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第3話 腐界への赴任

「やっと見えてきたな。……遠かった」


 真夏の炎天下の中、砂と岩ばかりの荒野を歩き続けてきた。

 夜明けに最寄りの村を出てから十時間、やっと遠くに森が見えたのだ。

 あの森が目的地、俺が王から拝領した土地である。


『ねえねえ、てぃる、あのもり?』

「そうだよ。ここから見える森全部が俺がもらった領地だよ」


 俺は王都からの道中で仲間になった聖獣の牛であるモラクスに説明する。


 モラクスは聖獣なので、魔法で人の言葉を話せるのだ。

 モラクスは白黒柄の体高五十センチぐらいの小さな子牛だ。大きさ的に赤ちゃんだ。


 母牛を腐界の中で魔物に殺されて、逃げてきたところを保護したのである。


『ひろい』


 そういって、モラクスは尻尾をぶんぶんと振る。


「そう。広いんだけどね。人はいないよ」


 俺がもらった領地は腐界と呼ばれる瘴気漂う大地の一部だ。


 土地は瘴気に汚染されており、農業はできない。

 普通の動物は瘴気の中に長時間いると病になるので、牧畜もできない。


 そもそも腐界には凶悪な魔物が跋扈しているため危険すぎるのだ。


 だから領民はいない。そもそも人が住める場所とは思われていない。

 普通に考えたら、開拓しようがないのだ。

 功績に報いるために与えられる土地ではけしてない。


『てぃるはどうして?』

「俺が平民で、有力な師匠の後ろ盾もないことが原因かな?」


 宮廷魔導師は貴族階級出身者ばかりだから平民は嫌われる。


「宮廷魔導師長があることないこと、お偉方に吹き込んだんだろうな」

「も~~」


 モラクスが怒ってくれている。


 師長は、俺が謀反を考えているとか、野心が高すぎて危険だとか周囲に言いふらしていた。

 心配した高位貴族が俺に教えてくれたほどだ。至るところで言いふらしていたのだろう。


 あの師長なら王に虚言を吹き込むことすらやりかねない。


 それでも前線に送られた俺は功績を立て続けていた。

 魔物を倒さなければ、俺だけでなく前線の騎士や兵士、冒険者が死ぬのだから倒すしかない。


 死地に送り続けてても死なないぐらい力もある危険人物が無視できない功績をたてている。

 そのうえ、前線の騎士や有力な冒険者、辺境を守る領主とは仲が良い。


 死地を共にくぐり抜けた騎士や領地を守った領主と仲良くなるのは自然なことだ。


 だからこそ、さらに嫉妬されて憎まれる原因にもなった。

 辺境の大領主と仲良くなりたいなら、自分でも魔物の討伐をすればよかったのに。


「……それで腐界を治める辺境騎士、しかも辺境開拓騎士か」


 辺境騎士とは、辺境の小村を領地としてもらい魔物や害獣、敵に備える騎士である。

 そして辺境開拓騎士になると、開拓も期待されている騎士と言うことになる。


 騎士と言うよりもむしろ農民に近いかもしれない。


 建前は栄転、実質は追放。都合の良い役職を思いついたものである。


 きっと、王宮の者達や宮廷魔導師連中は俺がこの地から逃げ出すと思っているに違いない。

 そうすれば、王命に違反した罪で処罰できる。


 もし俺が逃げ出さなければ、早々に死ぬと考えているのだろう。


「叙爵ののタイミングというのも考えられているよな」


 これ以上功績を立てられて、万が一にも男爵に叙されることは避けたかったのだ。

 男爵以降は、儀式があり、王自らの手で叙爵される。


 会ったこともないが、王は四十台で人格者として知られている。

 恣意的な叙爵を行うことは難しいだろう。


 もちろん騎士も王が任命することになっている。

 だが、騎士以下の叙爵者は人数も多く、実務上は賞典局に任されているのだ。


「……賞典局長が師長の従弟だもんな」


 恣意的な辞令を出すことも難しくなかっただろう。


「とはいえ、俺はずっと腐界で研究がしたかったんだ。渡りに船って奴だ」

『どして?』

「えっとね、話せば長くなるんだけど……」


 どうせしばらく歩かなければならないのだ。話のネタにちょうど良い。


「俺は小さい頃、腐界の近くに住んでいたんだけど。三歳の時に両親を魔物に殺されてね」


 両親も魔導師で、腐界から出てくる魔物を倒す役目をおっていたらしい。

 両親を亡くした俺は魔導師である師匠に拾われて育ててもらった。


「俺は魔物の被害をなくしたいんだ」


 小さい頃は両親を殺した魔物に対する復讐心もあったと思う。

 だが、今は復讐心よりも魔物被害を減らしたいという気持ちの方が大きい。


 自分と同じ目に遭う人たち、特に子供が居なくなればいいと思う。


 俺は自分と同じく魔物によって親を殺されたモラクスを見る。


「も?」


 だから宮廷魔導師として各地を飛び回る仕事は嫌ではなかった。

 だが、魔物退治はあくまでも対症療法に過ぎない。


