◇◇◇◇
ティルの元に、師匠の使い魔である聖梟オルが到着する日の昼間のこと。
宮廷魔導師長は、従弟である賞勲局局長と共に王宮にある謁見の間にいた。
列席する大臣たちや辺境を治める高位貴族たちに見下ろされながら、宮廷魔導師長は王に跪く。
「この不始末。どうつける?」
王が冷たく言い放った。
ティルがいなくなった後も魔物討伐の救援依頼はひっきりなしにやってきている。
その依頼に対応した宮廷魔導師三人が、あっさりやられたのだ。
そのせいで、大貴族である辺境伯の騎士団にも被害が出た。
三人の宮廷魔導師は、一人は片腕を、一人は片足を、一人は片目を失った。
その三人は宮廷魔導師たちの中でも特に積極的にティルに嫌がらせをしていた者たちだ。
三人は命こそ無事であったが、魔物が怖くなり、家で引きこもって震えているという。
(まぬけどもが……)
師長には傷ついた部下を気遣うという発想はない。
単に無能な配下のせいで、有能な自分が責められているという被害者意識しかなかった。
「……近年まれに見る、凶悪な魔物で」
「馬鹿にしているのか! この無能が!」
「ひぅっ」
近くにいた辺境伯に怒鳴りつけられて、師長と隣にいる賞勲局局長は震え上がった。
「近年稀に見る強さの魔物ならば我が騎士団が全滅しておるわ! ティル・リッシュ卿ならば、容易に倒してくれたものを!」
「ええ、リッシュ卿は、いつも容易く凶悪な魔物を討伐してくれましたし、我らからのお礼をも受け取らず高潔な人物でしたな」
「法外なお礼を要求し、そのうえ、ろくに魔物も倒せないなど……」
高位貴族達が、師長をさげすんだ目で見つめる。
「なぜ、ティル・リッシュ卿を辺境開拓騎士などに任命したのだ。答えるが良い!」
いつもは温厚な王から厳しく叱責される。
「そ、それは、適役だと宮廷魔導師長からの、す、推挙があり……」
局長がしどろもどろになりながら答えると、
「黙れ! 貴様の愚かなふるまいのせいで、貴重な人材を失ったわ!」
「ひぅ」
「ティル・リッシュ卿は素晴らしい魔導師だというではないか! それを……」
王の叱責を受けて師長が考えていたのは、
(なぜ、伯爵にして大賢者の系譜に連なる私がこのような惨めな目に……)
ということだ。悔い改めると言うことはなかった。
「師長、なぜそのような愚かな推挙をした! しかも、周囲に讒言をしていたようだな!」
「いえ、私は適役だと今でも信じており、讒言でもなく真実のみを申したのみで……」
そのとき、
「ティルは、替りなど誰でもできる無能な魔導師だと。そのうえ金銭欲が高く、野心にあふれており、他国にも通じている可能性があると」
謁見の間に、師長の知らない声が響いた。
思わず師長が顔を上げると、
(女? いや男? エルフか?)
