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第11話 【回想】犬の話し

  ◇◇◇◇

「ティル。今回の魔物はちょっとだけ手強いわ」


 腐界の近くで暮らしていた三歳のティルに、母は笑顔で言う。


「だけど安心しなさい。父さんも母さんも強いからね」


 父も笑顔だった。


「……うん。僕も手伝うよ」


 そう返事をしたティルは震えていた。

 近づいてくる魔物の気配は、これまでに感じたことがないほど多く、強力だったからだ。


「ありがとう。頼もしいわ。だけど、ティルにはやってほしいことがあるの」

「ティル。先月父さんと一緒に行った村にいる騎士を援軍に呼んできてほしいんだ」


 ティルの父は地図を見せて、そう言った。

 その村は十五キロほど離れている。三歳の足では難しい。


「そんな、遠くまでいくのはむりだよ……僕も父さまと母さまと一緒に……」


 母は困ったようすで、優しくティルの頬を撫でる。


「お願い。わがままいわないで? ペロと一緒なら、大丈夫よ。ティルならきっと行けるわ」

「ああ、ティルは強い子だからね」


 父は泣きそうなティルの頭を優しく撫でた。


 ペロはティルよりも大きな犬だ。

 賢くて優しい、灰色の毛皮を持つ綺麗な十五歳の老犬で、ティルの兄のような存在だった。


「いい? お願いね。ティル、愛しているわ」

「気をつけるんだよ。ティル。急ぐんだ。ペロ、ティルを頼んだよ」

「わかった」「わふ」


 笑顔の父母に送り出され、ティルとペロは村に向かって歩き出した。

 母が持たせてくれた大好きなおやつが詰まった小さなポシェットを首から提げて歩いて行く。


 歩き始めてしばらく経つと、戦闘が始まった。

 後ろからは魔物の雄叫びと、父母の放つ魔法の炸裂音が聞こえてきた。


 ティルは三歳の足で必死に歩いた。

 父と母を助けるためだと、自分に言い聞かせて必死に歩く。


 ティルは聡い子供だった。

 だから、内心では父母がティルが援軍を呼んで来ることを期待していないと理解していた。

 全ては自分を逃がすためだということにも気づいていた。


 余裕のある笑顔もティルを怯えさせないためだと言うこともわかっていた。 


 だけど気づかないふりをした。怖かったからだ。


「……いそがないと」


 後ろめたさを誤魔化すため、ティルは泣きながら父母の言葉を信じようとする。


「急がないと、父さまと母さまが……」


 どれだけ急いでもきっと間に合うことはない。それも心のどこかではわかっていた。


「きゅーん」

 そんなティルを励ますように、ペロは併走してくれる。

 もう老犬だからペロ自身も疲れているだろうに、そんな素振りは一切見せない。


「うん、急がないとね」

「わふ」


 ティルとペロは必死に歩き続ける。

 三歳児と老犬とは思えないほど、休まずに歩き続けたのだ。


 出発から五時間が経ち、ティルはついに歩けなくなり、道に座り込んでしまった。

 三歳児にとって、五時間歩き続けることは大変なことだった。


「きゅーん」

「こういうときはね、甘いものを食べると良いんだよ。父様が言ってた」


 ティルはポシェットから、砂糖がたくさんかかったクッキーを取り出す。


「今日はたくさん食べちゃおう。おなかすいたからね。はいペロの分」

「わぁぅ」

「いっぱい食べたことは、母さまにはないしょね? ご飯がたべられなくなるからね?」

「ぁぅ」


 ティルはペロと一緒にクッキーを分けて食べた。

 そして、食べ終わると、ティルは力尽きて寝落ちした。


「…………」


 ペロは、ティルを起こすことなく寄り添った。

 この小さな主人は起こしても、もう歩けないと、賢い老犬は理解していたからだ。



 ティルが道の真ん中で寝落ちしてから三十分後、

――GUAAA

 魔物の声でティルは飛び起きた。


