Gあたりで売れるはずです。市場価格の半額ほどで原産地から買い取るのが妥当でしょうね。

 中継の俺達がプルデリオ組合長に売る価格は、スピネラ村までにかかる日数と手間を加算して、一・五倍 〜 一・七五倍ってところですね。フェラド、どうする?」


「言い値って言ってくれたんすから、もちろん一・七五倍で!ようやく回ってきた儲けのチャンス、手抜きしてられねっすよ」


 メルカトがうん。と頷き、フェラドがうんうんうんと頷き、トルヴェルがそれをニヤリと笑いながら見ている。


「フェラド、メルカト。すまんが、プルデリオより少し価格を上げてくれてもいいから、甘味シートをこっちにも売ってくれないか? 今晩の賄賂にちょっと必要でな」


 トルヴェルのウインクを受けて、メルカトが行商物の数量をメモした木札を取り出す。


「ライチさんは今回、小布一枚と、甘味シート三万枚を売りに出しています。そこから五百枚ほどはトルヴェル組合長用に避けておきますね。金額はプルデリオ組合長と同じで構いません」


 トルヴェルがうむ。と頷く。


「あの……その他の、ポリエ糸と粉ユキミルクと布オムツは……」


 ライチがこっそりと付け足すと、メルカトが説明してくれた。


「ポリエ糸もかなりの量持ち込んでくださってますが、規格が揃っていないので、価格を設定するのに時間を要します。こちらは預かりでお願いします。おおむね、布の三割程が糸の価格となりますね」


(え〜〜と……三百本×二・五メートルが縦糸横糸で二倍いるから、糸一・五キロメートルが、小布の七百五十Gの三割、二二五Gか。

 クラフトポンでひと鍋五キロメートル作れるから、大鍋ワンポンで七百五十Gだな! あれっ、なぜか小布の値段に戻った? おもしろ〜)


 儲けを考えたら断然甘味シートの勝利だ。

 素材も近くにわさわさ生えてるし、雑草でほっといても増えていく。何より小さな一枚の単価が高い!カヤ以外が機織りをやめてしまわないか心配になるほどである。


「粉ユキミルクと、布オムツは、俺達には現状、需要がどの程度あるのかが読めないので、孤児院に試供品として渡して、そこから広めてみるのはいかがでしょうか? 良いものなら欲しい人たちが増えてくるはず」


「なるほど!孤児院があるなら、うってつけだ!滞在中に足を運んでみるよ」


 育児用品も需要がありそうで何よりである。どんな環境かは分からないが、子供たちに関しては、ゆくゆくは教育も是非行ってもらいたい。子供はキラキラの目で遊んで学んでナンボなのである。


(教育と言えば、まずは製紙と給食だな。何にせよ資金は必須……甘味シートで荒稼ぎせねば!)


 こちらの次の課題は素材の大量生産だ。いくら雑草でも、クラフトポンで周りの村人から根こそぎ奪って荒稼ぎするわけにもいかない。


「ライチさんへのお支払いは、申し訳ないですがプルデリオ組合長からお金を受け取った後になります。お金をもらわずに先に商品を手放すことになりますが、必ずお支払いするので信頼して預けてくださいね。

 小布一枚が七百五十Gと、甘味シート三万枚が六百万Gとなります」


 軽く言われたが、日本円にして六千万円!と七千五百円である。この取り引きだけで宝くじレベルの儲けだ。


(くぅ〜〜……今すぐ全額リノたちに送金したい!)


 しかし、今後の展開にいくら資金がいるのか分からない以上、送金できてもかなり節約した金額にはすべきだろう。


(待っててくれな。パパ、頑張るよ……!)

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