二十歳前後の美女にも美男子にも見える、長身で黒髪の美しいエルフがいた。
「い、いつのまに! 何者だ!」
護衛の騎士が声をあげて、剣を抜こうとすると、
「よせ!」
王は慌てて制止し、玉座から降りて、そのエルフに跪いた。
それを見て、高位貴族たちも一斉に頭を下げる。
「ロディ坊、頭を上げよ」
そのエルフは、まるで自身が王であるかのように振る舞っている。
「……あの方は一体?」
大貴族の一人、六十代の辺境伯が、隣の八十を超えた先々代の王弟である公爵に小声で尋ねる。
「……大賢者様だ。私もお会いするのは六十年ぶりだ」
公爵がぼそっと返答した。
「なんと……初めてお会いしました」
他の貴族たちも大賢者の登場に驚いているようだ。
師長は頭を下げるのも忘れて、大賢者をじっと見た。
師長は、大賢者の雲孫弟子を名乗る師匠から大賢者の話しを聞いたことがある。
曰く、半神、聖者にして聖女、神の愛し子にして神の使徒。
神がハイエルフに産ませた落とし子。魔法の基礎を作り、世界を救った。
千年前、この国の建国に関わり、以降代々の王の師となっている。
選定大公の称号を持ち、王位は大賢者が認めた者に授けられると言う。
未だ存命しており、優れた魔法の才を持つ者の前に現れ教えを授けるとも。
だが、それはただの伝説。おとぎ話だと信じられている。
当然、師長は大賢者が本当に生存しているとは信じていなかった。
大賢者廟において大賢者に毎日朝食を供える儀式があると聞いたときも鼻で笑ったものだ。
だが、大賢者その人が、目の前にいた。
「のう? ロディ坊。私の愛しい愚かな弟子。私は教えたね? 信用と盲信は違うと」
「は、はい。返す言葉もございません」
「あくまでも騎士への叙爵は王の役目だよ? わかっているよね」
「はい。その通りです」
大賢者はそういうと、跪いている王の頭を優しく撫でる。
「申し訳ありません。今後は一層身を引き締めて……」
大賢者は、じいっと王を見ると、ふぅっと息を吐いてニコッと微笑む。
その微笑みはまるで聖女のようだった。
「……ロディ坊が頑張っているのは知っているよ?」
そういって大賢者は王の手を取りゆっくりと立たせた。
「もったいないお言葉」
そのとき、急に大賢者が師長を見た。
大賢者の微笑みに見とれていた師長と目が合う形になる。
「……あっえ……」
あまりの美しさに、声が出ない師長に、
「誰がお前に頭を上げていいと言ったんだ?」
大賢者は冷たい声音で言い放つ。その顔は魔王のように恐ろしい形相だ。
「ひぅ、も、もうしわけ……」
慌てて跪く師長の頭を大賢者は踏みつけた。
「お前が魔物を倒してくるがよい」
そうして大賢者は冷たく言い放つ。
「え?」
「え? ではない。ティルの替りは誰にでもできるのだろう。今すぐ行くがよい」
「で、ですが、私には王都を守護するという……」
「お前程度の替りはいくらでもいる。さっさと行くがよい」
「わ、私は伯爵のうえ、栄光ある大賢者、つまりあなたの系譜に連なる魔導師で……ひぅ」
大賢者の殺気に近い魔力に、宮廷魔導師長は息をのむ。
「ティルは私の愛しい子で、可愛い弟子だ」
「え? いったい……なにを……」
大賢者の言葉を師長は一瞬では理解できなかった。
もし本当なら、ティルは大公の子にして、大賢者の直弟子だ。
伯爵程度で、大賢者の雲孫弟子の弟子である自分とは文字通り格が違う。
「リッシュ卿が、大公殿下のお子にして大賢者様のお弟子様だったとは」
「道理で、人格も実力も素晴らしいお方だと……」
貴族たちがそう囁きあうのを聞いて、大賢者は言う。
「こうなるから隠していたと言うに。そなたら口外するでないぞ?」
「ぎょ、御意」
「ティルにも、私が大賢者であることを言っていないんだ。わかるな?」
念押しした後、大賢者は王をみる。
「ほれ、ロディ坊」
「畏まりました」
王は大賢者に頭を下げると、宣言した。
「そなたを宮廷魔導師長の職から解任し、辺境防衛魔導師に任ずる。これは勅命である」