「ウゥゥ!」


 ペロが一生懸命唸って威嚇している。

 ペロを警戒した魔物はリス型の魔物で、中型犬ぐらいの大きさだ。


 ペロよりも小さい弱い魔物だ。だが三歳児と老犬にとっては、恐ろしい魔物である。


「ひ、ひぃ」


 ティルは怯え、涙を流し体を震わせる。

 だが、ペロはひるまない。


 魔物が襲いかかってきても、一歩も引かなかった。

 ティルと引っ張り合いっこしたとき、互角だったとは思えない力で魔物にかみつく。


 だが、魔物は強い。あっという間にペロは傷つき、押さえつけられて、首をかみつかれた。

 痛いだろうに、ペロは悲鳴をあげなかった。


「この! ペロを離せ!」


 泣きながら震えていた三歳のティルは勇気を振り絞り、石を拾って魔物を殴りつけた。


「この! この! 離せ」


 必死に殴って、殴って、殴っても、魔物は平然としていた。

 ついに魔物はティルに牙を剥く。


 ――GUAAA

「このぉ」

 怯えながらも、ティルはペロを守るために一生懸命、魔物を石で殴る。


 ――GAAA


 首に向かってかみついてきた魔物の牙を、ティルは左腕で受けた。

 牙は骨まで達し、鋭い痛みが走る。

 それでもティルは石を持った右手で殴るのを止めなかった。


 ――GAA……GYAN


 あと二秒でティルは死んでいただろう。だが、突然魔物の頭が文字通り飛んだ。


「……よく戦った、たいしたものだ」


 魔物の頭を吹き飛ばしたのは耳の長い魔導師だった。


「……ペロが、ペロの血が」


 ティルは石を放り投げて、ペロの首の傷を押さえる。

 助けてくれたお礼を言うことも忘れていた。


「おねがい、ペロを、ペロをたすけて……」


 その魔導師は「清浄プリフィカチオ」と唱えながら瓶に入った液体をティルの手の上からかけた。

 泣きながらペロの傷を手で押さえるティルに魔導師は言う。


「立派な犬だ。命を賭して主人を守ったのだから」

「ペロ、動いて。……ペロ」

「きっと、死ねば犬神の元にいけるであろう。もしかしたら転生も……」


 魔導師の言葉は、ティルの耳に入らなかった。


「ペロ……ペロ……動いてよ」

「………………ぁぅ」


 ペロがゆっくりと目を開ける。

 魔導師の治療薬が間に合ったのだ。


「ペロ、よかった! ペロ」


 ペロに抱きついて喜ぶティルに、

「間に合わなくてすまなかったな。ティル」

 お前の父母に頼まれたのだとその魔導師は言った。


「ペロは……助かったよ?」

「そうだな。それしかできなかった」


 間に合わなかったという言葉は、父母を助けられなかったという意味だとティルは気づいた。


「ティル。……そなたのことは信頼できる者に預けることにしようと思うが……」


 そういった大賢者に、ティルは真剣な表情で言った。


「…………あの。お願いします。魔法をおしえて。薬の作り方も……」


 戦う力があれば、父母と一緒に戦えた。ペロだって死にかけることはなかった。

 それに、薬を作れたら、傷ついた大切な者をたすけることもできる。


「さっきの魔法、父様や母様の魔法より凄かった」

「……ほう? 魔法の違いがわかるか」

「うん。ペロを助けてもらったのに、お願いするなんて、あつかましいけど……」

「そなた、聡いな? 三歳児とは思えぬぞ?」


 そういって魔導師は笑い、

「いいぞ。ティル・リッシュ。今からそなたは、私の弟子だ」

 ティルのことを抱きしめた。



 ペロは、大型犬としては珍しいほどの長生きし、三年後の十八歳の春に亡くなった。

 ティルが魔導師としての才能を開花させたのを見て、安心したのだろう。

 大好きなティルの膝のうえに顎を乗せ、子犬のように甘えながら安らかに息を引き取った。


  ◇◇◇◇

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