「腐界の拡大を止めて、縮小させて、消さないと、根本的な解決にはならないし」

『たいへん』

「そうだね。大変だ。俺一人で腐界をなくせるとは思ってないけど……」


 腐界を研究して開拓すれば、後生の者が続いてくれるかもしれない。

 俺の働きが、いつか腐界をなくす小さな一歩になれば良い。


「それに! もう人間関係に悩まされなくて良いし!」


 宮廷魔導師の時に押しつけられた仕事には文句なかったが、人間関係はストレスだった。


「……それにしても、苦労するのは宮廷魔導師長だと思うけどなぁ」


 死地に送られ続けた俺の替りを用意しなければならないのだから。


「ま、俺の気にすることではないか。がんばってくれとしか言えないし」


 仮にも宮廷魔導師なのだ。慣れるまで苦労するだろうが、魔物ぐらい倒せるだろう。


 すがすがしい気持ちで、俺は可愛いモラクスと一緒に森へと歩いていった。


『くっきり』

「そうだね、くっきりしているね」


 しばらく歩いて到着した荒野と腐界の境は、線をひいたかの様に分かれていた。


「……瘴気臭いな」

『くさい』


 この森は腐界の最前線だ。

 木々は普通の木ではなく、葉や枝、幹から瘴気を吐いている魔木である。


「この森が外に広がらないようにするのも俺の仕事って訳だ」

「も~」


 森が広がるということは、腐界が広がると言うこと。

 つまり人類の生息圏が狭くなると言うことだ。


「モラクス、一緒に頑張ろうな」

『もらくす、がんばる』


 モラクスたち聖獣も魔物を討伐し、腐界が広がらないようにすることが使命なのだ。


「この辺りの魔木はまだ若木だな」


 腐界は徐々に拡大しつつある。この辺りは腐界になったばかりだ。


「あまり浅瀬でもな。もう少し奥にするか」


 一般的に、こちら側に近い腐界を浅瀬と呼ぶ。そして奥は深瀬ではなく奥地と呼ぶのだ。

 理由はわからない。


「も……?」


 モラクスは、俺を見上げて心配そうに鳴いている。

 魔物との戦いで母牛を亡くしたので、奥に行くことが不安なのだろう。


「奥に行って強い魔物が出ても大丈夫だよ。俺は強いからね。魔物退治は得意なんだ」


 俺はモラクスの背中を優しく撫でた。


「とはいえ、あまり奥に行ったら不便かな? でもあまり浅くてもなぁ」


 十キロぐらい腐界の中に入ったあたりに家を建てれば良いだろうか。


 腐界の中ならば、どこに村を作るかは自由と言われている。

 領地を与えると言ったくせに、その領地がどこか具体的に指定されていないのだ。


「本当に適当だよなぁ。これじゃ腐界全体が俺の領地みたいなもんじゃないか」


 腐界は広大だ。面積だけならば、俺はぶっちぎりで国で一番の大領主である。

 俺が実際に腐界の中で生活して開拓できるとは思っていないのだろう。


「モラクス、良さそうな場所があったら教えてくれ」

『わかった。おいしいくさがはえてるとこさがす』


 モラクスは張り切って鼻をふんふんさせつつ周囲を駆け回る。


「あと太めの木がたくさん生えてた方が良いかな。地面も平らな方がいいかも」

『わかった。みずは?』

「そうだなぁ。魔法で水は出せるけど、一応近くに水場があった方が良いかな?」


 そんなことを話しながらのんびり進む。

 腐界に入って十キロぐらい歩き、平坦な場所にでた。


「この辺り、結構良さそう」

『くさもうまい』

「そうか。太くて立派な木も沢山生えているし、地面も平坦だし、水の匂いもして――」


 そのとき、俺は二百メートルほど向こうに魔物の気配を感じた。

 俺が気配に気づくと同時にモラクスはびくりとして戻ってくる。


「ま、当然出てくるよなぁ。大丈夫だよ、モラクス。安心してね」

『もらくす、ぜんぜんこわくない』

「そっか、強い子だね」


 優しくモラクスの背中を撫でている間にも魔物はどんどん近づいてくる。

 それは小型の魔兎だ。


 魔物の中では弱い方だが、駆け出しの冒険者にとっては強敵だ。


 その魔兎は体高は約五十センチほど。後ろ足は強力で、頭には鋭い角が生えている。

 そして、体表は瘴気が固形化したヘドロの様なもので覆われていた。


 体表のヘドロのような物は、魔兎だけでなく魔物共通の特徴だ。


 まっすぐに俺たちに向かって駆けてきた魔兎は、その勢いのまま角を突き刺そうとしてくる。

 俺が魔兎を仕留めようとする一瞬前。


 ――GYA!


 魔兎の頭に矢が突き刺さり、ゴロゴロと転がる。

 そのまま魔兎は動かなくなり、体表のヘドロのような物が蒸発していく。


 魔物は死ぬと、体表のヘドロが蒸発するのでわかりやすい。


「も~」


 モラクスが魔兎に近づこうと一歩動いたところで、


「そこをうごくな!」


 高さ三メートルほどの樹上から少女の声が響く。

 その少女は弓に矢をつがえて、油断なく俺とモラクスを睨んでいた。

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