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第12話 犬ではなくフェンリル

 懐かしい夢を見た。昔は何度も見た夢だ。

 最近は見ていなかった夢を見たのは、きっと犬の匂いのせいだろう。


『てぃるたいへん。いぬが……』


 心配したモラクスが俺を起こそうと、鼻の先で一生懸命揺すってくる。

 夢の余韻に浸る間もなく、俺は体を起こす。


「ああ、大丈夫だよ。うんちの臭いだね」

「……きゅーん」


 犬は仰向けになってぷるぷると震えていた。

 板の間には犬が漏らした柔らかいうんちが拡がっている。


「やっちゃったか……、でもがんばったな」


 毛布の中や俺とモラクスを汚さないように、外に行こうとしたが間に合わなかったのだろう。

 俺は仰向けで服従のポーズをしている犬のお腹を撫でた。


「ありがとうな。汚れた毛布を綺麗にするのは少しだけ面倒だからね」

「きゅーん」

「やっぱり、お腹壊したか、腐ってたもんな」

「……ぴぃ~」


 昨日、腐った角魔猪の内臓をたくさん食べたせいだろう。


「本当に怒ってないよ。大丈夫」


 怒られると思って、仰向けになって怯える犬に優しく声をかけて頭を撫でる。


「板の間を綺麗にするのは、本当に簡単なんだ」


 俺は犬が汚した部分を水魔法で掃除していく。

 作り出した大きめの水球で汚れを吸い取りつつ水洗いしていった。


「まあ、これだけでも充分だけど、一応、清浄プリフィカチオ


 板の間の床と、うんちがついてしまっている犬にも清浄の魔法をかけておく。


「清浄ってうんちも綺麗になるから本当に便利なんだよな」


 農家で子守をしたときも凄く役に立ったものだ。


 おしめを外して軽く拭いて、清浄をかけて、新しいおしめをつければ良い。

 おしめの洗濯も魔法を使えば、洗浄から消毒、乾かすまで一瞬である。


 それに比べれば、汚れた板の間を綺麗にすることなんて難しくない。


「これでよし」


 俺は改めて犬の頭を撫でる。


「犬。トイレを外でしようとしてくれてありがとうな」

「ぁぅ」


 犬は申し訳なさそうにしているのでもう一度「気にしなくて良いよ」と優しく言っておく。


「お腹を壊したときは仕方ない」

『しかたない』


 モラクスも慰めるように犬をペロペロ舐めていた。


「犬、こっちにきてお座りして」

「わぁぅ」


 素直にお座りした犬を魔法で診察する。


「うん……胃腸薬を作ろうと思ったけど、もう治ってるな。回復が早いな」


 傷だらけだったのに、それも治っている。


「食欲はある?」

「がう!」

「あるならいい。手足と尻尾の先も調べような」


 昨日塗って、固まった薬を剥がしていく。


『なおってる』

「おお、犬、お前回復が早いな? 下痢も、傷も瘴気病も治ったのか」

「わふ!」


 犬は自慢げに胸を張って尻尾を揺らす。

 手足と尻尾の先を覆っていたヘドロ様の瘴気は完全に消えていた。


「こんなに早いものなのか? いや聖獣だからか?」


 どちらにしろ治ったのならばそれでいい。


「よし! 朝ご飯を食べるか。犬も食べるだろう?」

「わふぅ~」


 犬は嬉しそうに尻尾を振っている。


「準備をするから少しまってなさい」


 自分用にはステーキでいいだろう。ステーキは簡単なのに旨いので素晴らしい。

 朝からステーキなんて重すぎて食べられないと考える者は多い。


 だが、俺は昼夜関係なく魔獣と戦い続ける生活をしてきた。

 朝から重い物を食べられないなどと言っていられない。

 食べられるときに食べるのが基本である。


「モラクスは……生の草が好きなんだよな」

『そう。やいたたまねぎもすき。たまねぎあるよ?』

「おお、玉葱は焼いておくよ」

『ありがと』


 俺が魔法の鞄から取り出した肉を焼き始めると、犬はよだれを垂らしてじっと見る。


