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第4話 エルフの少女

 樹上の少女は、耳が長くて先がとがっている。滅多に見ないエルフという種族だろう。

 十代後半に見えるが、エルフなので実年齢はわからない。


 緑の目に金色の髪、動きやすそうな革鎧を身につけている。

 腰には木のコップとポーチを付けており、ポーチにはあふれるほど草が詰め込まれていた。


「迷い人か?」


 少女は窺うように俺を見る。


「いや、迷っていたわけでは……」

「猟犬を連れて……狩りにでも来たのか? 腐界を舐めているな?」

「も?」


 モラクスがどこに犬がいるんだろうとキョロキョロする。


「なっ! よく見たら猟犬ですらないじゃないか! なんだその生き物は!」


 腐界に入り込む人族が牛を連れているとは思わなかったのだろう。

 腐界に入るのなら狩人だろうし、狩人が連れているのは猟犬だ。


 一瞬ならば、モラクスを犬だと勘違いしてしまっても仕方ないのかもしれない。


「モラクスは牛だが……」『うし』


 モラクスは嬉しそうに少女を見上げて尻尾を振っている。


「牛だと? 牛とはそういう姿なのか? いや、違う! そうじゃない!」


 少女はぴょんと木から飛び降りる。身体能力が高い。


「なんだその装備は! 剣も盾も弓矢も持たず、鎧も身につけていないじゃないか!」

「ああ、ナイフならあるが……」


 俺が腰に差している刃渡り四十センチぐらいの大ぶりのナイフを指さすと、

「馬鹿か?」

 心底呆れた目で見られた。


「しかも、腐界に来るのに荷物が少なすぎる。しかも牛を連れて……」

「ああ、このリュックは魔法の鞄マジック・バッグといって、見た目以上に沢山はいるんだ」

「何をわけのわからないことを。自殺志願者か?」

「違うぞ。そんなわけない」


 そういうと、少女が俺をじっと見つめた。


「…………ならば、何かに追われて、やむなく腐界に逃げてきたのか?」

「それも違うぞ。俺はこの辺りに――」

「追われていないなら帰れ!」


 辺境開拓騎士として赴任してと説明しようとしたが、言わせてもらえなかった。

 というか、人の話を聞かない少女だ。


「ここは有害な瘴気にまみれ、凶悪な魔物が跋扈している腐界だ!」

「知っている。お前こそ、腐界の中で何を――」

「黙れ! お前に関係ないだろう! 口を閉じてさっさと帰れ! 死にたくなければな!」


 少女は俺に黒曜石で作られた矢尻を向けて、弓を引き絞る。

 その返答で理解した。恐らく少女は事情があって腐界の中で暮らしているのだ。


 犯罪者か、借金取りから逃れているのか、政敵に追われたのか、国が滅びたのか。

 理由はわからないが、外にいたら腐界にいるよりもひどい目に遭うのだろう。


「……わかった。勝手に侵入したことは詫びよう」


 そして、彼らにも彼らの縄張りがあるのだ。

 俺が住むのにちょうど良いと思った場所だ。彼らにとってもいい場所なのだろう。


 そんなところに、外から牛を連れたのんきな男がやってきたら、不快に思う。


「わかったならいい。…………一人で帰れるか?」

「それは問題ない」

「……そうか。一人でここまできたぐらいだものな。ならさっさと帰れ」


 俺は少女に背を向けて歩き出す。

 しばらくの間、少女はじっとこちらを見つめている気配がしていた。


 三キロぐらい歩いて、少女の気配が消えた頃、

『びっくりしたね』

「そうだねー。腐界にも人族が住んでいるんだね」

『おこってたね?』

「あれは怒ってないよ。心配していたんだよ」


 そういうと、モラクスは首をかしげて俺を見あげる。


「腐界を舐めた男が、準備もせずにやってきたと思ったんだよ」


 少女は、俺の装備などを確認して警告してくれていた。

 命に関わるのだ。強い言葉になるのも当然だ。


「それに俺を殺そうとしなかったしな」


 少女が事情があって腐界に住んでいる者たちならば、存在を知られたくないはずだ。

 俺が無事に帰って言いふらしたら、面倒なことになると簡単に予想できる。


「それでも、命を奪わなかったんだよ。きっといい奴だよ」


 犯罪者として逃亡中だったとしても、山賊の類いではないだろう。


『そっか』

「まあ、彼らの生活領域から離れたところに家を建てようね」


 彼らには彼らの生活があるのだから。



 俺とモラクスは来た道を戻っていく。

 しばらく歩き、少女と別れてから五キロぐらい進んだところで、


 ――GYAAA!