それは腐界から出てくる魔物をひたすら倒す役職だ。
宮廷魔導師からみれば、極めて下位の役職に過ぎない。
これまでティルがやってきたことを替りににやれと言われているに等しかった。
「安心しろ。お前だけではない。宮廷魔導師全員、辺境防衛魔導師に転職だ」
「そ、そんな、私たちは栄光ある……」
王の言葉に反論しようとしたが、
「私の直弟子と同じ仕事をできるのだ。身に余る光栄だろう?」
大賢者にそう言われたら何も言えなくなった。
「そなたもだ。賞勲局長の職から解任し、辺境防衛魔導師付き書記に任ずる」
それは辺境防衛魔導師に随行し、記録を取る職だ。
ずっと魔物との戦いの近くに居ることになる。
「そ、そんな、死んでしまいます」
「それが? 勅命だ、大人しく従え」
王に冷たく言われ、
「ティルが倒した魔物の数と同じ数、つまり一万匹の魔物を倒すまで王都に戻ること能わず」
そう言った大賢者から元宮廷魔導師長と元賞勲局局長は魔法をかけられた。
「今後、ティル・リッシュについて言及することは能わず。さっさと行くがよい」
「この無能な魔導師と愚かな書記官を引きずり出せ!」
王の命により、元宮廷魔導師長と元賞勲局局長は引きずられるようにして退室した。
◇◇◇◇
元宮廷魔導師長と元賞勲局局長が、退室した後、王が言う。
「師が王族以外の弟子を取るのは百年ぶりですか?」
「百七十年ぶりの弟子だね。君も元気そうで何よりだ。我が愛しの弟子」
大賢者はもう一人の弟子である先々代の王弟である公爵に向かって微笑んだ。
「お久しぶりでございます。我が師よ」
「うん。ひさしぶりだ」
大賢者は公爵の元まで歩いて行って、優しく頭を撫でた。
「師匠。ティルが我が弟弟子と教えてくださっても良かったのに」
王がそう言うと、大賢者はにこりと笑う。
「内緒にしていてわるかったね? だが、ティルは特別扱いされたくないと思ったんだ」
「師匠。ティルが師の子供であるというのは?」
「私が産んだわけではないけどね。まあ養子だよ、養子」
「養子でしたか。……師匠。ティルの辞令を撤回しようと――」
「その必要はないよ。ロディ坊。元々、ティルは腐界に行きたがっていたからね」
大賢者は聖女のような笑みを浮かべた。
「……それは、なんの為にでございますか?」
「もちろん世界を救うためさ。きっと腐界で苦しむ人々も救ってくれるよ。ティルはね――」
大賢者は少女のような目をして、ティルのすごさを語っていく。
曰く私より凄い、私より才能にあふれている、魔導具を作る発想も素晴らしい。
「我が弟子の中でもずば抜けている。大賢者の称号受け継ぐべきはティルだ」
「師がそこまでおっしゃられるとは……」
「だから大丈夫だよ。腐界でも楽しくやれるさ。もしティルが戻ってきたいと言ったら……」
「お任せください。これまでの功績にきちんと報いると誓います」
「うん。頼んだよ? 我が可愛い弟子」
謁見の間にはこれで終わりという雰囲気が漂った。だが大賢者は言う。
「……まだ大切な話しがあるだろう? ロディ坊」
「え? 師匠? まだ何か問題が……」
「まずは民を救わねばならぬ。優秀なティルの替りはあの者らにはできないだろう?」
それから大賢者と王達は今後の対応策を話し合う。
隠遁している大賢者の古い弟子を連れてきてかわりをさせるという結論になった。
「これで一安心ですな」
ほっとした表情を浮かべた王に、大賢者はにやりと笑う。
「まだ終わりではないよ? ロディ坊」
「え?」
「私は基本的に政治に口は出さない。ロディ坊を王に選んだ以上、全てを任せるべきだからだ」
「はい。このような事態に至り、面目次第も……」
「だが、特別だ。王とは何か、改めて指導してやろう」
「お、お手やわからに……お願いします。我が師よ」
王の声には、少しおびえが混じっていた。
恐らく幼少期に大賢者から受けた厳しい教育の日々を思い出しているに違いなかった。
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