「犬は生の肉が好きなのか? それとも焼いた肉が好み?」

「わふわふ」

「どっちも好きなのか。お腹壊したばかりだし、一応焼いておくか」


 俺は自分の分と犬の分のステーキ、そしてモラクスの玉葱を焼いていく。


『いぬ、こっち』

「わう?」


 俺が調理をしていると、モラクスが犬を連れて動き出した。


『これはけっかいのたいせつなやつだから、さわったらだめ』

「ぁぅ」


 そしてモラクスは小屋の外へ行く。


『といれはこっち。あなをほってする。みてて』

「ぁぅ」

『これがくさ。もらくすがたべるから、おしっこかけたらだめ』

「ぁぅ」


 モラクスが犬に色々と教えてあげている。


「……一緒に暮らすと決まったわけではないんだが」


 モラクスは犬と一緒に暮らすことになると、思い込んでいるようだ。

 犬も当然のように毛布の中に入ってきたし一緒に暮らすことになりそうだなとは思う。


「……だけど、野犬、いや野生の聖獣犬、野聖犬だからな」


 野生の生き物は、野生で暮らし続けたいかもしれない。

 たまにご飯を分け合ったり、遊んだりする程度の関係が犬にとってはいいのかもしれない。


「モラクスも野生だったけど……」


 母を亡くした赤ちゃん牛だ。保護しないと死んでしまっただろう。

 そんな赤ちゃんを見捨てるなんて俺にはできなかっただけだ。


「ま、後で考えよう。おーい、肉と玉葱が焼けたぞー」

「もっもー」「わふわふ~」


 玉葱と肉をそれぞれ皿に載せて、モラクスと犬の前に置く。

 ちゃんと水も用意する。


「食べて良いぞ」

『うまいうまい』

「ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ、わぁぅわおぅ」


 モラクスは草を食べ始めたが、犬はまず水を飲んだ。

 そして、うまいうまいと言って感動している。


「そんなにうまいか? ただの水だが」

「わぁぅ」

「そうか、腐界では水も瘴気に汚染されているのか……」


 だから、瘴気に汚染されていない水がおいしくてたまらないらしい。


「いくらでも水は出してあげるから、お肉も食べな」

「ぁぅ。がふがふがふがふ」


 犬は肉をものすごい勢いで食べ始めた。

 昨夜、お腹を壊していたとは思えないほど食欲がある。


『ゆっくりたべて。おなかいたくなる』

「あぅ」


 モラクスは草と玉葱を食べながらも、何かと世話を焼いている。


「モラクス、犬が心配なの?」

『うん。おなかこわしてたし』

「やさしいなぁ」

『もらくす、おにいちゃんだから』


 モラクスは草をもしゃもしゃしながら、自慢げに尻尾を振った。


「ん? モラクスの方がお兄ちゃんなのか?」


 モラクスは子牛と言うより赤ちゃん牛である。そして犬は大型の狼よりも大きい。

 聖獣だから通常の犬よりも大きいのかもしれないが、それでも赤ちゃんではあるまい。


『うん、いぬはあかちゃんだからね』

「ヴォウ」


犬は赤ちゃんですと、堂々と吠えた。


「そうか、赤ちゃんなのか……」


 だから、犬は聖獣犬なのに人の言葉も話せないのかもしれない。

 モラクスは赤ちゃんだけど人の言葉を話せるが、成長は聖獣によりけりということだろうか。


 そんなことを考えながら、じっと犬を観察する。


「わ……わふ」

「照れるな照れるな。……ふむ。確かに足が太いな」


 子犬は成犬に比べて足は太めになりがちだ。


「なんていう犬種だろうか……いや聖獣でも野犬だし、犬種とかないのかな?」

「ヴォウヴォウ」

「む? 狼、それも両親はフェンリルなのか」


 フェンリルとは伝承に登場する銀色の極めて強い狼だ。

 全身に炎をまとって、爪と牙で邪竜を斬り裂いたと伝わっている。


「確かに口から炎だして、炎をまとった爪で俺の氷檻を破壊してたな」

「がぁぅ~」


 犬、いや狼は褒められたと思ったのか照れて、猫のように前足で顔をゴシゴシする。