 魔物の咆哮が聞こえてきた。魔物は高速でこちらに向かって突進してくる。

 彼我の距離は百メートルほど。


 猪型の魔獣である魔猪、それも立派な角を持つ角魔猪と呼ばれる種族だ。

 体表がヘドロ様のものに覆われていて体が大きく、角がはえていること以外は普通の猪だ。


「もっ!」


 モラクスは跳び上がって逃げてくると、俺の後ろに隠れた。


「大丈夫。怖がらなくていいよ。中々強い魔物だけどね」


 先ほどの魔兎よりはずっと強い。

 角魔猪は一人前の冒険者が、四、五人のパーティでやっと相手にできる相手だ。


「それでも俺は凄腕魔導師だからね。雷鳴トニトゥルス」」 


 突進してきた角魔猪に雷魔法をぶつける。

 角魔猪は一撃で死んで、体表を覆っていたヘドロが蒸発するように消えていく。


 残されたのは巨大な角あり猪だ。魔物は死ぬと元の姿に戻るのだ。

 ちなみに殺さずに元の姿に戻すことは不可能である。


「な? 余裕だろ?」


 母牛を亡くして不安になっているモラクスを安心させるために余裕を見せておく。

 実際、この程度の魔物なら楽勝なのは本当だ。


 俺はモラクスの頭を撫でてから、魔猪の死体の処理を進める。

 毛皮を剥いで、心臓近くにある魔石を回収して、内臓を取り出して血抜きをしていく。


 毛皮の加工も魔法で行う。

 魔法で行うことで、数日かかる作業が一瞬で終わるのだ。


 肉は傷まないように魔法の鞄マジック・バックに入れておく。

 魔法の鞄とは外見以上に容量が大きい便利な魔導具だ。


 魔導具とは魔法のかけられた道具である。

 しかも魔導具を扱うには、多少の魔法の心得さえあればいい。


 魔法の扱いが下手な者でも、高度な魔法と同じ事ができる非常に便利なものだ。


 俺の魔法の鞄はちょっとした倉庫ぐらいの容量がある。

 時空魔法を利用しているので、中は時間が経過しない。

 つまり、生ものを入れても腐らないのだ。


 これを魔法で再現しようとしたら、俺でも結構大変だ。魔力も使うし疲れてしまうだろう。


「魔法の鞄の開発者には感謝だな」


 俺の師匠は自分が開発したと言っていたが、開発者の名前が違うので多分ほら話だ。


「内臓は穴に埋めておこう」


 角魔猪に限らず、魔物の内臓は基本的においしくないのだ。


「俺が相手にしてきた魔物には猪型も多かったんだよ」

『てぃる。ふかいのそとの、まじゅうってつよい?』

「そうだね。基本的に魔物は、腐界の奥に行くほど強くなるけど……」


 腐界の外に飛び出てくる魔物の多くは生存競争に負けて逃げてきた雑魚だ。

 そういう雑魚は辺境軍や騎士や冒険者が対処できる。


「たまに腐界を拡大するための尖兵として、強力な魔物も出てくるからね」


 魔竜や魔キマイラ、魔コカトリスなどがそれに当たる。

 尖兵の角魔猪なら、体高三メートルを超えた育ちすぎた個体である。


 そして、辺境軍や騎士団の手に負えず、俺の元に回ってくるのはそういう魔物だった。


 俺は角魔猪の処理を終えた後、モラクスの頭を撫でた。


「モラクス、安心した?」

「も!」


 時刻はそろそろ夕方だ。


「そうだな。この辺りに住むのはどうだろう? モラクスはどう思う?」


 沢山の大きい木が生えているし、草も生い茂っているし、地面も平坦だ。


「水の匂いはしないけど、それ以外はさっきの場所と同じぐらい良さそうだけど……」

『うん。くさもおいしい』


 モラクスは、近くに生えている草をもしゃもしゃしながら返事をする。


「そっか、じゃあこの辺りに家を建てようか!」

「もっも~」


 モラクスも賛同してくれたので、俺は家を建てることにした。

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