「そっか。だから強いのか。たいしたものだ」

「がうがう~」


 俺の氷檻は炎竜ですら閉じ込められる強度だ。フェンリルというのも本当かも知れない。


「朝ご飯を食べ終わったら、じっくり観察してみるか。ゆっくり食べなさい」

「がふ」


 狼は嬉しそうに肉の塊をもしゃもしゃ食べた。



 食後の後片付けを済ませると、みんなで板の間に上がる。


「狼。前足を出して」

「あう」

「ふーむ。やはり、子犬、いや子狼特有の太さがあるな。口あけて」

「がう」

「……乳歯だな」


 子犬は四から六か月ぐらいで永久歯に生えかわる。狼もきっと同じだろう。

 つまり、普通の犬でいうところの、三か月ぐらいの成長度合いなのかもしれない。


「お前、本当に赤ちゃんだったか」

『そう。あかちゃんおおかみ』

「親はどうしたの?」

「が、がぉ、がぅぅ。ぁぁぅ」


 魔物との戦いで、親とはぐれてしまったらしい。


「そうか。お前を逃がすために……」


 狼の群れは凶悪な魔物と戦い追い詰められてしまったという。

 そして親狼は、赤ちゃんである狼を逃し凶悪な魔物と戦い続けたのだ。


 逃げた狼は、次の日に戦場に戻ったが何もなかった。

 匂いを頼りに親のことを探そうと思ったが、魔物に襲われて逃げ続けることになったらしい。

 そして、逃亡中に、瘴気病にかかり、足が痛くて狩りができなくなった。


「そして瘴気がないところをみつけて、ここにきたと」

『かわいそう。きっと、ままはいきてるよ』


 モラクスはそういうが、無事だとは考えにくい。

 親狼が勝ったのなら、魔物の死体が残っているはずだし、この子を探しに来るはずだ。


 モラクスも狼と同様だ。

 凶悪な魔物との戦いの際に親に逃がされ、その後、戻った時には何もなかった。


 そして魔物に追われ逃亡し、俺と出会ったのだ。


「そうだね。生きているかもしれないね」


 俺はそういって、モラクスと狼を撫でた。


「……フェンリルの群れを追い詰める魔物か」


 しかも勝利して生き延びた可能性が高い。

 今は傷ついているのかもしれないが、傷が癒えたらこちらを襲いに来るかもしれない。

 対策を考える必要があるだろう


 俺が考え込んでいると、モラクスが言う。


『おおかみになまえをつけてあげて』

「いいけど……お前はどうする? 名前が欲しい? いやそもそも一緒に暮らしたい?」

「がうがう!」

「そうか。一緒に暮らしたいし、名前も欲しいか……うーん。何がいいかな」


 親を亡くした赤ちゃんならば、野生だからとか言ってられない。

 保護者のいない赤ちゃんを追い出すほど俺は冷酷な人間ではないのだ。


 そして、一緒に暮らすなら名前があった方が便利だ。


「よし! ヴォルクっていう名前はどうだ?」

「ヴォウ」

「それは僕の名前じゃないって? 名前がないんじゃなかったのか?」

「ワフ」


 それでも違うと狼は言う。


「……えっとじゃあ、アングルは?」

「がう」

「これも違うのか。嫌じゃなくて違うか。……じゃあ……」


 いくつか候補をあげたが、狼はどれも違うという。

 名前がないというのに、それは僕の名前じゃないというのだ。


「……困ったな。もう他にはペロぐらいしか思いつかないぞ」


 かつての愛犬の名前を付けるのはどうかと思ったのだが、

「わうわう!」

 狼は突然嬉しそうに尻尾を振り始めた。


「む? 気に入ったのか。だがなぁ、ペロってのは昔、俺が飼っていた犬で――」

「わぅぁぅ! きゅーん、ぴぃぃ」


 狼は鼻まで鳴らして、ペロがいいという。

 それが生まれたときから、自分の名前だと言い張っている。


「そうか、そんなに気に入ったのか。じゃあ、お前はペロだ」

「ぁぅ!」

『よかったね』


 そうして、俺たちには仲間が一頭増えたのだった。

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